帳簿検査

 伊刈はチーム全員を引き連れて幸徳市にあるエターナルクリーンの立入検査に向かった。

 「あの車見てください」高岩町の捨て場を見張っていたランクルが駐車場に停まっているのを喜多が見咎めた。

 「大伴社長の臨終を見届けたのはきっとあのランクルの女ですよね。こんなスキャンダルになったのに辞めずにまだ会社にいるってことですかね」遠鐘も朴念仁ではないようだった。

 「今日はそれを追及するのが目的じゃない。ランクルのことも女のことも気付かないふりをしよう」伊刈は冷静だった。

 意外なことに場内の様子は前回の訪問時と大きな差がなかった。焼却炉は前回と変わらずに稼動しており従業員が辞めた様子もなかった。不法投棄の嫌疑を受けている最中に社長が急死するという渦中の会社にしては平穏すぎる気がした。普通なら取引先から契約を切られて給料の支払いが滞り大量退職者が出るものである。

 亡くなった大伴社長の代わりに検査チームを出迎えたのは楠木産業の楠木社長だった。大伴が右腕として信用していた楠木に後継者として白羽の矢が立ったのだ。小柄ながら武闘派の楠木はチンピラからの叩き上げで、経営者としての才覚は乏しかったが表裏のない性格で信望が厚かった。

 「今のところ俺が社長代理だけど明日はわかんないよ」楠木は自嘲した。県警はターゲットを楠木に切り替え既に任意聴取を開始していた。「どっから見る? 炉は見るのか?」

 「書類の検査をしたいと思います」

 「そうか、じゃあ上に来てよ」楠木は検査チームを社長室の隣の会議室に案内した。「さてどうするね」

 「決算書と元帳を見せてもらえますか」伊刈は当然といった顔で言った。会計書類検査は検査マニュアルにはない伊刈のアドリブだった。いきなり会計書類を見せろなんて前代未聞だったが、同行していたメンバーもポーカーフェイスで成り行きを見守っていた。

 「えっあに?」楠木も予期しなかった要求に当惑した表情をした。

 「総勘定元帳ですよ。株式会社なんだからあるでしょう」

 「俺そういうのよくわかんないけど、いいよなんでも見てくれよ。全部大伴がやったことだからね。俺は余計な小細工はしないから、あんたがあるってなら経理の子に言えばあるんじゃないの」楠木は伊刈に言われたとおりの書類を持ってくるように社員に指示した。

 「ところで楠木さんは何をやったんですか」書類を待つ間、伊刈は話題を楠木に振った。

 「俺は運搬をちょこっと手伝っただけだよ。大伴は誰も信用しなかったからね。結局俺が貧乏くじを引いて逮捕されるみたいだよ。でもまあ被れってんなら被りますよ。それで終わりになるならいいんじゃないの」楠木はあっけらかんとしていた。上の者の罪を被って収監されるのは舎弟冥利と割り切っているようだった。

 「念のために言っておきますが楠木さんが逮捕されたら楠木産業の許可もなくなりますよ」

 「大丈夫。俺が社長ってのは名刺だけでほんとは取締役でも何でもないからね」

 帳簿類を持ってきたのはランクルを運転していたあの女だった。社長秘書だけではなく経理主任も兼ねていたのだ。スキャンダルに巻き込まれても少しも臆する様子がなく背筋をピンと伸ばして悠々としていた。外見の可憐さからは想像できない大した玉だと伊刈は思った。

 「喜多さん、さっそくだけど決算書を点検してもらえるかな」

 「どこから見ればいいですか」喜多は事務的に答えた。

 「まず売上高から受注量を推定してみてよ。あと外注費からは外注量だね。それとマニフェストの数量を付き合わせてみたいから」

 「わかりました。でもそれには契約単価が必要ですね」

 「料金表があるんじゃないかな。なくても契約書を見ればわかるよ。単価がまちまちだったら平均してみたらいい」伊刈はてきぱきと喜多に指示を与えた。

 喜多が決算書を調べ始めたのを見て伊刈は楠木に向き直った。「エターナルクリーンは産廃処理専業の会社ですね」

 「もちろんそうだけど」楠木は即答した。

 「ここ以外にも処分場をお持ちですね」

 「埼玉に保積(積替保管場)があるよ」

 「そこからここに来る荷はありますか」

 「あっちはあっちだからあんまり来ないんじゃないの」

 「マニフェスト(産業廃棄物管理票)の検査をしたいんですが埼玉の分もこちらにありますか」

 「さあどうかね」

 「待ってますから埼玉の分も持ってきてもらえますか。一時間もあれば持ってこれるでしょう」通常の検査ではありえない無理難題だったが伊刈は当然といった顔だった。

 「いつの分がほしいんだい」

 「四月から六甲建材が逮捕されるまでの分です」

 「そりゃそうだよね」

 「とりあえずこっちの分のマニフェストから先に見せてください」

 「わかったよ」楠木は素直だった。検査を早く終わりにしてほしいのだ。

 マニフェスト綴りはすぐに出てきた。「あんたが言ってた埼玉のも先月分までこっちに来てたそうだよ」

 「そりゃよかった」伊刈はにんまりして遠鐘と長嶋にマニフェスト綴りを渡した。「これの月計を出してみてください」

 「わかりました」遠鐘はすぐに長嶋と分担して電卓を叩き始めた。

 「総勘定元帳はまだですか」決算書の検査をしていた喜多が楠木に言った。

 「俺はわかんないから事務の者に言ってよ」

 「こちらの事務所にありますか」喜多はランクルの女を見た。

 「ございます」彼女は涼しい眼差しを喜多ではなく楠木に向けた。

 「あるなら出してやりな」

 「売掛帳と買掛帳それから契約書綴りもお願いします」喜多は絶好調だった。元帳が届くとすぐに目当ての費目を1ページずつ丹念にめくっていた。

 「ああこれだ」喜多は帳簿を叩くと伊刈に示した。

 「あったね」手を止めて帳簿を覗き込んだ伊刈も目を輝かせた。

 「領収書綴りはありますか」喜多が楠木に向き直った。

 「捨ててなけりゃあるでしょう」楠木はあくまで他人事のようだった。

 「じゃ見せてください。四月からの分です」

 すぐに領収書綴りが届けられたが雑多な費目の領収書をひとまとめに綴じただけのものだった。さすが税理士の息子、喜多は検査の要領をすっかり掴んで元帳の記載から怪しいと睨んだ領収書に付箋を付け始めた。

 「これこれ」喜多がチェックを終えた領収書綴りをめくる手を止めて伊刈に見せた。

 「やったな」

 短時間でどんどん帳簿に付箋を付けていく伊刈と喜多を長嶋が電卓を叩く手を休めて見守っていた。伊刈と喜多が会計帳簿、遠鐘と長嶋がマニフェストと計量伝票の検査を分担し、二時間余りで伊刈がほしい数字はすべて揃った。

 「楠木さん、これから検査結果をまとめますから一度部屋を出ていただけますか」

 「わかったよ」伊刈にうながされた楠木は会議室に帳簿や伝票を積み上げたまま素直に退室した。

 「それじゃまとめをしよう。喜多さん売上高はいくらだった?」

 「最近の三か月の平均で月間二億円、年間換算で二十四億円です。昨年の決算額は十五億円ですから九億円の増収です」

 「受注単価はいくらだった」

 「料金表がないので契約書で確認しました。契約単価はまちまちでキロ三十円のもあるし立米五千円のもありましたが、平均するとトン三万円程度だと思います」

 「月間二億円を単価で割ると?」

 「約七千トンですね」

 「遠鐘さん、焼却炉の能力は一日何トンだった?」

 「許可の能力は一日二十五トンです」

 「月二十五日稼動として何トンになるかな?」

 「六百二十五トンです」

 「そうすると受注が処理能力の十倍あることになるね」

 「確かにそうですね」遠鐘が感心したように答えた。

 「ダンプは何台持ってたかな」

 「十トン車三台です」

 「積載効率を一として一日各一便なら三十トン、二便なら六十トンしか運び出せない。二十五日稼動として月七百五十トンから千五百トンが運搬能力だ。七千トンはとうてい持ち込んだり持ち出したりできないね」

 「つまりどういうことでしょう」遠鐘が尋ねた。

 「処理能力の十倍の受注をして、その大半を処理せずに他社のダンプに委託して持ち出してたってことだよ」

 「班長すごいっすね」長嶋が感嘆したように言った。

 「喜多さん、他社への委託書類は確認したかな」

 「外注費の中に怪しい委託がありました。これです」喜多が広げた帳簿をみんなで覗き込んだ。

 「なんだ六甲建材ってはっきり書いてあるじゃないか。ちょっと拍子抜けだな」遠鐘が言った。

 「六甲への委託は全部でいくらだった?」伊刈が尋ねた。

 「三か月で七千万円でした」喜多は必要な数字をすべて把握していた。

 「不法投棄の相場はダンプ一台いくらだろう」伊刈が長嶋を見た。

 「一台三万円くらいだと思います」

 「だとすれば七千万円は何台分かな」

 「二百三十三台です」喜多が即答した。

 「深枠に改造したダンプ一台三十三立米として七万七千立米だ。比重をコンマ三とすれば二万三千百トンだな」

 「班長それはちょうどこの工場の三か月間の受注量です」喜多が言った。

 「つまりオーバーフロー分は全部六甲建材に行ったってわけだ」

 「すごい、ビンゴだ」遠鐘が驚いたように伊刈と喜多を見た。

 「驚くのはまだ早いよ。喜多さん、六甲への七千万円分の領収書は特定したかい」

 「ええもちろんです」喜多は付箋を短冊のように貼った領収書綴りを出した。

 「班長、これはもう不法投棄の動かぬ証拠ですね」長嶋が唸るように言った。

 「さすが税理士の卵だ」伊刈が喜多の背中をポンと叩いた。

 「いえ全部班長のおかげです」喜多はまんざらでもないように鼻をこすった。

 検査のまとめが終わったので伊刈は楠木をまた会議室に呼び入れた。「いくつか帳簿の写しがほしいんですがお願いしていいですか」

 「いいよなんでも持っていきなよ」楠木は相変わらず他人事のように答えた。

 「それじゃ帳簿に付箋をつけたページのコピーをお願いします」

 伊刈は無数の付箋がついた検査済みの帳簿や伝票綴りを事務員に渡した。写しは百ページにもなりそうだった。

 「今日検査した書類を廃棄したり改竄したりすると証拠隠滅罪になります。この罪は不法投棄よりも重いですよ」伊刈はその場に居合わせた者全員に聞こえるように声を張って楠木に釘をさした。

 「わかってるよ。書類には金輪際触らないよ。余計なことをしたら裁判が長引くじゃないか。大伴がいりゃあれこれ指図したかもしんないけどさ、今さら誰だってとばっちりを受けたくないんだし何もしないよ」現場で叩き上げた楠木の頭の切り替えは早かった。逮捕されることなどプレシャーにはならず、もう既にその先の展開を考えている様子だった。

 「六甲建材の赤磐社長をご存知でしたか」帳簿の写しが届く間、伊刈は楠木に話題をふった。

 「俺はよく知らないんだけどさ、あれは本物のヤクザだったんだろう」

 「楠木さんは違うんですか」

 「俺はただのゴミ屋だよ。ぐれてはいたけどヤクザとは違いますよ」

 「帳簿をコピーしていただく間に一応検査の講評をしておきましょうか」伊刈は手元の集計用紙の耳を揃えながら言った。

 「聞いてもしょうがないけど言いたいならどうぞ」

 「売上高は月間ベースで二億円あるようです。これは七千トンの受注に相当します。自社ダンプは三台しかなく、七千トンを運搬することはできません。焼却炉の許可証上の能力は一日二十五トンですから、これも受注量の十分の一しか焼却できません。つまり運搬についても処分についても受注量の大半が他社に未処理のまま再委託されていたということになりますね」

 「まあ不法投棄をやらかしたんだからそういうことなんだろうね」楠木は興味がなさそうだった。

 「焼却できなかった廃棄物はどうされていたかご存知ですか」

 「さあ俺はわかんないよ。六甲に行ったんじゃないの」

 「六甲建材への委託は領収書で七千万円確認できました。不法投棄の相場をリュウベ千円とすれば七万立米になります。比重をコンマ三として二万トン。これは三か月分の受注量に相当しますね」

 「そうなるかね」

 「つまりエターナルクリーンは焼却能力の十倍の廃棄物を受注し、未処理の廃棄物を六甲建材に運搬していたということになります」

 「うんそれで俺が大伴の代わりに逮捕されるってんだからそういうことなんだろうね。だけどね俺はほんとはなんも関係ないんだよ」

 「楠木産業との取引も確認しましたよ。いくらかここから委託された廃棄物がありましたが数量的には少ないですし書類上は問題ありませんでしたよ。楠木産業は不法投棄とは無関係だと思います」

 「あんたすげえな。どうして俺を疑わないんだ。警察は濡れ衣を着せようとしてるのに」それまで斜に構えていた楠木はいくらか真顔になって伊刈を見返した。

 「帳簿を見ればわかりますよ。大伴社長はお金はきちんとしてたようですね。それとも経理の担当が優秀だったのかもしれませんが」伊刈はちらりとランクルの女を見た。彼女は知らん顔をしていた。

 「それでこの会社はどうなるの? 結論だけ教えてよ」

 「刑事処分があれば許可も取消しになるだろうと思います」

 「そりゃそうだよね。そのためにあんたら来たんだものな。それにしてもあんた随分できるんだと思うけどさ、あんまりやりすぎてもいけないよ。この業界は怖いからね」楠木は伊刈に何かを諭したい様子だった。三十分ほど待つと、請求した書類の写しがすべて届いた。

 「検査はこれで終わりです」伊刈は立ち上がった。

 帰りがけランクルの女が伊刈にそっと近付き小声で言葉をかけた。会話の内容は他のメンバーには聞き取れなったが、伊刈が緊張したのはわかった。長嶋が警察官らしく怪訝な顔で二人を見守っていた。

 「ランクルがありませんね」事務所を出るなり喜多が小声で言った。検査チームが来た時には駐車場にあったランクルが確かに消えていた。例の女はまだ事務所内に残っているはずだから必ずしも彼女の専用車ではなかったようだ。

 「胸のすく検査でしたね。あんな鮮やかな手際は初めて見ました。警察じゃあんなのは絶対ムリです。やっぱり班長は違いますね」帰りの車中、長嶋は興奮していた。

 「会計帳簿を検査するっていつから決めてたんですか」遠鐘も気になる様子だった。

 「喜多さんと事前に相談しておいたんです」伊刈はあっけらかんと答えた。「マニフェスト綴りだけを調べても不法投棄のマニフェストはそもそも作っていないんだから出てこないでしょう。でも会計帳簿と照合したらマニフェストのない取引つまり不法投棄がわかるって考えたんだ」

 「なるほど」遠鐘が膝を打った。

 「ほんとに先輩わかってるんですか」喜多が皮肉を言った。

 「不法投棄だってダンプに代金を払ってる以上領収書は作ってるだろうし帳簿にも記載するはずだ。経費で落とさなければ税金がかかってしまう。収入は隠しても払った金は隠さないよ」

 「班長には誰もかないませんね」運転席の長嶋が言った。

 「不法投棄って金儲けなんだよな。別に誰も環境を壊そうと思ってやってるんじゃないんだ」

 「不法投棄は動機としては金儲けかもしれないですけど、やっぱり結果としては環境問題なんじゃないですか」遠鐘がちょっと不満そうに言った。「第一、環境問題じゃなかったら環境技師がいる意味がないです。僕も一応技師の端くれなので」

 「まだ全部がはっきりしたわけじゃないんだ。今日わかったのはエターナルクリーンから六甲建材に行った産廃が七千万円で七万立米あったってことだけ。だけど六甲の現場にはその三倍以上の産廃が来てるんだ。つまりエタを通していない産廃がその倍もあるってことじゃないか」

 「それを調べる方法があるんですか」遠鐘が言った。

 「六甲建材の帳簿が入手できればわかるかもしれないけど、あそこは産廃業者じゃないから立ち入れない。あとは布袋産業ルートで何かわかればだな」

 「班長、今日の成果でもう十分じゃないですか。技監も深入りはするなと言ってましたよ」長嶋が心配そうに言った。

 「まあそうだけどね。なんかエタは本命じゃないって気がするんだよね」

 「班長みたいな人がうちの会社(県警)にも欲しいっすねえ」長嶋がしみじみと言った。思い付きで始めた会計書類検査だったが伊刈はその手ごたえを確かに感じていた。

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