調査解禁

 警察からはあっさり調査の承諾が得られ、翌日にはチーム全員で高岩町に向かった。

 「始めますよ」伊刈は環境事務所に復帰したばかりの長嶋に話しかけた。

 「何をですか」

 「遅ればせですが出陣です」

 「役所が実力をつけてくれるのは警察にとっては大歓迎です。それでなくっちゃダブルスは組めませんよ」

 「ダブルス、そのたとえは気に入りましたね。どっちがメインプレーヤーか勝負しましょう」

 「班長が組手なら不足はないすね」

 この日に限っては現場のスーツ姿がすっかりトレードマークになっていた伊刈もさすがに半袖の作業服に着替えていた。それまで履いたことがなかったレースアップの安全靴で足元を固め、手には軍手を嵌め、日よけのタオルを首に巻いた姿はどこからどう見ても違和感があった。チームは意気揚々と出陣した。

 夜ごと百台近いダンプが通行していた進入路の農道は、打って変わって静かだった。しかし、杉林の切れ目から捨て場が全容を表した。さらに高さを増した高岩富士を見て、長嶋以外のメンバーが一様にうなった。長嶋は複雑な表情だった。

 「始めるぞ」めげない伊刈の号令でメンバー四人はゴミの斜面に一斉に取り付いた。エベレストや富士山の清掃登山がなにかと話題を集めているが、ゴミだけでできた高岩富士の登山は格別だった。

 伊刈と遠鐘は中腹の斜面をそろって掘り崩した。化石採取が趣味だというだけあって遠鐘はゴミの掘り方も容量を得ていた。

 「僕は化石採取が趣味なんですけど、不法投棄現場もいつか貝塚のような遺跡になるのかななんて思ったりしますよ。ゴミも時代を反映するのです。新しい現場と古い現場では全然違います」

 「やっぱり見方が違うね。十年間でゴミはどう変化したと思う?」

 「国の統計では建設系が多いんですけど、あれは発見しやすいからじゃないですか。僕の見たとこでは古い現場では鉱滓、建設汚泥、シュレッダーダストが多いです。その後、プラスチックゴミが多くなったようです。建廃が増えたのは野焼きが禁止されてからです」

 「不法投棄問題をどう解決したらいいと思う」

 「大きな処分場を行政が作って安く受ければ解決しますよ」

 「処分場が足らないから不法投棄せざるをえないって論法だね。だけどそれじゃ辛沢と同じになっちゃうよ。そういう直感的に納得しやすい理屈って実は違うんじゃないかな」

 「長嶋さんが言ってたとおり駐車場が足らなければいくら取り締まったって駐車違反はなくならない。そういうことですよ」

 「つまり永遠のもぐら叩きってことか」

 「班長ゴミに集中しましょう」

 「そうだね」遠鐘にたしなめられて伊刈はいつのまにかおろそかになっていた手もとを動かした。

 しばらくするとその場は遠鐘に任せて、伊刈は頂上付近で証拠を探している喜多に近付いた。

 「証拠探しってけっこう面白いですね」喜多はやる気満々だった。

 「このあたりは意外と紙くずが多くないか」

 「ほとんど都内のオフィスゴミみたいですね」喜多が答えた。不法投棄現場で発見される産廃は建物の解体物や食品パッケージに使用されるプラスチックフィルムが代表的だった。しかし喜多が掘っている場所はオフィスから廃棄されるミックスペーパー(雑多な紙くず)が目立った。

 「紙くずって製紙工場で再生されないのかな」

 「コーティング紙やラミネート紙は再生紙にできないんですよ」

 「詳しいじゃないか」

 「技監の受け売りです」

 伊刈は長嶋が調査している高岩富士の北斜面へと向かった。そこはゴミが崩落して危険な場所だった。

 「夜見るのと昼見るのは違いますね。自分は夜の張り込み担当でブツは見なかったんですがこいつはまずいっすね。班長の言うとおりもっと早くやめさせてればねえ」

 「警察には警察のやりかがたあるんだからしょうがないよ。警察ができないところは役所がフォローすればいい」

 「役に立たなくてほんとすいません」

 「結果論だけど警察が動かなかったら今日もこの現場動いてたかもしれない」

 おもしろいように証拠が拾えるので暑くなければ何時間でも探していたかった。だけど体力の限界がすぐに来た。暑い、とにかく暑かった。六月としては異例の猛暑日で、強烈な日差しが頭上にギラギラ輝き、斜面に散らかった紙くずの照り返しも半端じゃなかった。発酵した廃棄物からはサウナのようにむんむんと陽炎のような蒸気が上がってきた。熱気の三重奏は殺人的で、ものの十五分としないうちに体中の毛穴という毛穴から汗が噴出してきた。玉となって流れる汗が沁みて目も開けられなかった。とりわけ暑さが苦手な伊刈の作業服は表まで汗だくで絞れるほどだった。

 「みんな休憩しよう」伊刈が干からびた魂を喉から吐き出すように号令した。

 「よかった、死ぬかと思った」喜多ががっくりと肩を落とした。

 事務所を出発するときは最低二時間やろうと申し合わせていたのに三十分でタオルが投げられた。それがギリギリだった。あと十分続けたら誰かが熱中症で倒れただろう。すぐに全員が日陰に避難した。そこは砂漠のオアシスみたいに涼しかった。準備しておいたペットボトルの水を頭から被ると、乾き切って消耗した体がみるみる回復するのが実感できた。

 「やばい」伊刈が汗を拭きながら言った。

 「どうしました?」遠鐘が反応した。

 「時計の液晶が浸水してる」

 「それって三十気圧防水のGショックじゃないんですか?」遠鐘は黒く潰れた文字盤を覗き込んだ。

 「急いで電池交換したんで加圧してもらわなかったんだ」伊刈は壊れた腕時計をポケットにしまった。

 涼んで落ち着いてから集めた証拠を整理した。僅かな調査時間にもかかわらず排出元を特定できそうな証拠が四十点以上も集まっていた。

 「これはなんでしょう」喜多が山頂から拾ってきた書類の束を拾い上げた。

 「役所への申請書じゃないですか。でも印紙がそのままですね」遠鐘が指摘した。

 「まずいな」喜多の指摘に伊刈は眉をひそめた。消印のない印紙が何百万円分散らかっているかわからなかった。

 「どうしますか」長嶋が伊刈を見た。

 「拾われて悪用されるといけないから、とりあえずこれだけは全部回収していこう」

 「そうすね」

 全員で印紙の貼られた書類を捜しに殺人的暑さの斜面に戻った。収集した証拠を詰めた袋でXトレールのリアハッチの中は満杯になった。

 事務所に帰ると収集した証拠を囲んでミーティングが始まった。

 「さてこれをどうするかだな」伊刈が言った。

 「警察だったらまず証拠品のリストを作成し、それからチャートを作ります」長嶋が答えた。

 「チャートって?」

 「ルート表です。A社が出した廃棄物をB社が運搬し、C社の処分場で処理し、そこからまたD社が運搬しといった具合にスタートの排出現場からゴールの不法投棄現場までつないで行きます。ルートは一本ではなく途中で複数に枝分かれしたり逆に一社に集まったりします」

 「面白いなあ。それで行こう」

 「でもどうやってそれを調査するんですか」遠鐘が聞いた。

 「まずは証拠の排出元を特定して連絡先を調べます。これがスタートです」

 「アミダクジみたいなものですね」喜多が言った。

 「スタートとゴールが一対一に対応しないアミダクジがあるならね」伊刈が応じた。

 「最初の排出元がいきなり不法投棄したってケースは少ないでしょうから、リストができたら電話で取引先の収集運搬業者を聞き出します。班長の言うとおり廃棄物は一種類じゃないですから取引先も一社とはかぎりません。プラスチックと金属では処理の委託先が違うかもしれません。証拠に日付がついていた場合はそれも先方に伝えます。時期によって取引先が違う場合があります」

 「さすがプロだなあ」遠鐘が感心したように言った。

 「だけど電話でほんとのこと言うでしょうか」

 「自分が不法投棄をやってないんなら嘘をつく必要もないんじゃないか。むしろほんとのことを言った方が早く疑いが晴れる」伊刈が喜多に答えた。

 「かといって不法投棄やりましたと言う業者もないでしょう」遠鐘が言った。

 「地道に裏を取っていくしかないですよ」長嶋が繰り返した。

 「産廃業者を呼び出して聴取するのがいいんじゃないか」伊刈が言った。

 「電話でダメな場合は呼び出しがいいと思います。警察ならこっちから捜査員が行きますが、うちは人手がないですから全部聞き込みで調べるのはムリです」

 「わかった。今日はリストの作成。明日からは全員で電話大作戦だ」伊刈が号令してミーティングが終わった。

 その日のうちから収集した証拠を使ったチャート作成作業が始まった。自分が発見した証拠は覚えているし特別の思い入れがあるので、自然とリストも自分で作成した。リストができると電話番号を調べた。食品のパッケージなどにはお客様相談室などの連絡先が記載されていたが、多くの証拠は社名しかわからないので、104(電話番号案内)やインターネットによる調査となった。インターネットがない時代だったら調査は困難だっただろうが、どんな中小企業でも最近はホームページくらい持っていた。

 明日からの調査を待ちきれずに喜多が電話をかけ始めた。「私は犬咬市庁東部環境事務所の喜多と申します。そちらの社名の書かれた廃棄物を犬咬市の不法投棄現場で拾得したので担当の方にお尋ねしたいのですが」初めてにしてはそつがなかった。

 「はあ、あのちょっと待ってください」電話口に出た女はあわてて受話器を保留にした。しばらくして男の声に代わった。

 「資材課長の杉並と申しますがどのようなことでしょうか」

 「そちらの社名の書かれた廃棄物を犬咬市の不法投棄現場で拾得しましたので調査にご協力願えますか」

 「具体的にどのような廃棄物でしょうか」

 「事務所の廃棄書類です。証拠をご覧になりたいのであれば御社の社名がわかる証拠のコピーを何枚かFAXでお送りします」

 「お願いします」

 喜多は証拠のコピーをFAX送信してから電話をかけ直した。

 「拝見しました。確かに当社の書類です。下打ち合わせのレポートです」

 「そちらが廃棄された物に間違いないんですね。排出された時期から考えて廃棄物の運搬や処分を委託された業者を特定することは可能ですか」

 「そうですねえ、この時期ですと出した可能性のある収集運搬業者は二社ですね」

 「処理委託契約書やマニフェスト(産業廃棄物管理表)を作成されていましたらFAXで送ってもらうことはできますか。それから紙くずですから一般廃棄物として出した可能性はどうですか。古紙のリサイクルはやってますか。出した可能性のある業者はすべて教えてほしいんです」

 いつもは現場にばかり出かけている監視班の四人がデスクに証拠のゴミを積み上げて一日中電話をかけ続けている様子はまるで企業のオペレーションセンターのようだった。隣の保全班のメンバーが奇異な目で見守ってその様子を眺めていた。仙道は口出ししたくなるのを我慢して四人の仕事ぶりを見守っていた。

 調査方法は単純だったが証拠点数が多い上にどの廃棄ルートも一筋縄ではいかなかった。廃棄物の処分にかかわっている可能性のある委託先業者は産廃業者と一廃(一般廃棄物、家庭ゴミやオフィスゴミ)業者に限られるわけではなく、解体業者、物流業者、引越しセンター、ビル清掃業者、古紙問屋、金属商、古物商、内装バラシ業者、電気工事業者など多彩だった。最初の委託先を特定する段階で聞き漏らしがあると後でフォローできない。気の抜けない細かな作業になった。

 電話大作戦を一日中続けた結果、廃棄物の排出元から委託を受けたチャート二層目の業者がほぼ特定された。

 「調査結果を集計したところ収集運搬業者が十七社、処分業者が五社、古紙回収業者が二社浮かび上がった。中には複数の証拠が重複する業者もあった。どの業者があやしいかまだ断定はできない。これからどうするかだ」伊刈がミーティングの口火を切った。

 「呼び出すんでしたよね」遠鐘が言った。

 「素直に呼び出しに応じればだけど、ほとんど県外の業者ばかりだしどうでしょう」喜多が疑念を呈した。

 「とにかくやってみないと」

 「産廃業者は役所の許可がないと仕事ができないんだから逃げも隠れもしません。呼び出しても応じないなら立ち入りもできます。かえって警察より役所のほうが権限が大きい気がします。警察は外堀を埋めてから最後にガサ入れしますが役所はそんな面倒な段取りをしなくてもいいですから」

 「長嶋さんの言うとおり役所には許可取り消しって奥の手がある」

 「市外どころか県外の業者がほとんどです。許可は取り消せないですよ」遠鐘が言った。

 「なら通報すればいいだろう」

 再び電話大作戦が始まった。最初の排出業者の段階では調査に協力的な会社が多かったが、産廃業者に聴取する段階になるととたんに抵抗が大きくなった。

 「そちらの会社に委託された産廃が犬咬市の不法投棄現場で発見されたのでお電話しました」遠鐘は慎重に言葉を選んで電話をかけた。

 「冗談じゃないですよ。うちはちゃんと処理していますよ。不法投棄とは関係ありません」電話口の担当者はきっぱりと嫌疑を否認した。不法投棄に関与しましたと認めるはずがなかった。

