第三章 世界一カッコ悪いヒーロー
1-1:安堵と懸念
経が初めて能力を開花させてから数ヶ月。
パッキング・ユニットのおかげもあって、現在は何不自由なく一日一日を過ごすことができるようになっていた。作られた風船型の武器も、素夫の病院で処理すればなんの問題もない。
そして現在は夏休み期間中。期末試験も終了して、長期休暇に入っているにも関わらず経は浮かない顔をしていた。
「まだ、目覚めてないんだってね」
「ああ」
夏休み中にも部活はある。バレー部の活動をこなし、体操服から制服に着替えて家へ帰る途中。学習室を使用し、同じく帰るところだった工と駅で偶然顔を合わせた。
無料で使え、なおかつ静かでクーラーが効いていて涼しい。そんな理由から、工はよく学校の学習室を利用しているのだ。
「じいちゃんは体調的には問題ないって言ってるんだけどさ。もう、三ヶ月も経つんだよな……」
不安からか揺れる経の瞳。今の時刻は十七時。強めの冷房がかかった電車内でドアに寄りかかり、誰に向けるでもなく呟かれた言葉。その答えを持ち合わせていない工は、経に習うように無言で窓の外へと視線を移す。
「…………」
大丈夫。そう軽々しく言ってしまっていいわけがない。かける言葉を見つけられないまま、工は視線を経へと戻した。
「……わり、今の忘れて」
右手を頭の後ろに当てて、経は少しだけ申し訳なさそうに笑った。その表情からは先ほどの不安そうな様子は微塵も感じられず、工は眉をひそめる。
「別に、無理しなくてもいいんじゃない」
『電車とホームの間が開いている場合がございます。足元にご注意ください』
聞き慣れた放送と同時に、二人が寄りかかっていた方のドアがゆっくりと開いた。
「あ、おい。お前この駅じゃ――」
迷わず電車の外に足を踏み出した工に、経は声をあげた。ここは、須賀志総合病院の最寄り駅。経の家への最寄り駅でも、工の最寄り駅でもない。
「僕もいくよ。お見舞い」
経はあの事件の日からずっと、倒れた人々のお見舞いのためにも病院に足を運んでいたのだ。何も言われずとも知っていた工は、それだけ言うと足を動かした。少しすれば後ろから、慌てたように経が駆けてくる。
「別に一緒に来なくたって」
「僕の勝手でしょ」
スタスタと進んでいく工は止まる気配がなく、経は諦めたように、それでも嬉しそうに小さく笑って隣に並んだ。
「……なあ、じいちゃん」
病院に辿り着いた二人は、その足で被害者が入院している病室を訪ねた。だが、病室のベッドはすべてもぬけの殻で、誰も寝てはいない。慌てて素夫のいる理事長室の扉を開いた二人は、椅子に座っている素夫に縋るような視線を向ける。
「おお、経と工くんじゃないか。いらっしゃい」
ぬるくなったお茶を片手に書類に目を落としていた素夫は経の声で二人の存在に気づいたのか、顔を上げてそのあと手を挙げた。お茶を机に置いて楽しそうに微笑む素夫に、経は顔を歪める。
「病室で入院してた人は……」
抑揚のない声で、それでも知らなければならないと経は続きを問いかける。心境を理解している工は、ぺこりと頭を下げただけで声を発することはない。
「ん? 入院……」
一瞬、素夫は何のことかと首を傾げた。
「ああ!」
わずかな時間思案して、思い出したように手を叩く。
「退院したぞ」
「は?」
開いていた口の形を変えることなく漏れ出た声から、今の経の心境がよくわかることだろう。隣にいた工はその答えを聞いて安心したのか、惚けている経は気にすることなくソファに向かい腰を下ろした。
経も、のそりとその背を追う。
「退院って、じいちゃん俺に何の連絡も……」
「忘れとった」
やがて辿り着いたソファの前。確認するように問いかけた経は、素夫の答えを聞いて崩れ落ちるようにソファに座り、工が優しく肩を叩く。知らず知らず入っていた力を抜いた経は、そのまま背もたれによりかかりソファに全体重を預ける。そうすれば、程よい弾力のクッションが経の体全体を包み込んだ。
「……忘れるなよな」
怒るのは筋違いだ。
病院に運ばれてきてからずっと彼らの様子を見ていてくれたのは素夫だから。それはわかっている。けれど何か文句を言いたくて、経は天井を見上げながらポツリと言葉を落とした。
「すまんかったの」
ウィンク付きで軽く返事をした素夫。だが、今天井を見つめている経にその表情は届いていない。真正面からウィンクを見た工だけが、心の中で経に同情していた。
「それで、全員元気なの?」
「もちろん。後遺症も何もないぞ」
グッと後頭部に力を込めて、経は背もたれに預けていた頭を持ち上げた。
「はー……」
全員、目覚めたあとの再検査で異常がないことを確認してから退院させた。そう説明した素夫に、経は安堵の息を吐き出す。
眠っていた時間を取り戻すことはできないし、理由を話して謝ることも難しい。だが今はまず、無事に目覚めたことを喜ぶべきだろう。このままくよくよ悩み続けていたら、支えてくれている工や姫海、そして素夫にまた心配されてしまう。
持ち上げていた頭もソファに沈め、経は目を閉じる。その様子を隣で見ていた工は、口元を緩めてわずかに微笑んだ。
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