キレイな部屋

のばら

SS


「私の部屋はいつだってキレイよ」


 そう言った彼女の部屋は、常に物で溢れかえっていてお世辞にもキレイとは言えなかった。

 白い床に白い壁、白い天井に、同じくらいに白い家具。カーテンはうっすらと黄味がかっていて太陽の光をたっぷりと吸い込んでは部屋の中を柔らかく照らしていた。

 一面の白を彩るように、床には赤、青、緑とカラフルな花瓶が並べられて、壁には彼女が撮ったらしい写真が水玉やストライプの柄の入ったマスキングテープで貼り付けられている。そのなかのどれにも人は映っておらず、景色や電灯、眠たげにあくびをする猫や道端に咲いているタンポポのようなものばかりだった。

 棚の上の小さな宝箱にはキラキラと光を反射させて輝くアクセサリーが溢れかえっていた。いつも身につけていた一粒石のペンダントの他に、流星のような星のイヤリング、左右のデザインの違うものや、不思議な形をしたリング。

 いつだってシンプルだった彼女らしいものから、シルバーのごろりと存在感のあるものまで。身につけているのは見たことがないけれど、彼女はアクセサリーを集めるのが好きだった。


「運命だって思うのよ。見つけてしまったから、仕方がないの」


 耳元で、彼女の声がする。清々しい音に目を閉じた。鼻を掠めるのはお気に入りだと言っていた柑橘系のフレグランスだろうか。いつだって触れられそうで、触れられない。猫のように気まぐれで、犬のように人懐っこい。掴みどころのない人間だったように思う。

 ゆっくりと目を開けば、変わらない空間が広がっている。日当たりのいい彼女の部屋はいつだって明るくて、静かだった。

 窓辺に置かれた金魚鉢の中では真っ赤なベタがゆらりと自慢の尾を振って泳いでいる。隣に適当に放り出されたタッパーから餌を摘んで落としてやれば、真っ赤な尾を揺らして浮上してくる。狭い部屋でこいつもまた、ひとりぼっちだったのだろう。

 タンスを開けば丁寧に畳まれた服が収まっている。あれほど長い時間を共にしたのに、一度だって着ているのを見たことがない服があった。いつだって白、黒、グレーと定番の色を身につけて、シンプルな中にも上品さの出る格好をしていた気がしたけれど。

 大きな花柄のシャツや、派手な色のスカート。これらも、彼女の言う運命と言うやつなのかもしれない。


「案外、似合うのかも」


 どう?と言いながらくるりと回るカラフルな彼女を想像して、ぼくは一人くふりと笑みを浮かべた。

 ふと視線を落とせば、ベッドサイドに並べられたアクセサリーが目に入る。さっきの箱には入りきらなかったものだろう。彼女の手にいつでもはまっていた指輪も、キラキラと光を放つビーズアクセサリーも、丁寧に、それでいて適当に置かれていた。

 まっしろなベッドに寝転べば、麻の紐が幾つも垂れていて、そこにもたくさんの写真が留められている。手に届きそうで届かないそれにじぃと目を細めると、友人たちの笑顔があった。それは食事中だったり、いつかやったパーティーであったり、ふざけて互いにカメラを向けあったり、とにかく幸せが詰められていた。


「どんな表情よりも、笑顔がいっとうキレイなの。笑った顔は、みんなを幸せにするわ。その幸せを切り取っていっぱいにできたら、きっとすごく幸せな空間になるのよ」


 そう言って笑った彼女は、きっとすごく幸せだったのだと思う。この写真に収められたぼくや、友人たちのように。

 窓際に静かに佇む彼女の机にはぼくと一緒に写った写真と、花柄の封筒が一つ置かれているだけで、部屋のなかではいやに殺風景に見えた。

 陽の光を反射させる写真に触れると、なんとなく温かい気がした。そこに写った彼女が今にも動き出しそうだなんて、そんなことを思ってしまったのだ。

 ぽつんと置かれた封筒を開けば、見慣れた彼女の丁寧な文字が並んでいる。ぼくの名前のすぐ後には「病気だって、言えなくてごめんね」と書かれていた。そんなこと、謝らなくていいのに。

 ぽつり、ぽつりと書かれた言葉はぼくの心にじわりと熱を与えてくれる。とうに枯らしたはずの涙がこみ上げて、我慢なんてできるはずもなく、ぼろぼろと落ちては彼女の文字が連なった便箋を濡らしていく。


「毎日幸せだったわ。あなたはいつだって優しくて、少し怖がりで、わたしの好きを受け入れてくれた。最後まで大切なことを言えなくてごめんなさい。それでも、わたしはあなたと生きることができて、本当に幸せだった」


 優しい言葉に息が詰まる。潤む視界で、最後の一文を読んで、ぼくは思わず声を震わせた。


「そう、棺桶の中にはわたしの好きなキレイなものを入れてちょうだいね。わたしの部屋はキレイだから、きっといいものが見つかるわ。白い花だけに囲まれるなんて、絶対嫌よ」


 彼女らしい、と笑みがこぼれる。君は最後の最後まで君だったね。ぼくは確かに、そんな君を愛していたし、これからもきっと愛し続けるのだろう。


「……もしもし、お義母さんですか? はい、彼女の手紙を見つけまして……はい、ちょっと」


 彼女の最後のお願いを叶えないわけにはいかない。電話越しに用件を伝えながら、片手に持っていた写真を胸ポケットにしまい込む。

 足の踏み場もない部屋はキラキラと光を放ち、確かにキレイだったのだ。美しいものに囲まれた彼女は、本当に、キレイだった。

 ようやくたどり着いた玄関で靴を履き、彼女の部屋を後にする。空は橙に染まり始めていた。

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