星詠み乙女と金獅子王子~妹になんてなりたくない!~

弥永みき

第1話 リヴェールの星詠み乙女

 

 その国は星降る国と呼ばれていた。

 天翔ける精霊リヴェアの尾が落ちてしまった土地は、険しい山が連なる地だった。人が住むには険しすぎるその場所をリヴェアの尾が薙ぎ払い、ぽっかりとした窪みをもたらした。四方を山に囲まれ、敵に攻め込まれにくい土地に人々が住み着き、やがてそれは国になった。リヴェアの名前をいただき、リヴェール国と名付けられた国は立地ゆえ大きな戦火に巻き込まれることもなく穏やかな繁栄を迎えた。

 その歴史からとりわけ宙を愛したリヴェール国は、リヴェアを神として敬い、リヴェアを祀った神殿が多数建てられるようになった。国民から愛されたリヴェアもまたリヴェール国を愛し、特別な祝福を与え、国が有事の時は道を示し、外からの危険が迫ったときには警告を特別な乙女に伝えた。そのお告げを受け取る未婚の女性巫女を尊敬と愛をこめて『星詠みの乙女』と呼ぶ。



「であるからして、この国の守護者である精霊リヴェアは……」


 教師のそんな話を聞き流しつつ、生徒はあくびをひとつ。春の陽気に温められた室内は昼寝を誘うような心地よさだった。薄い絹のカーテンを通して室内に入り込んだ陽射しは柔らかく室内を照らす。飴色の調度品、ところどころに飾られた花々、そしてそれに相応しい美しい少女。しかし、彼女は眠そうに欠伸を繰り返すばかりで美しい室内も目の前の教師も目に入っていない。それを見た教師は困ったように彼女の名を呼んだ。


「ミラ様。ミラ・マルノ侯爵令嬢」

「ええ。聞いています。アーノルド先生」


 正式な名前で呼ばれ、返事は返したものの、彼女はやはり欠伸を繰り返し、眠たそうに夜色の瞳を瞬かせた。

冴えわたる夜のように青みがかった紺色の髪はよく手入れされ、美しく波打っていた。日に焼けたことがない肌は陶器のように滑らかで美しい。貴族の令嬢に相応しい上品な、クラシカルピンクを基調としたドレスを纏ったミラは、愛らしさと美しさの天秤が不思議と釣り合った、十代半ばの少女らしい危うい魅力を持っていた。

 とりわけ、夜空を切り取ったような彼女だけが持つ瞳は吸い込まれてしまうような、恐ろしささえ感じる色をしていた。

 彼女の教師役を仰せつかっているアーノルド・レミングスはたっぷりとした髭を揺らして美しい少女を窘めた。


「ミラ様。『星詠みの乙女』たるもの、自国の歴史には詳しくいなければなりませんよ」

「アーノルド先生。私がこの役目を仰せつかって何年たつと思ってるんですか?流石にそのぐらい暗記しています」

「それは失礼いたしました。貴女は星に対しては貪欲ですが、国の情勢についてはあまり興味がないご様子ですから」


 アーノルドが口にしたことに心当たりがあるミラは唇を尖らせた。

 五年前、ミラが十歳になったばかり冬の日。先代の『星詠みの乙女』スピカ・マルノの結婚が決まり、新たな『星詠みの乙女』としてミラが選ばれた。星屑石で作られた杖。蛍紬の金糸で星座の縫い付けられたマント。宣言の儀式『星渡し』でのスピカの清廉な姿を見て以来、ミラの目標はスピカのような立派な『星詠みの乙女』になることだった。

 従妹でもあるスピカは、次代の乙女となるミラに親身になってくれ、様々な星の知識を与えてくれた。それから五年もの間、彼女の語る星に魅せられ、少しずつではあるがミラが『星詠みの乙女』の役目を担うようになった。

 様々な歴史書において『星詠みの乙女』は天翔ける精霊リヴェアから直接お告げをもらうとされているが、実際はリヴェアが動かした宙を詠み解くことが主な役目であり、ミラは天性の才能とスピカの教育のお陰で難なく役目を果たしてきた。

 二か月前、スピカが結婚してからは、すべての儀式、星詠みをミラが行っている。

晴れて『星詠みの乙女』となったミラが、今更アーノルドから教えを受けているのには訳があった。星詠みの才能に恵まれていたものの、彼女には修行をしていた五年分、貴族としての教養が、すっかり抜けていたのだ。同級生の令嬢たちが少女から、レディへと花ひらいていくなか、ミラには星詠みしかなかった。

