第51話 アカネ・ネゴシエーション

「あの人の最期の願いなんだよ。この世界のために生きた、ドラゴンの、本当の想いなんだよ。お願い。真剣に受け止めてあげてよ」


 介護の行く末は死である。それも目前だ。それは生物が生まれて死に行くという摂理において自然なことであるが、しかし子供に説くそれと、高齢者に説くそれとではまったく次元が違う。子供のとっては将来の話であり、高齢者にとっては明日の話である。


 医療的・認知的・精神的に進んでしまった高齢者は、自分の人生をもはや自己決定出来ない。ただ漫然と、栄養を摂取し排泄するという、生きる過程を消化しているに過ぎない人もいる。精神障害により常に不穏感情が拭えず、一日中泣いている人もいる。認知症が進みすぎ、自身が何者なのか分からないばかりか、伴侶すら認識できない人もいる。そういった方々から、その人の想いを引き出すのは大変に難しい。


 こうなると、大切にされるのは家族の想い。それは自然なことだろう。


 しかし家族とは言え、他人だ。それは時に御本人の願いとは乖離かいりしていることもある。


 とある家族は、「父を薬漬けにしたくない」と言った。


 本人は精神を病み、不穏症状が抜けず、フロア内を徘徊し続け、不眠のまま泣き明かす。擦り切れた精神が奇声や異常行動を生み、それは職員が一日中マンツーマンでついても改善は難しく、そんな様子を他の利用者から指摘されたり批難されたりする。何を言われているかはわからないが、自身が否定されているその雰囲気だけはわかるから、ひどく傷つく。そんな日々はきっと地獄のようであろう。

 認知症や精神疾患に効果的な薬はある。適切に処方すれば不穏感情が抑制され、異常行動が減ることで円滑なコミュニケーションが取れるようになるかも知れない。そうなればそこで友人が出来るかも知れない。夜にしっかりと寝られることで日中に活気が出て前向きになれるかも知れない。


 私はこういう時、もう一度立ち止まってよく考えて欲しいと思うのだ。その願いは、本当に家族の為を想ってのものなのだろうかと。


 現在の医療は、極論は全て延命治療である。病気を退け余命を伸ばすのだ。薬等の医療が発達しそれが高度にかつ確実に受けられる環境が整っている日本だからこその、高齢化なのである。薬に嫌悪感を持つ人がいるのは仕方の無い事だが、今この瞬間があるのは薬があったからだという事は忘れてはならないし、それによって改善できた問題を見過ごすということがどういう事なのかは理解しておかなければならない。


 安易に薬に頼ることを薦めているわけではない。「薬づけにしたくない」と言うのは家族自身の理想なのであって、それが必ずしも本人の想いに添っているとは限らないという話だ。余生が短いからこそ、その人が幸福に過ごせる道を、その人目線で考えることが大切なのだ。


 認知症だから仕方ない。

 そうやって受け止めることも大切だ。

 だが、それが諦めの理由になってはだめなのだ。

 それでも何か出来ることを、理想を追求することを止めてはならぬのだ。



 長い沈黙だった。その間、洞穴の外では幾度となく雷鳴が鳴り響き、大地を叩く雨音がノイズのように洞穴内に響き渡っていた。ヒロノブは目を閉じずっと何かを考えているようだったが、再び目を開くとトシコさんに向き直った。


『トシコ、お前はどう思う』


『私はおじいちゃんの意志を尊重してあげたいと想う。一緒にいられる時間が短くなってしまうのは寂しいけど、苦しんでるのも、後悔しているのも、そんな姿は見たくないし、させたくない』


『そうか』


 ヒロノブは天空を見上げた。その瞳に映るのは洞窟の天井で岩肌であろうが、きっと見ているものはその遥か彼方なのだろう。


『……娘。俺は人間ほど自分勝手気ままに生きている生物を他に知らん。そんなお前からエゴと言われた時は噛み殺してやろうかと思ったが』


 顔を下ろせば、よく見ればアキマサそっくりの優しい面影がしっかりと残っていた。


『しかし俺の想いが独りよがりなもの、という指摘は納得する。家族だから強い想いが交錯するのは当たり前だとも思っていたが、その考え自体が甘えだったのだな。結局それは、父の想いを軽視する行為なのだということも、理解しよう。無論、それに直ぐに気持ちがついてくる訳では無いが』


 ヒロノブは首をぐいっと伸ばして私の眼の前に持ってくる。私の頭一つ分くらいある大きな両目が私を見つめた。


『いずれ考えなければならないと知りながら、後回しにしてしまっていたのも事実だ。貴様は良いきっかけをくれた。――貴様の話、乗ってやる』


「それじゃ……!」


『俺は今から父と会い、その想いを直接聞いてこよう。そこで話が変わらぬなら、全面的に協力する』


 私は深々と頭を下げた。ヒロノブはその後頭部に向かって荒い鼻息を吹きかけてくる。


『だが俺にも想いがあることを知れ。もし無様にも失敗し、無残な結果になりにでもしたら、その時は貴様の命は無いと思え。――と、脅さなくてもしっかりやってくれるな』


 下げた頭を戻すと、その大きな瞳と目があった。威圧感は消え失せ、真贋見定めるその瞳がお互いの覚悟を映し出していた。


『では俺は行く。こういう事は早い方がいい。父の気が、何より俺の気が変わらないうちにな。トシコ、ついて来い』


 そして二匹の雷竜達は飛び立っていった。一人そこに残された私は、涙を受け止め鈍く輝く精霊石を手にとった。小石のように小粒のそれが、雷鳴のような青紫の閃光と共に、優しい音色を奏でた。


「全力でやります。やれることは全部、やってみせます」


 アキマサじじ。世界のために生きた、世界最古のドラゴン。そんな偉大な男が愛した女の所へ、その身を返す。


 異世界生活始まって以来の、壮大な作戦が幕を開けようとしていた。

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