夜行バスで一人で旅に出たお話、深い悲しみの中、それを「やらなくてはならない旅路だった」と思う誠実さ、そこだけでも涙が出ました。
咲春ママをはじめ、いろいろな人の温かさを感じたエッセイでもありました。
私も子どもの頃(犬ではないですが)猫を拾ってきて飼っていました。家族のいろいろな問題があった少年時代、その愛くるしさにどれだけ癒やされていたか。それなのに、上京してからあまり会いに行かなくなり、死に目にも会えませんでした。その猫を志惟七ちゃんにダブらせて読みました。
天国にいる人たちも、動物たちも、みんな幸せにしていますように。
作者からの返信
純太さま。
こんにちは。
完結までお付き合いいただきありがとうございました。<(_ _)>。
純太さまのように、感じ入ってくださるとは、ありがたいです。
夜行バスで、十二時間程掛けての旅。
物音一つせずに、ひたすら静かに考えてしまうのでしょうね。
咲春だけの命ではないから、だからこそ、「やらなくてはならない」と思うのですね。
泣いてくださって、こちらが感慨深いです。
周囲の方々あってこその話です。
純太さまも猫と暮らしていらっしゃったのですか。
ご事情って、仕方がないと割り切りたいと思っても、やりきれなかったりします。
最期を看取れなかったなど、心が重くなります。
別れてしまった志惟七ちゃんとは無責任ではなかったかと、咲春ママは常々思います。
そうですね。
どこにいても愛した可愛い人も動物たちも、幸せになっていて欲しいです。
あたたかいお気持ちをありがとうございます。
ぺこり_(._.)_🌼
私は、なにごとにも運命は最初から決まっている、という説を信じません。
いいことばかり続く人、いいことなんて何もない人。
人間ばかりでなく、動物や物でもそうですが、そんな偏ったことが最初から決まっているなんて信じたくはありません。
では望むような道筋を辿れなかったら、それはその当人の責任でしかないのかというと、それも違うと思います。
結局は、誰のせいでもないのだから叶わなかったことは諦めろ、というのがつらい現実なのでしょう。
なにが起こるか分からない中をみんな生きていて、報われないこともたくさんあって。
でも──だからこそ傍に居たいと思う気持ちが生まれて、温めあいたいと思うのだと思います。
それもいつまで共に居られるか分からないけれど、一緒に居る間にどれだけか通じ合えたなら、きっとそれはムダなことではないですよね。
志惟七ちゃんはママさんの心を温めるためにやって来て、同時に、ママさんに温めてもらうためでもあったのですね。
後悔は色々あっても、そこにあった幸せまで打ち捨てる必要はありません。
ママさんは、きっとそうすることの出来る人だと思います。
作者からの返信
須能 雪羽さま。
こんばんは。
完結までお付き合いいただきありがとうございました。<(_ _)>。
寄り添い合って行く中で、お互いに、それが、人であれそうでなくとも何かによる別れが来た時に覚悟ができるように、心を強くしてつながり合っていけたならいいと思います。
先に逝かないで欲しいと、夫に言われて来ました。
私も先に逝かれたら、その後、カナシミと言う試練とオモイデと言うあたたかみとどう向き合うか考えを巡らせる時もあります。
志惟七ちゃん……。
この『志惟七ちゃんへのラブレター』を書いていて、様々に胸をよぎるものがありました。
励ましのお言葉をありがとうございます。
大切にします。
ありがとうございます。
ぺこり_(._.)_🌼