3月12日 森羅万象の書

一日一作@ととり

第1話

もし世界から文字が消えたらどうなるだろう。文学と見えた人が居るかもしれないが、文字である。もし文字が消えたら、それは大変なことになってしまう。まず、インターネットが使えない。今これを読んでいるあなたはこの先を見ることができない。私は書くことができない。この物語を誰かに伝えるためにいちいち語って聞かせないといけない。迷惑である。それをしでかした者が居た。安心して欲しい、この世界とは別の場所、遠いファンタジーの世界の話である。その世界は魔法の文字でできていた。


その世界を構成するために文字が使われていた。平たく言えば書物の中の世界だった。森羅万象の書と呼ばれる魔法の辞書があり、そこに書かれていることしか存在しない世界なのである。人々は文字を書くことで、生活をした。水が欲しければ水と書き、パンが欲しければパンと書く。するとそれが現れる。今ではもっと便利になっていて、手持ちの端末に文字を入力すれば、そのものが出てくる。いちいち紙にペンで書く必要が無くなったのだ。だから、人々の文字を書く能力は圧倒的に落ちて行った。読むことはできても書けないのだ。


ここに一人、天才魔法使いといわれる少年がいる。彼は今、論文を書いている。森羅万象の書に記述する新しい言葉についての論文だった。彼はPCに似た機械に文字を入力していた。古代の機器、わーぷろというやつである。わーぷろを使えば、文字は実体化しない。彼の世界にある、文字の意味が実体化する端末には、実体化させる魔法陣が仕込んであるのだが、わーぷろにはまだその機能がついてないのだ。だから安心して文字が書ける。


少年はアラムというのだが、彼は喉が渇いていた。何か飲みたい。冷たいアイスティーがいい。薄切りにしたレモンを添えて、シロップを大匙一杯くらい入れて欲しい。彼はわーぷろの横に置いてある小さな、かまぼこ板を大きくしたような機械に、呼びかけた。「ねえ、氷を入れたアイスティー、薄切りレモンとシロップを大匙一杯いれて出して」いつもなら、文字が入力され、よく冷えたレモンティが現れる。しかし、10分待っても現れない。彼はその“呪文”をもう一度唱えた。「氷を入れた……」しかし、機械は反応しなかった。「コップと水」彼は簡単な”呪文”に切り替えた。うんともすんとも反応がない。「壊れたかな?」彼はここではじめてわーぷろを打つ手を止めた。


端末は動いていたしかし、文字を入れようとしても反応がない。「おかしいな」こんな故障の仕方は見たことがない。故障の原因を探ろうと思っても、端末に文字が打ち込めないのだから、調べようがない。彼はとっておきの魔法を発動することにした。古代魔法、紙とペンである。彼は文字を書いた。美しい文字で、「端末の故障について」と紙に書いた。途端に文字は語りだした。「森羅万象の書に異変が起こりました」「魔神族が侵入し、森羅万象の書に書かれた文字を盗みました」ふむ、アラムは考えた。端末はいわば森羅万象の書のコピーなのだ、コピーの原本は現実に書かれた文字だ、人によって書かれ、魔力を封じられた、森羅万象の書にある文字なのだ。人によって書かれた文字こそ端末に魔力を与える、力の源なのである。


アラムは魔法大学の図書館に行こうと考えた。そこに森羅万象の書がある。行けば自分に何かできるかもしれない。その時、家のドアが開いた「ただいま!」元気な女の子の声が飛び込んできた。「ねーお兄ちゃん、端末貸して」「リサの壊れちゃったみたい」アラムは端末を見せてこういった「僕のも壊れたんだ。たぶん、他の人の端末も動かないよ」「一緒に魔法大学に行こう」


魔神族というのは、人とは違う種族で、恐竜から進化したといわれている。高い知能を持ち、人間と同様のコミュニケーション能力を持つ。彼らの特徴は青い肌、三つの目、とがった耳、身体の一部に鱗があり、長い尻尾を持っている。

魔神族は、魔法をエネルギーにしていて、魔法文字に高い価値を置いている。だが自分たちで文字を書くことができず、人間から魔力ごと奪っているのだ。彼らにとって魔法文字とは嗜好品であり、おやつなのだが、中毒性が高く、彼らに手書きの魔法文字を奪われる例が後を絶たない。


「君、文字をどこへやった?」魔法大学ではかろうじて捕えた魔神の少年を詰問していた。少年はニヤニヤしているばかりで答えない。個人が書いた文字や、端末が奪われるのはまだ良い。だが魔力の根源である、森羅万象の書の文字が奪われたとあっては、話が違う。この社会の根底を揺るがす大事件である。


