最終話 If you wanna dance.
「あー、もう少しなんだねぇ」
最寄駅のいくつか前の駅に着いてそこからなら線路から離れた道でも帰り道を知っているので私が先導する形で歩いている。
「そうですね、やっと帰れます」
早く寝たい、不思議と溶けるほどの疲れは感じていないが気が抜けたら一瞬で押し寄せてくるだろう。お風呂は、朝シャワーでも浴びよう。
「ねーねー、そのリストバンドって去年の夏のやつでしょ?」
「え? あぁ、そうですけど」
なんのことかと思ったら何の気なしにカバンにつけていたリストバンドのことのようだ。
「私も持ってるんだよねー、色違いのやつ」
「…嘘ですよね?」
もともと単色販売のものだったがその中にいくつか別の色のものがあったらしい、ネットで探せば元の値段の何倍もする値段で売られている。その激レアグッズを目の前の彼女が持っていると言うのだ、信じられるはずがない。
「ほんとほんと、私も最初びっくりしすぎて変な声出しちゃったんだよね。今は家に大事に保存してあるから見せれないんだけど」
真偽のほどを確かめるつもりはない、確かめたところで何も起きないから。
「そういえばCD買った?」
「いえ、早く聞きたいんですけど」
発売から一週間ほどたったCDなのだがショップに寄れていないのでまだ買えていない、CDは通販より店に買いに行きたい性分なのだ。
「そうなの? じゃあ、はいっ」
カバンをガサガサとあさってからこちらに投げてよこしたのは音楽プレイヤーだった、それなりに年季の入った。
「いいんですか?」
イヤホンを取り出そうとして彼女の手に押さえられる。
「だーめ、今はお話していたいから帰ってからね」
さすがに今のは自分でも無神経だったと思った。
「そうですね」
線路という明らかな道しるべを失った帰路は代わりに見慣れた風景に手にしつつある。
「電柱って五線譜みたいじゃない?」
何だ突然に。
「なんか音楽の話してたら思っちゃってさー、私たちに直接関係はしないけどいざ無くなったらさみしいでしょ」
クイッ、と手を引かれて振り返る。
「なんですか」
「シャルウィ・ダンス?」
「なんなんですか」
唐突も唐突、彼女の話題はよく飛び地するのだが今回に限っては時すら越えてるように思える。なんだシャルウィダンスって。
「第一踊れませんし」
「大丈夫大丈夫、ちょっとステップ踏むだけだし」
グッ、と引き寄せられ彼女に誘導されるがままヨタヨタと動き出す。
フンフンと彼女が口ずさむのはどこかで聞いたことのあるようなクラシックのようなしっとりした曲調で、恥ずかしさから電柱が地中に埋まってたらこんなことにはならなかったのに、なんて考えていた。
「いい調子」
動き方がわかって少し楽しいかもしれないと思ったところでよろめいた。
「っとと、危ない」
傾いた世界にいる、彼女の顔が近い。いつかの映画で見たようなポーズ、なぜかいやな気持ちにはならなかった。
「いやー、ごめんごめん。大丈夫だった?」
平衡感覚を取り戻しながら脳内でディスコのような場所にいた彼女のイメージが一瞬だけクラシカルな舞踏会に変わった。一瞬だけ。
「まあ、なんとか」
おや? といいながら彼女が周りを見渡す。つられて私もそうしてみて気がついた、家は目と鼻の先だ。
「もうついちゃったかぁ」
名残惜しそうな彼女の横顔、私も少しだけ残念だった。
「それでは」
それでも彼女を引き止めることはしなかった、できなかった。
「うん、じゃーね。楽しかった」
家に入って思考をこらした。線路を離れて歩いていた道が実は遠回りだったのはバレていなかっただろうか、それよりもなぜ私はそうしたのか。考えても考えてもポンコツな脳みそは答えてくれなかったので寝る支度もそこそこに布団へもぐりこんだ。
耳に残る舞踏会のリズムの残響を聞きながら長い夜が終わった。
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