高岩富士

 監視チームは連日パトロールに出かけはしたものの、肝心の高岩町を避けていたずらに市内を巡回するばかりだった。僅か一か月後には高岩町に積みあげられた産廃の山が杉の梢を超えた。

 「あれ、見てください。ほんとに高岩富士だ」喜多が日に日に高まるゴミの山頂を指差した。

 「長嶋さんはいまごろ何してるのかな」遠鐘がぼそりと言った。

 六甲建材の捜査がどうなるのか気が気ではなかったが、他の穴屋たちの動向も予断を許さなかった。日銭稼ぎの穴屋たちがいつまでも活動を自粛し続けられるはずもなく、活動再開の機を伺っているに違いなかった。

 「そろそろ高岩富士に行ってみるか」伊刈が言った。

 「だめですよ、技監に怒られます。長嶋さんにも迷惑がかかりますよ」喜多が新人らしからぬ言葉でたしなめた。

 「現場の内偵はもう終わったって聞いてるよ。今は裏づけ捜査の段階だそうだ。昼間の搬入は完全にやめたみたいだし今のうちなら大丈夫じゃないか」

 「でも…」

 「ちょっと見るだけだから。喜多さんだって本音は見たいでしょう」

 「そりゃまあそうですけど」

 禁足令が出されてから遠ざかっていた高岩町の林道へ久しぶりに向かった。入口は以前と何も変わっていなかった。夜毎百台近いダンプが集まっているとは信じられない静けさだ。ぬかるんでいた轍がガラで埋められ路面がしっかり踏み固められたおかげで見違えて走りやすくなっていた。路肩の杉の幹にこびりついた泥の厚さだけが激しい通行の名残りだった。林道を進むにつれて木立の先に産廃の山の偉容が現れた。見上げるほどの高さに様変わりした捨て場には絶句するほかなかった。まさに高岩富士だった。里見工業が積み上げた隣の山が箱根程度に見えた。

 現場に誰もいないのを確認してから三人は今にも崩れそうな角度に積み上げられたゴミの斜面を登った。頂上からは里見工業の土手越しに柿屋の処分場を見渡せた。林道を挟んだ反対側には三塚兄弟が谷津に流し込んだ産廃が休耕田にできた池に崩れ落ちていた。北の県境には富根川が横たわり、その遥か北方には鹿志摩臨海工業地帯の煙突群が霞んでいた。東は富根川河口に広がる犬咬市の旧市街から太平洋の彼方まで、周囲に視界を遮るものは何もなかった。高岩富士は犬咬丘陵の最高標高点になっていた。

 「やられたな。いったいこの山どうするんだ」いつもは冷静な伊刈が切れたように言った。

 「展望レストランができますよ」喜多が冗談を言ってもみな苦笑するばかりだった。

 「警察は逮捕すれば終わりだけどゴミを片すのは市なんだろう。逮捕するために棄てさせるなんて本末転倒だな。禁足令なんか気にしなけりゃよかった」伊刈は怒りを露にした。

 「大きさを測って見ますか」遠鐘は意外に冷静だった。

 外周を歩測したところ、間口七十メートル、奥行き二百メートル、高さ二十メートル、ざっと二十万立方メートルの廃棄物が積まれていた。さらにその下にはかつて風見環境が埋立てた廃棄物も眠っていた。ここだけで三十万立方メートル以上の産廃が捨てられている計算だった。

 「車が来ます」喜多の言葉に全員が林道を見下ろした。例のランクルが現場の近くまできてXトレールを発見して急停車した。どうするかと見守っているとそのまま静かに引き返していった。誰が乗っているのかは確認できなかった。

 「追いますか」喜多に聞かれるまでもなく伊刈は先頭を切ってゴミの山を駆け下りていた。キーを持っていた喜多が運転席に飛び込みXトレールはフルスピードで林道を逆走した。だがすでにランクルのテールランプはどこにも見えなかった。

