1-4:世界一いらない能力
「イソフルラン。それが、お前さんの屁に含まれていたものに似た物質の名じゃ」
「いそ、ふるらん?」
ずっと調べてくれていた素夫に、経はお湯を少し緑茶を入れて渡す。湯呑みを両手で包み込んだ素夫は、冷ますために息を吐きかけながらようやく真剣な表情で口を開き言葉を落とした。
「
「睡眠薬みたいなものってこと?」
「似たようなものではある」
経の言葉に、素夫は首を縦に振って肯定する。
しかし通常使われるイソフルランであれば、屁に含まれる程度の量の場合、数時間も経たずに目が覚めるはず。だが、現在も経の屁を吸い込んだ人たちは目覚めていない。
「成分としてはイソフルランと大差はない。が、より強い効果を持っているようじゃ。その辺はさすがに一日じゃわからんのう」
両手で包み込んでいた湯呑みに口をつけて、まだ熱かったのか素夫は再びお茶を冷ますために息を吹きかける。その様子を見つめ、経は今後どうすればいいのかわからず頭を抱えた。
「副作用ってか、なんかこう……悪い影響はあんの?」
「今回確認できた成分であれば、万が一多く吸い込んだとしても悪影響はないじゃろ。今の所は安心してもいいぞ」
今のところと言った素夫に、安心できないだろうと内心で舌打ちを一つ。それでも、医師としても研究者としても信頼できる素夫が言っているのだから、その言葉が正しい可能性は低くは無いのだろう。そう思えば、少しは安心してもいい気がした。
「それで、今後のことなんじゃが」
お茶がなかなか冷めないため、冷凍庫から氷を取り出して湯呑みへと入れた素夫が戻ってきた。すぐに形を無くしていく氷が、お茶の温度の高さを物語っている。
「これを発表すれば、おそらくお前は良くて軟禁。最悪監禁状態でいろいろ弄られるだろうな」
予想はしていた。一般人では作り得ないものを、使うことすらないかもしれないものをガスとして作れてしまうのだ。しかも、材料は不要。研究対象として見られて然るべきなのだろう。
「だが、可愛い可愛い孫が青春の真っ只中に監禁状態になるなんぞ、ワシには許せん!」
素夫はとことん真面目な話に向かないようだ。
顔を顰めている経には触れず、拳を握りしめふるふると震わせながらそれを高く突き上げる。その様を見て呆れて笑みをこぼした経も少し緊張がほぐれたようで、幾分か柔らかい声を出した。
「で、その心は」
「こーんな面白い研究、他の奴らにやらせてなるものか!」
湯気がほとんど立っていない湯呑みを机に置いて、両の拳を顔の前で握りしめ本気で震えている素夫。研究大好きな素夫は面白い研究材料である経を、経の屁を誰かに取られたくなかったのだ。
「やっぱりそうか、クソジジイ」
「ほっ! 謀りおったな経!」
ハッと気づいた素夫が口を尖らせるが、経の口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。
それを見て、素夫も力を抜くとようやくお茶に口をつける。ぬるくなったお茶は、素夫の舌を火傷させることなくスムーズに喉の奥へと押しやられていく。
「今しかない青春を、楽しんで欲しいっていうのも本当じゃぞ」
「わかってるよ、じいちゃん」
ズズッと素夫がお茶をすする音が、室内に静かに溶けて消えていった。
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