I-11.優しさのベクトル
「……ごめん。俺、もうあんなの見るの無理だ」
「そっか。だいたいそんなこと言うとは思ってた。いいよ、よくよく考えてみれば無理やり見るような代物でもないからね」
俺が虎野にそう相談するまでに、さほど日にちは空かなかった。そもそもそれまで妖獣らしいこととは一切関わってこなかった俺が退妖獣使のサポートをするなど、到底不可能な話だったのだろう。生物室の一件があって以来、俺はますます強くそう思うようになっていた。
「でも忘れない方がいいよ。偶谷みたいな、人間を喰うことを拒否して、人間と共存の道を選ぼうとする妖獣は多くない。周囲の人間をエサとして考えてる、下手をすれば何でもない世間話をしながら、
「……ああ」
虎野はじゃ、今日は補習あるから、と言い残して、放課後を過ぎて静かになりつつあった教室から出て行った。虎野自身とも時々話していたが、数学が苦手らしく、早速補習なるものに引っかかっているという話だった。そんな状態で退妖獣使の仕事など務まるのだろうか。いや、むしろ退妖獣使の仕事をしているから勉強時間がとれていないのかもしれない。俺は他人の成績のことをいろいろ考えていた。
「何浮かねえ顔してんだよ、偶谷」
「……高原」
気付けば虎野の代わりに高原が俺のクラスまでやって来ていた。いつもなら俺が下校する時に高原のクラスに行って合流するのだが、今日はなかなか来ないからか高原の方から様子を見に来たらしい。
「……ああ、あれだろ。また虎野さんにフラれたんだ」
「違えよ」
「見たぞ、ちょっとプリプリしながら虎野さんが教室から出てくるところ」
「プリプリって……どんな言い方だよ。それにまたって何だ、またって」
「俺に背中を押されたんだから、当然何回かトライはしたんだよな?」
昔からそうだ。高原は俺に何かとアドバイスをくれたりするのだが、それを試してうまくいくと、
「な? 俺のおかげだろ? ほら、ありがとうは?」
などと感謝の言葉を強要してくる。感謝はそもそも強要されて言うもんじゃねえだろ、と心の中では思いつつ、その手のアドバイスには何度も助けられているので、俺もありがとう、と言うしかなかった。今回も当然、俺が高原のアドバイスを活かして、虎野に告白しているものだと思っていたらしい。そもそも虎野とはそういう関係ではないのだが。だからトライなんてしてない、と俺が言うと、
「は? お前って奴は……」
と呆れられてしまった。そもそも俺は虎野にその手の感情さえ抱いたことがなかったから、トライ以前の問題だった。
「もったいないぜ。せっかく積極的に話しかけてくれてるのにさ。脈ありだとは思わんのかね」
「……そういや、何で高原は俺の心配ばっかすんだよ。お前も大してその手の話聞かないけど」
「俺はいいんだよ」
ほとんど即答で、高原はそう言い切った。
「”おゆうぎしつ”の隅っこも隅っこ、先生さえ気付かないようなとこで床の木目なぞってあみだくじやってたようなお前を見つけた時から、俺はずっとお前が心配だったんだよ。ほら。俺、一回心配し出すと解決するまでどうにも目が離せない性分でさあ」
「別に俺の方から心配してくれだなんて言った覚えはないぞ」
「そういう自ら孤独な方に突っ込んでくところが危ねえんだよ。いつまでもそうやって孤独ばっかり、選んでもいられねえからな」
「……」
「まあ俺がこうやって、いつまで経ってもお前のその性格が気がかりでいるってことは、お前もいつまで経っても変わってねえってことだ。俺としては、お前に変わってほしいんだけどな」
「高原のそれは心配性じゃない気がするな。何か、お節介に似たような」
「失礼な奴だなおい。……まあ、いいか。お前が変なところで強情なのは、昔から分かってることだしな。ただ、もたもたしてると虎野さんは取られるぞ」
「ん? 虎野が取られる? 誰に?」
その時は高原の言った意味がまるで分からなかったが、後に、というより数日も経たないうちに明らかになった。やっぱり高原の俺に対する接し方は、お節介ということで間違いなさそうだった。
* * *
「これから一学期の終わりまで、このクラスのサポートをさせてもらうことになりました。
その時は大して大事じゃない情報だと思って聞き流していても、実は頭の隅のどこかには残されていて、ふとした時に思い出す、なんてことはよくあるかもしれない。この時がそうだった。俺は高原に虎野が取られるかもしれない、と(少なくとも、俺にとっては)訳の分からない話を聞かされた時、また何か言ってるな、ぐらいにしか思わなかった。しかしこうやって思い出したということは、頭のどこかに記憶として残っていたのだろう。