 「逃げられたか」農道に出るT字路で喜多がハンドルを叩きながら残念そうに言った。

 「きっと国道方向に行ったはずだよ」

 「わかりました」喜多は伊刈の言葉に反応してアクセルを踏み込んだ。県道から国道に出る坂道にさしかかったが、やっぱりランクルは見えなかった。

 「東京方面へ」

 「了解」喜多は伊刈の指示どおり迷わずハンドルを切った。

 「あっあそこ。コンビニの駐車場にランクルがいますよ」目ざとい遠鐘が最初に叫んだ。

 「ほんとだ」喜多は駐車場をやりすごして国道の路肩にXトレールを停めた。

 「どんなやつが乗ってるんでしょうねえ」

 「死んだマルボーの幽霊とか」伊刈の冗談には誰も反応しなかった。

 「女ですよ」遠鐘が小さく叫んだ。コンビニから出たサングラスの女がランクルに近付くのを全員が息を飲んで見守った。

 「すごい美人ですね。スタイルもすごい」喜多が放心したように言った。

 「相方がいるんでしょうか」朴念仁に見えた遠鐘も女には興味があるようだった。

 「どっかで見たような気がするなあ」伊刈は考え込むように額を拳で押さえた。

 「自分で運転するみたいですね」遠鐘が言った。

 「追跡します」喜多がチェンジレバーをDに入れた。

 「待って」伊刈が喜多の暴走を止めた。「尾行がついてるかもしれない」

 「思い出しました」喜多が膝を打った。

 「エタの社長室にコーヒーを運んできた女だろう」伊刈が喜多を見た。

 「気づいてたんなら言ってくださいよ。やっぱりエタと六甲はつながってたんだ。まんまと騙されたってわけですね」喜多が悔しそうに言った。

 「椿がエタの社判を偽造するなんて考えてみればありえなかったよ。あの社長じゃそんなことしたら椿だろうが誰だろうが半殺しだよな」伊刈も悔しそうだった。

 「この業界にほんとなんてないんですね。みんな嘘ばっかりだ。でもなんのためにあの女ずっと現場にいるんでしょう」

 「死んだマルボーの女だったとか」遠鐘が小指を立てた。

 「案外それって冗談じゃないかもな。いずれにせよエタの社長の愛人てだけでもないみたいだ」

 「どういうことですか」喜多が興味津々で伊刈を見た。

 「それより六甲に行ってみよう。たしか佐崎市だったよな」

 「住所はわかると思います。なんだかおもしろくなってきましたね」喜多が再びアクセルを踏み直しながら言った。

 「行って大丈夫ですか」遠鐘が心配そうに言った。

 「禁足令が出てるのは高岩町だけだよ。佐崎市に行くなとは言われていない。張り込みがついてるかもしれないけど前を通過するだけならかまわないだろう」

 佐崎市を縦貫する国道をJR沿いの市道に左折して一キロメートルほど行ったところに六甲建材の本社兼社長宅があった。畑のど真ん中には場違いなハリウッドかマイアミにでもありそうな洋館の豪邸だった。別棟の事務所は軽量鉄骨総二階建てで、一階のガレージにはこれ見よがしにロールスロイス、ベントレー、ベンツ、マセラティ、マルボーが好きそうな高級車ばかりが並んでいた。

 「随分羽振りがいいんですね。あとフェラーリとBMWがあれば完璧ですね。不法投棄ってそんなに儲かるんでしょうか」喜多が羨望の眼差しで豪華な車列を眺めた。

 「ちょっと違うかもな」伊刈が喜多の夢に水を差した。「不法投棄じゃなくもっと前のバブルの頃に本業の基礎工事で儲けたんだろう。古い車ばっかりで新しいのがないだろう」

 「そういえばそうですね」

 「田舎の土建屋が外車を五台も持つなんて生活はいくらフロントだって今はもう難しいだろう。不法投棄なんかに手を染めたところを見ると資金繰りに困ってるんじゃないかな。どうせ儲けは上の組織に持っていかれちゃうんだろうな」伊刈の分析には説得力があった。

 「外車を見ただけでそこまでわかっちゃうなんてすごいな。だから赤磐のやつあんなにいらついてたんですかね」

 「あいつはわけもわからずにいきがってただけだろう」

 「班長あれ見てください」遠鐘が赤磐の自宅前に止まっているランクルをみつけた。

 「どういうことでしょう」

 「あの女二股かけてるってことかな。それともエタも六甲も上は同じってことか」伊刈は思案げに腕組みをした。

 「あ、救急車です」喜多が叫んだ。

 みるみる救急車が対向車線を疾走してきた。喜多は路肩に車を寄せてやりすごした。ドップラー効果で減衰していくサイレンの音が突然止んだ。

 「事務所の前で停まりましたね」バックミラーを見ながら喜多が言った。全員がリアウィンドウの先を注視した。若い衆が救急隊員を最敬礼で出迎えるのが見えた。

 「怪しまれないうちにここを離れよう。誰が倒れたのかは後で確かめればいい」カラクリがすっかりわかってしまったのか伊刈は静かに目を閉じた。

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