 「そちらが不法投棄したと言っているわけではありません。ちゃんとした業者まで運ばれたんでしょうから、その運搬先を教えてもらえませんか」

 「たくさんあるんだよ。物によっていろいろだろう。全部はムリだね」

 「期間と品目を特定すればそんなに多くはないんじゃありませんか」

 「毎日違うところに運ぶんだよ。どこかわかるわけないだろう」

 「排出元からは御社に出したというマニフェストをいただいております」

 「どこの最終へ出すって書いてあるんだ?」

 「最終処分場でしたらヤスオカ産業です」

 「そこには出してない。もう一杯なんで拡張の申請中なんだよ。それでナカトモに振り変えを頼んだんだよ」粘っているうちに取引先の業者をぽつぽつと漏らし始めた。

 「収集運搬の仲本産業がマニフェストのとおりに運搬してないってことですね。どこの最終に振り変えたんですか」

 「今さらそんなことき聞けないだろう。あんたらが調べるのは勝手だけど、うちから教えたって言わないでもらいたいね」

 「わかりました。慎重に調査すると約束しますよ」

 こうして辛抱強く調査を進めていくにつれて産廃処理の複雑なネットワークが少しずつチャートに書き加えられていった。

 一週間ほどで電話大作戦が終わりチャートが完成した。大半の証拠は複数のルートを介して最後にはエターナルクリーンに集中していた。ダンプの追跡をやらなくても証拠調査だけでエタと六甲の現場の関係を立証できたわけだ。ただし印紙が貼られていた書類のルートだけはちょっと違っていた。これは産業技術庁が二年前に移転したときに廃棄されたものだと判明した。委託先の収集運搬業者は布袋産業という会社だったが連絡が取れなかった。電話の呼び出し音だけは鳴るのだが誰も出ない。そのため布袋産業から先のチャートが途切れてしまった。

 「どういうことだろう」伊刈は長嶋に相談した。

 「たぶんですがガサ入れを察知して逃亡したんだと思います」

 「ガサ入れの対象になってたの」

 「入ってはいませんでした。産業技術庁の証拠が出たことは所轄も知りませんので」

 「じゃなんで逃げたんだろう」

 「事情通がいるんでしょうね」

 「証拠調査だけでは不法投棄への直接的な関与を認めさせることは難しいってことか」

 「今回は間が悪いですね」

 「やっぱり警察的な内偵をやるしかないのかな」伊刈はチャートを眺めながら考え込んだ。

 「とりあえず敵情視察してみませんか」

 「敵情視察?」

 「布袋の様子を見に行ってみましょう。そうすれば逃亡したのか居留守を使っているのかわかると思います」

 「それもありだな」

 伊刈と長嶋は二人で西東京市に向かった。都心を通り抜けたところで高速を降りると武蔵野の面影を残す木立に囲まれた胡桃公園があった。絵心もないのに美術鑑賞の趣味がある伊刈は公園内の美術館にたびたび訪れたことがあった。布袋産業の本社は公園の正門から二百メートルとは離れない路地に面した小さな雑居ビルの三階に見つかった。

 「近くには何もないすね。収運やってるなら駐車場くらいあってもよさそうすよね」長嶋が言った。

 「受注の窓口業務しかやらない百パーセントトンネル受託の会社なのかもしれないね」

 ビルの一階には布袋産業の表札が残っていた。階段で三階まで上ると鋼鉄製のドアがあった。インターホンを押しても扉をノックしても応答はなかった。ドアの奥に人の気配は感じられなかった。

 「やっぱりもぬけの殻らしいっすね」

 「最初から幽霊法人なのかもな」

 「もう少しあたりを調べてみますか」

 ビルを離れた二人は少し範囲を広げて周辺を踏査してみた。布袋産業との関係はわからないが小さな産廃の保管場があった。ひっきりなしに四トンダンプが入ってきては産廃をあけていった。看板にはくるみ興業と書かれていた。

 「産廃業者らしいのはここだけか」

 「そうすね」

 伊刈は理由もなくこの会社が気にかかったので何枚か写真を撮影しておいた。

 「これからどうしますか。エタを呼び出してみますか」

 「チャートを逆流する方法もあるんじゃないか」

 「逆流?」

 「こっちから出向いてエタの帳簿を調べて布袋との取引関係を立証する。布袋が受けた廃棄物が不法投棄されたのは間違いないんだから取引関係がある可能性は高いよ。布袋が駐車場も車もない窓口だけの会社だとすればどこかに再委託してるはずだ」

 「諦めないってことすね」

 「産業技術庁の証拠を簡単に諦めるわけにはいかない。それにこういう微妙な証拠、警察じゃかえって二の足を踏むでしょう」

 「警察が調べてることがマスコミに漏れただけでオオゴトですからね」

 「そうと決まったらとりあえずエタの立ち入り検査だ」

 「班長、さすがっすね

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