それでいいと割り切っていたものの、次々と届く婚約の申し入れにそうも言ってられなくなっていた。『星詠みの乙女』としてこれから少なくとも五年は未婚を貫かなければいけないものの、そのネームバリューゆえ、ミラのもとに婚約という名の「予約」が殺到したのである。話を受けるかはともかく、少女のまま嫁に行くわけにはいかない、とマルノ侯爵家では急遽ミラに対するレディ教育が始まったのである。


とはいえ、ミラ本人には宙以上に惹かれるものもない。兄や家族の心配はありがたかったが、ついつい夜中に星を見てしまい寝不足なおかげで、令嬢教育はさっぱり進んでいないのであった。


また一つ、こぷんと欠伸をしてとうとうミラは机に突っ伏した。歴史ぐらいならさすがに知っているし、この授業が続くくらいなら眠るか、兄の学校の話を聞く方が面白い。あの学校は特殊なだけあって話が尽きないのよね、と半分夢の世界に旅立ちながらミラは呟いた。その言葉がばっちりアーノルドに聴こえていたなんて、船を漕いでいる彼女には分からない。


「いっそ、貴女も学院に通ったらよいのではないでしょうか……」


 諦めたように呟いたアーノルドだったが、すぐに名案かもしれないと思う。

 学院ならば彼女の兄もいるし、なによりお手本となる令嬢も多い。寝坊助令嬢から解放される未来を思い浮かべ、アーノルドはにんまりと笑った。






 薄紫の愛らしいすみれが花咲くころ、ミラもまた菫色のワンピース型の制服に袖を通し、自宅であるマルノ侯爵邸の自室にいた。大きな姿見の前でスカートの裾を摘まんでみたり、くるりと回ってふんわり翻る様を見ていた。ミラの夜のような色彩と、すみれのワンピースはよく似合い、上品にまとまっていたものの、それを身に付ける彼女の表情は暗かった。

 ほんの二週間前、家庭教師であるアーノルドに突然ノイモント学院に入学せよと告げられた。ノイモント学院はリヴェール王国屈指の名門校であり、貴族の師弟も多く通っている。ミラの兄のスコルをはじめ、大臣の息子や王子、姫も在学する華やかな場所なのだが、それに相応しく、一般の学校とは違う変わった『ルール』がある。その『ルール』が嫌で、制服を身に付けはしたものの、部屋から一歩も踏み出せずにいたのだ。

 バリケード代わりに移動させた洋服ダンスの向こうにある扉からは、絶えず執事の声が聞こえる。段々焦ったような声色になっているところを見るに、もう入学式まで時間がないのだろう。なんだかんだミラに甘い執事の次に来るのは誰だろうか、メイド長のメルティアか、それとも父親のマルノ侯爵か。

 誰が来ても、絶対に取り合わない。どうにか粘って入学式(とそのあとの行事)を欠席してみせると決意して、ふかふかのベッドに腰を下ろした。

 制服が可愛らしいのは救いだが、兄の話すノイモント学院の風習になんかしたがってやらないのだ。


「ミラ、開けろ」


 執事の声が聞こえなくなったかと思えば、代わりに聴こえてきたのは有無を言わさない、強い声だった。その声に抗う術をミラは持ち合わせていない。せめてもの抵抗とばかりに、のろのろと腰を上げると、重い洋服ダンスをずりずりとずらした。

 ずらし終わった途端、無慈悲にも扉は開き、声の持ち主が姿を現した。


「駄々をこねるとは、いい度胸をしている。……なんだ制服も着ているじゃないか。ほら、行くぞ」

「スコル兄さま……」


 すらっと高い背に、ほどよく筋肉の付いた身体。ミラと同じ紺の髪色と、ミラとは異なる灰褐色の瞳。無遠慮に乙女の私室に足を踏み入れた青年は正真正銘、ミラの兄、スコル・マルノだった。ノイモント学院の男子制服__紺色のブレザーに菫色のマント__を身に付け、胸には四年生を示す青色のネクタイをしている。立てこもった妹を連れ出しにきたからか、機嫌は悪い。しかし負けるわけにはいかない。ぐっと拳を握って、ミラは訴えた。


