刺身定食

 長嶋の運転でXトレールは犬咬駅前通りへと向かった。戦後すぐに復元されたレトロな駅舎から漁港道路に向かってまっすぐに伸びた駅前通りは田舎町には似合わない六車線の大通りだったが、通行する車両もまばらで路肩には駐車違反車両がずらりと並んでいた。それも二重駐車だった。戦後の高度成長期には美しい海岸線、白亜の灯台、豊富な海産物を目当てにして、駅から溢れるように押し寄せる観光客目当ての食堂が何軒もあったが、モータリゼーションの普及と反比例して特急を利用する観光客が激減したため閉店する食堂が増え、わずかに残った店は地元の胃袋になっていた。監視班の馴染みの店は駅から徒歩一分の二軒並びの小さな食堂だった。長嶋は左手の店の暖簾を潜った。注文した地魚ぶつ切り定食はすぐに届いた。全国有数の水揚げを誇る漁港から届いたばかりの新鮮な地魚の刺身定食だった。

 「千円でこれなら毎日でも来たいな。お客はみんな長靴だし、いいとこだな」

 アジ、サンマ、タコ、近海マグロなどのぶつ切りがてんこ盛りになった皿と山盛りのご飯を前にして伊刈は大満足だった。

 「犬咬の食堂はどこでもこんな感じです。盛りが悪いとダメみたいです。カキフライの有名な店なんかもありますが、やっぱり青魚が地元らしくていいすね」長嶋が説明した。

 「こんな刺定が食べられるだけでも犬咬に来たかいがあったよ」

 「ほんとすか班長」

 「ぼったくりの観光地価格じゃないのがいいね。こんな正直な町なのになんで不法投棄が多いのかな」

 「やってるのはみんな余所者なんすよ。ゴミはみんな余所の都県から来るし現場やってる連中も地元の者は少ないっすね」

 「正直だから余所者になめられてんのかな」

 「どうすかね。地元のもんはあんまり先のこと考えてないんじゃないすか。漁港ってのはどこもこんな気性っすよ」

 「さっきの辛沢だけど現行犯逮捕できないんですか」琴線に触れる伊刈の質問にメンバーの箸が止まった。

 「班長に講釈するのはおこがましいですけど現行(犯)は難しいっすね」

 「長嶋さん一人じゃムリってことなら所轄に頼んだらどう」

 「そういうことじゃないんすよ。説明は難しいんすけど」長嶋は他の客に聞かれやしないかと用心しながら小声で答えた。

 「不法投棄やってることは明らかなのに捕まえなかったら増長するばかりでしょう」

 「逮捕しても起訴できるかどうか微妙なんすよ。産廃を出した者、運んだ者、埋めた者が揃っていて、それが法の何条に違反するか容疑が固まって、証拠も揃って初めて不法投棄として起訴できるんです」

 「逮捕してから追求すればいいんじゃないのかな」

 「黙秘されたらそれまでなんすよ。辛沢だけ挙げても上の黒幕が手付かずでは検事が乗り気になりません。内偵で上まで調べがついてからじゃないと検挙は難しいんです。それにここだけの話ですが」長嶋はまた周囲を気にしながら喉を絞った。「(区検の)検事のノルマが一年に一件なんで所轄当たりじゃ三年に一件になるんです。だから大きなヤマじゃないと本社(県警本部)も動かないし、辛沢みたいな雑魚の相手はできないんすよ」このノルマは後に警察庁の通達によって撤廃されたが実際に存在した。当時は不法投棄事犯の刑罰が軽く検事にとって優先順位が低かった。

 「結果的に目の前で不法投棄やってるのに見逃すってことですか」

 「所轄としちゃあ現行でもいいんすけど、やっぱり検事がねえ」

 「検事のノルマが結果的に不法投棄をやり得にしてるってことは言えないかな」

 「それは俺の口からは言えないっすね」

 「なんか引っ掛かるなあ」

 「警察にすれば産廃は行政の問題だって意識が強いんすよ」

 「犯罪なのに」

 「そりゃまあそうなんすけど駐車場が足らないのに駐車違反をいくら取り締まっても切りがないってのと似てるんすかね。不法投棄も処分場が足らないのがそもそもの問題じゃないかってのがうちの会社(警察)の上の方の考えなんすよ。悪い言い方をすれば行政の不手際の尻拭いをさせられてるって被害意識もあるんです」

 「確かに駐車場不足も処分場不足も行政の仕事だけど、行政は警察頼み、警察は行政頼み、そんなキャッチボールしてたんじゃ埒が明かないんじゃないかな」

 「俺から逆に聞きますが班長ならどうするつもりすか」

 「すぐには思い浮かばないけど今のままでいいとも思わないなあ」

 「俺は班長についていきますよ。考える頭がないっすから言われたことしかできないっすからね」

 伊刈は煮え切らない思いながら刺定の残りに箸を戻した。伊刈の箸の持ち方はちょっと変わっていた。親指、人差し指、中指の三本だけを使い薬指を使わないのだが不器用には見えなかった。四、五歳の頃、箸の使い方を教えようとした母親に向かって「自分で工夫するから」と断った。何事も定式を教えてもらうのが嫌いな子供だった。

 「さっき辛沢が言ってた高岩町、午後から行ってみませんか」伊刈と長嶋の険悪なムードを断ち切るように喜多が言った。

 「どんなとこかな」

 「森井町ほどじゃないすけど不法投棄多発地帯になっている林道が一本あります。昨日逃げた里見が逮捕された現場もそこにあったんです。今は三塚兄弟が活動中です」長嶋が説明した。

 「兄弟?」

 「弟は収監中ですが」

 「それじゃ辛沢が言ってたのは兄貴の方ってことかな」

 「三塚なら辛沢と同じ神洲の出身ですからチクらないと思います」

 「なるほど」

 「とりあえず柿屋に寄ってみましょう。何かわかるかもしれません」

 「かきや?」

 「社長が柿木(かきのき)と言うんです。それでなんとなく屋号がそうなってまして。やっぱり自社処分場なんですが、他とは違って事務所があるものですから穴屋の溜まり場になってるんです。ここで手口を覚えた新参者も多いみたいす」

 「穴屋ってのは」

 「産廃の穴を掘るから穴屋です」

 「つまりそこは穴屋のサロンてことか」

 「そんなしゃれたものじゃないです。小さなプレハブ小屋すよ。タレコミ屋も兼ねていましてね、ネタを警察に流してくれます。まあどっちつかずのネタですが」

 「まさかそれでお目こぼしになってるとかないですよね」

 「それはどうなんすかね。気の置けない親父っすよ」

 「じゃ出掛けましょう」昼食は三十分で終わりになった。

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