魔神の少年を詰問しながら、片方で森羅万象の書のリカバリーが行われていた。文字を新たに書きなおし、書に写す作業である。しかし、森羅万象の書の文字は太古の書聖と呼ばれた大賢人が書いたもので、現代ですぐに再現できるものではない。そうやっているところにアラムは到着した。


「この人が犯人ですか?」彼は手近な人にたずねた。「そうだよ。こいつが盗賊団の一人だ」アラムは捕まりながらも、平然としている魔神の少年に近づいた。「魔神族でハッカーが流行ってると聞いたけど、森羅万象の書を狙ったんだね」そう聞くと魔神族の少年はにやりと不敵に笑った。「その赤毛、知ってるぞ、魔法使いのアラムだな」「まるでニンジンみたいな髪の色だな」そういうと魔神の少年は笑った。アラムは彼の言葉を無視して続けた。「ハッカーは文字を盗むのではなく破壊するのが目的だと聞いたが、本当かい?」魔神族の少年は不敵に笑うばかりで答えない。「君は自分のしたことの重大さをわかっていないね。あれは過去の遺産、かけがえのない宝だったんだぞ」アラムは悔しかった。過去の賢人たちの文字を永遠に失ったことが酷く悔しかった。

魔神族の少年はいった「いいことを教えてやろうか。ハッキングはまだ終わってないんだぜ」魔神の少年はそういうと、舌を出した。下には魔法陣が書かれていた。魔法陣は強い光を放って発動した。短縮された呪いの言葉が、アラムの耳を直撃した「あっ!」耳をふさいだが遅かった。身体の中を呪いが駆け巡る。それは両手を痺れさせて消えた。一瞬の事だった。アラムは自分の中から何かが消えていくのを感じた。文字だ、文字の記憶が消えていく。彼が覚えた数万の文字、それが一つ一つ消えていく。それと共に、力が抜けていくようだった。「なんてことを……」アラムは呪いにかかった。文字が書けない呪いだ。


読むことはかろうじてできた、簡単な文字なら書くことができた、しかし、複雑な難しい文字になると途端にわからなくなる。アラムはペンを握って書こうとした、文字が出てこない。これでは、魔法使いとしての道が閉ざされてしまう。魔神の少年は笑った。「お前の能力を切り取った」「俺が今日から魔法使いだ」魔神はアラムの文字を書く能力を奪ったのだ。アラムは怒りのあまり彼を殴りそうになった。その時、後ろから「お兄ちゃん」とアラムを呼ぶ声がした「リサ、危ないから来ちゃダメだ」アラムは振り返った。リサは絵本を抱えてアラムを見ていた。いやアラムのそばにいる魔神を見ていた。リサは魔神族を見るのは初めてだった。「なあに、その人……」リサは動けなかった。


魔神もリサを見た、食い入るように。やがて魔神はいった。「かわいい……」「なんて可愛い生き物だ」アラムは嫌な予感がした。「駄目だよ、リサ、こいつは悪い人だ」アラムはリサを魔神から遠ざけようとした。魔神はいった「悪くない、悪くない、そうかぁ。君はリサちゃんっていうんだね、可愛いね」魔神は舌で空中に文字を書いた。「お菓子」ざあっと空中からお菓子が現れ、たちまち山が築かれた。「好きなだけ食べていいんだよ。お友達になろう」リサは魔神の能力に驚きながらもお菓子に心ひかれているようだった。「駄目だリサ、あれは悪い人だ、みんなを困らせる、悪いことをしたんだ」アラムはリサの手をつかんだ。「悪い人……」リサはつぶやいた。「困らせたことは詫びる、もう悪いことはしない、だから仲よくしよう」魔神はそういった。「そうだ、文字を取り返す方法を教えるよ」「文字は世界に拡散した。それを探して書に封印すればいいんだ」


「僕の能力を返せ」アラムは魔神の少年にいった。「その方法は俺もわからない」魔神は不敵な笑みを浮かべていった。「だけど、俺が手伝えばいいじゃないか」「お前が文字を探し出し、俺が書いて封印する。それでいっちょ上がりだ」アラムは考えた。文字は早く見つけなければならない。だが、この少年を妹に近づけたくない。悩んでいるとリサがアラムをのぞき込んでいった「お兄ちゃん、困ってるの?」アラムはうなづいた。「この人が悪い人だから?」「そうじゃないんだ。この人が敵か味方かわからないから悩んでるんだよ」リサは不思議そうに魔神の少年を見た。「あなたはなんていうお名前なの?」ハッとしてアラムはリサを止めようとした。何があっても魔神の名前を尋ねてはいけないのだ。なぜなら……「俺の名はマーラだ。契約は完了した」魔神と名前を交換すると、魔神と分かち難い繋がりができるのだ。それを彼らは契約と呼ぶ。 (2018年3月8日 了)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

3月12日 森羅万象の書 一日一作@ととり @oneday-onestory

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る