「兄さま!私は行きたくありません。第一『星詠みの乙女』が学院に通う必要性があるとは思えません。そんな悠長なことをしている暇があれば星を見ているほうが……!」

「ほう。星さえ詠めれば、マルノ家の息女として勉学に励まなくてもいいと考えてるのか?」


 痛い所を突かれて、口ごもる。

ミラも、令嬢らしからぬ自分をいつかはどうにかしなくてはいけないと考えている。しかしそれは「いつか」の話で「今すぐ」でも、ましてや「ノイモント学院に入学」してまででも成しえなければいけないことではない。星詠みをしながら、その役目を終えるくらいまでには、まともな令嬢になれればいい、という楽観的な観測を持っていた。

 とにかく、学院には行きたくないのだと訴えるのだが、スコルは取り合ってくれない。


「何がそんなに嫌なんだ?お前は令嬢としては未熟だが、かと言って、学院で恥をかくほどマナーがなっていないわけではない。お手本はたくさんいるんだ。学べばいいじゃないか」

「そんなこと言われても、お手本になるような方と知り合えるとは限りませんし、兄さま以外に知りあいもいないのです!それでどうしろというのですか!」


 星詠みの乙女として五歳から修行に入ったミラにはスピカとスコル以外、知りあいと呼べるような人がいない。スコルからしてみれば、知りあいを作るという目的もあっての学院への入学なのだが、世間知らずな妹には大きすぎる壁らしい。とにかく一歩前に進んでほしいというのが兄の心なのだが、ミラはどこまでも頑なになっていた。


「あー……、とりあえず俺の『姉』を紹介する。うまくいけば、『妹』もな」

「それは助かりますが……って兄さま、『妹』ってどういうことですの!」


 兄の発言に、ミラはさっきまでの意固地になっていた自分を捨てて食って掛かった。

 戸籍上でも、事実上でも、マルノ侯爵の子供は、スコルとミラの二人しかいない。しかし、スコルには『姉』が存在し、『妹』が増える可能性もある。

 それが彼の通うノイモント学院の変わった風習だった。入学すると同時に、異性の先輩がお世話係として『姉』や『兄』となり学院および社交界のイロハを教えるのだ。マナーをはじめ、教養、催しごとの衣装まで、『姉』や『兄』に教えを請い、エスコートの練習や異性への理解を深める。

 その一方で、婚約を含めた人脈作りの礎という側面も持ち、ノイモント学院ではこのルール『兄弟制度』をとても重要視していた。

 当然ミラも入学すれば『兄』を持つことになり、上級生であるスコルは『妹』を持つことができる。制度としては理解できているのだが、それが納得できるかと言えばそうではない。兄に自分以外の妹ができるのは嫌だし、自分に兄ができるのにもゾッとする。知りあいがいないというのも一つの理由だが、一番大きな理由は『兄』ができること。


「兄さまに『妹』ができるのも気に食わないですが、私に兄さま以外の『兄』ができてもいいんですの!?」

「別に構わん。というか、お前にはそれが必要だ、というのがアーノルドの判断だろう?」


 いやきっとあの教師は寝てばかりのミラに嫌気が差しただけなのだろうが、正直にそのことを言えば、真面目な兄に叱られるのは目に見えている。ぐっと黙った様子に諦めたのかと思ったのか、スコルはミラの腕を掴み引き寄せると、ひょいと抱えた。

 必死に抵抗しようと体を動かすが、兄に勝てるわけもなく、最後には諦めて兄に身体を預けた。執事とメイド長が不安げに見守る中、スコルは屋敷を出て、通学用の馬車にミラを押し込み、自分も入った。

 ここまで来てしまえば、もう逃げることなどできない。

 最終手段は気絶したフリか、貧血のフリかと悩むミラをスコルは上から下まで見つめた。


「……うちの制服がよく似合っているじゃないか。一緒に通えることを嬉しく思うよ、ミラ」


 珍しく笑みを零したスコルの顔を見てしまえば、どうにか頑張ってみようと思うのだから、現金な性格をしているとは思う。しかし、ミラにとって兄は十五年間スコルだけであり、なんだかんだ兄として敬愛しているのだ。

 少しだけ、本当に少しだけ、兄の望む妹になってみよう。


 揃いの菫色を身に付けて、マルノ兄妹は春風の中、馬車に揺られていた。

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