例年入学したてでバタバタした時期が過ぎた五月ごろ、うちの高校では教育実習生を迎えることになっていた。人数やクラスへの割り当てはその年によって様々だが、今年は俺のクラスの副担任的な位置として、この植川さんという青年が来たということだ。そして俺とは比べ物にならないくらい、かっこよかった。同性の俺があっさりとそう認めるのだから、女子目線ではもっと素晴らしい人として映っているのだろう。高身長で整った顔、これ以上似合う奴なんてそうそういないんじゃないか、というほどの華麗なスーツの着こなしよう。どれをとっても俺は完敗だった。クラス中の女子の視線が、植川さんに釘付けになっていた。
当然休み時間のたびに、植川さんの周りには女子の群れができた。それもとんでもないもので、俺のクラスからだけではなく、学年中、いや先輩さえも巻き込んでものすごい騒ぎになっていた。さすがにそこまで一教育実習生が注目を集めたことは今までになかったらしく、一度学年集会が開かれ、迷惑行為は慎むように、と言い含められたほどだった。それでも植川さんの人気が衰えることはなかった。衰える気配さえなかった。
「……けっ、女子にばっか色目使いやがって」
そうなれば当然、悪態をつく男子も出てくる。何言われても徹底的に無視してやろうぜ、という古典的なやり方である。しかし植川さんは、それさえも対策済みのようだった。
「……ああ、なるほど。そこが分からないみたいだ。少し時間をもらえるかい」
植川さんは誰に対しても――もちろん、女子にも男子にも――気さくな話し方だった。相手が女子だからといって馴れ馴れしい話し方になることもなかった。むしろ、誰が話しても言いたいことをうまく引き出してくれるような話のうまさで、自然と相談に乗ってほしいと思うほどだった。ちなみに俺もその一人だ。別に質問なんて一つもないのに、愛想が悪いのはどうしたら直りますか、と相談したことがある。
「必ずしも誰にでも愛想を振りまいていればいい、ってわけじゃないんじゃないかな。八方美人はその時はよくても、後でつらくなるから。まずは今いる友達から大事にしていけばいいと思う。愛想よりもたぶん、そっちの方が大事だ」
しかし植川さんは嫌な顔一つせず、丁寧にそう答えてくれた。うちのクラスにやって来て数日で不満の声は聞かれなくなったが、これでまだ文句を言う奴がいたならそれはそれで問題だ、と思ったほどだった。
「……って話を、何でお前は事前に知ってたんだ」
「いや、今俺がお世話になってる家の人が、植川さんと知り合いでさ。あの人が教育実習生としてうちに来るのは何日か前から知ってたから、どんな人かは事前に聞いてた」
クラスからして違う高原が一体どこから植川さんの情報を仕入れてきたのか気になって、ある日の下校中、俺は高原に尋ねた。
「昔からあんないい人なのかよ。聖人君子みたいな」
「さすがに小さい頃はあんまり知らないらしいけど、中高の頃からめったに怒らない、穏やかな人だったんだと。俺も口先だけで実物は大したことないだろうって思ってたけど、思った以上だったな」
もちろん俺のクラスからだけでなく高原のクラスや、他の学年からも植川さんに会うためだけに別の校舎にある職員室を尋ねる人までいる始末らしい。かくいう高原も相談を一度したようで、
「いや。あれはすごかった。人間としての器がちげーわ……」
と高原の口数が減っていた。珍しいこともあるものだ。
「あれじゃあ女子が釘付けになるのも無理ないぜ。いくら虎野さんでも向こうを選ぶさ、いつまでも隅っこでじっとしてるようなお前よりな」
「隅っこでじっとしてる奴で悪かったな」
「別に悪いとは言ってないぜ、クラスであんまり目立つのが得意じゃないタイプ、ってのも世の中にはたくさんいるからな。お前もその一人、ってだけだ」
ま、せいぜい愛想尽かされないように頑張れよ、と高原はあくまで軽い調子で俺にそう言った。これだから高原がいつも、どこまで本気で物を言っているのかが分からないのだ。
「……じゃあな。お前、いつまでもそんな浮かねえ顔してるんじゃ、本当に虎野さんに愛想尽かされるぞ」
「うるせえな」
高原とは乗る電車の方面が違うので、一緒に帰ると言いつついつも、駅のホームでそれぞれ分かれる。虎野に好かれるどうこうの話は別として、いつまでもつまらなさそうな顔をしてるのはマズいかもしれない、と俺は思いながら、高原に軽く手を振った。
その夜のことだった。
「ん……?」
家に帰って教科書の入れ替えをすべくかばんを開けると、見慣れないメモ用紙が紛れ込んでいた。きれいに半分に折りたたまれていたので開いて中を見た。
『三日後 妖獣のあなたに話したいことがあるので、校舎の裏に来て下さい 1-5 鷹取』
知らない名前と自分の正体を知られていたことに俺は愕然として、しばらく震えが止まらなかった。
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