すかしっぺ・ヒーロー
緋雨
第1章 すかしっぺ・兵器
1-1:世界一いらない能力
――ぷすぅ
(やっちまった……)
混み合う電車の中。白ワイシャツに赤いネクタイをつけ、濃い藍色のブレザーと灰色のスラックスを履いたオレンジ髪の少年は、人の波に押しつぶされて身動きもできない状態だった。
少年の名前は
漏れ出てしまったすかしっぺ。朝ごはんに食べたふかし芋がいけなかったのではと、朝食に芋なんかを出してきた祖父・須賀志
自分の演技に心の中で花マルをつけていると、電車がガタンッと大きく揺れた。人口密度が高いため倒れることはなかったが、それでも反射的に足の裏に力が入る。するとその時、経は突然背中に重みを感じた。
わずかに漂ってきたすかしっぺの残り香。それと同じタイミングだったため、まさか気絶するほどの匂いだったのかと一瞬慌てる。だがそれはさすがにありえない。そう思い、経は体重がかかった方向を確認するために頭を後ろへと向けた。
『扉が開きます、ご注意ください』
しかし、平均より低い身長のせいか他の人の頭が邪魔して見えない。仕方なく上半身も動かそうとした瞬間、響いた車内アナウンス。扉が開き、人の密度が下がるに従い増してくる重み。
「だ、大丈夫ですか?」
「キャー!」
着いた駅では電車を降りたい人と、電車に乗りたい人がいる。降りたい人が全て降り、乗りたい人が乗る前の人口密度が下がったそのタイミングで、フッと無くなった背中の重み。同時に、いくつもの米俵を床に落としたような音が響き渡った。その車両に乗っていた人には、音に見合う振動も届いていた。
「人が! な、何が起きたんだ」
「へ? え?」
それは、バタバタと人が倒れていく音だった。事件だ、テロだと叫び声が上がり、急いで車両から逃げようとする人々で激しい混乱が起きる。しかし、叫び声をあげる人達とは対照的に経は思わず間の抜けた声を出していた。自分を中心に人々が意識を失い倒れているその状況を、うまく飲み込めなかったのだろう。
目の前に立っていたはずの濃い灰色のスーツを着た小柄の中年男性も、斜め前に立っていた赤いパンプスに黒いタイトスカートを見事に着こなすスタイル抜群の女性も。全員気を失い、誰も言葉を発することはない。
電車内の冷たい床に倒れこんだ人達は、経の半径一メートルに集中していた。
床に座り込み、気を失った少年の肩を涙目で揺する少女もいる。彼女は倒れるに至らなかったのだろうが、その理由がわかるものは今この場にはいない。
「落ち着いてください。動かないで!」
しばらくすると、同じ制服に身を包んだ鉄道会社職員が数名やってきて声を上げた。すでに警察と救急には通報したと告げる職員達は、警察の事情聴取があるためこの電車に乗っていた人は残って欲しいと説明する。
経を中心に人が倒れている異様な光景。倒れている人々の中心にいる彼なら、何か知っているはずだ。この場にいる人達は、そう思って疑わない。
「ねぇ、先輩に何かしたの? 起こしてよ、お願い……」
縋ってくるもの。
「ひっ! ち、近寄らないでくれ」
畏怖の目で見つめてくるもの。
「いや、俺は……何も」
すかしっぺをしただけだ、誰でもバレないようにしてるだろ?
口になんてできる雰囲気ではない内容を、心の中でも小さく呟く。一応両手をあげ無実を主張するが、きっと今は誰かのせいにしないと安心できないのだろう。恐怖に彩られた瞳や、声。そして興味の色を宿した視線が消えることはなさそうだ。
「君、署まで同行を」
「その前に、学校に連絡してもいいですかね」
事件が起きたタイミングで、偶然すかしっぺをしただけで、自分は絶対に犯人ではない。そう思っていた経は、到着した警察官の声がけにも特に狼狽えるたりせず即座に顔を縦に振り、持っていたスマートフォンで学校に電話をかけた。
「事件ってお前、いったい何やらかしたんだ?」
コール音が途切れ、電話に出た教師に事情を話せば経の担任が呼ばれて受話器が渡る。普段の生活態度が悪くないからか、責めるというよりはからかうような声音に苦笑して隣に立っている警察官に視線を向ける。
「良かったら代わるよ」
経に声をかけてきた警察官。刑事である
「
名前を名乗り、事情を説明しつつ連絡が取れる警察署の電話番号を伝える。
「わかりました。公欠という扱いになるようにしておきます」
堀巣の紳士的な対応もあり、担任はすんなり納得した。間に合うようなら遅刻でもいいから学校に来るように伝えて欲しい。そう言って、あっさりと切られた電話。
「すまないね」
「いえ、まあ……しょうがないかなって」
通話が切れたスマートフォンを経に返しながら、堀巣は申し訳なさそうに苦笑した。目尻のシワが少しだけ深くなる。だが、たくさんの人が経を中心に歪な円を描くように倒れているのだ。疑われても仕方ない、と経も同じように苦笑を返す。
「真ん中にいて平気ってのも、怪しいと思うし」
「その辺は詳しく聞かせてもらうよ」
通報を受けてやってきた堀巣は、人が倒れていくその瞬間を目撃した訳ではない。だからこそ、第三者として冷静に経と会話することができるのだろう。
「学校もサボってるし、できる限り協力しますよ」
堀巣含め、集まった三人の刑事に同行して警察署へと向かうのは、経以外では近くにいて被害に遭わなかった数人だけ。近くにおらず同じ車両に乗っていただけの人や、他の車両に乗っていた人は駅構内で駅員や他の警察官に状況を伝え、問題なければその場で解散となる。
移動中、経はなんとも居心地の悪い視線を感じていた。それでも、ここで萎縮するのは違うと姿勢を正す。同じように警察署に向かう人には軽く頭を下げて、顔色は変えずに車両を降りる。目の前を歩く堀巣の背中を追いかけ、ゆっくりと駅をあとにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます