第321話 イネちゃんと降伏勧告

 というわけでイネちゃんとジャクリーンさんは今、アーティルさんの後ろに立つ形で特使である3人の騎士を受け入れる体制を整えて待機している状況です。

 ムータリアス産のソファーはちょっとお高く付いたけれど、大陸産のヌーカベ毛で作られた座布団とかソファーはリリアが気をきかせてくれて経費で落としてくれた。

 正直言うとムータリアス産の高級ソファーが10個買える金額だって知ったときはイネちゃん遠い目になったけれど、ヌーリエ教会で作っている分の、少し寸法が崩れていて修復待ちのジャンク品とか言っていた……んだけど、本体はヌーカベの毛だから金額的にはほぼ変わらないよね。

「さて、特使はどう出るんでしょうねぇ……休戦という形でならいいんですけど」

 ジャクリーンさんがそう呟いてるけれど、アーティルさんはアーティルさんでそれに対して冗談で返す余裕もないくらいにちょっと震えている。

「アーティルさん、対外交渉はどの場でも強気にね?」

「わ、わかっているのですが、今度の相手は何の準備もできずにあうことになった敵対者ですから……」

「そのために私たちがいるのです、女王様はむしろ威厳を押し付けるくらいの勢いのほうがうまくいくと思いますよ」

 イネちゃんとアーティルさんの会話にジャクリーンさんが割り込んできた。

 言っていることは正論なのでイネちゃんとしてはむしろ助かった感じだけれど……やっぱりどこかいいところの出自だったりするのかな。

「特使の方がいらしたようですよ、お嬢様方」

 アーティルさんが補佐官として選んだインキュバスさんが模範的な白い歯を光らせながら特使を部屋に招き入れた。

 うん、イネちゃんとしては今の夢魔の人の歯が光った瞬間にすごく気持ちが楽になった。

 インキュバスさんに招かれるように部屋に入ってきたのは3人の騎士風……と言っていいのかな、鎧を脱いだ礼装っぽい装飾服だからむしろ貴族とかそんなところなんだろうか。

「お久しぶりですね、アーティル様」

「……お久しぶりですトーマス様」

 うわー、うわー……ここまでテンプレート気味な下卑た笑みを浮かべるのとか、しかも特使として来ている人間がこれっていうのはクーデター側の程度が知れちゃうんけどこの人は大丈夫なのだろうか。

「それでは今から降伏勧告を申し渡します、そのためわざわざご用意頂いたであろう歓待に関しては全て遠慮いたしますので、先に謝罪をいたします」

 降伏勧告とはまた強く出たねぇ、あ、ちなみにインキュバスの人から予め場合によってはイネちゃんが大陸代表として動いていいと言われたのでよほどのことになりそうなら特使という人質は分離するロボットみたいにして投石器で相手の陣地にお返ししようかなとも思ってるけど……あぁインキュバスのお兄さんが流石にそれはって顔してる、まぁ丁重にお帰りいただくくらいだよね、うん、知ってた。

「それは、どういうことですか」

 流石にアーティルさんも予想外の言葉に少し前のめりに聞き返す。

「言葉通りです、亡命政府に対し降伏勧告を行っているのです。もし受け入れられない場合は街に対しオベイロン部隊を侵攻させることになるでしょう」

「あ、ちょっといいかな」

 そもそも条件提示もなしの降伏勧告は命の保証すらない……ということを言いたいわけではない。

 イネちゃんが言いたくなってしまったのはもっと別のこと。

「カルネルは曲がりなりにもアルスター帝国女王派と、魔王軍……そしてヌーリエ教会の仲介のもと、ヌーリエ教会主導で開拓された街であることはご存じで?」

「それが何か?」

 うわ、クズっていうのがしっくりきすぎるレベルの声色。

 まぁ、いいや、彼の言ったことの意味をちゃんと教えてあげよう。

「カルネルに向けて戦略兵器を使うと宣言したということは、魔王軍及びヌーリエ教会に対しても宣戦布告を行ったってことだけど、理解してる?」

「女王が勧告を受け入れるのなら、起きないことですよ?」

 あ、これ理解してない。

「じゃあはっきり言うよ、今の段階でも既に宣戦布告と同じだってこと。脅しとしても十分、その要項は満たしちゃうってことだよ」

「それでは、あなたはどうなさるおつもりで?」

「とりあえずアーティルさんの答えを待つことは待つよ?ただそれでも宣戦布告を受けたと認識して今後の対応はこちらで決めるけど」

 アーティルさんが降伏勧告を受けようが突っぱねようが、ヌーリエ教会側は相応の対応を行うという態度を示す必要がこの場合あるからね、ちょっと心臓がバクバク言ってるけど代表みたいな扱いされている以上はイネちゃん、ちょっと頑張っちゃうよ。

「ともかく、そちらが全面戦争の宣戦布告をしたという認識は持って頂ければと思いますよ」

 まぁ、イネちゃんがここまで強気に対応している分アーティルさんの判断にも影響は与えそうだけど……どうなるかね。

「一応、条件を聞きましょうか」

 ふむ、まだ判断しかねる感じだなぁ。

「おっとそうでしたね、こちらの要望をまとめたものはこちらに記してありますので、ご確認を」

 そう言って後ろに待機していた2人が数枚のスクロールを差し出して来た。

「これは、私たちが確認しても?」

「できればご遠慮していただきたいですが、あそこまで強気になられていたのですからどうぞ、女王の現状を知っていただければと思いますのでどうぞ、見ていただいても結構ですよ」

 女王の現状?

 となれば人質とかそんなところか……下衆だなぁ。

 スクロールを受け取ったアーティルさんが封を空けて机の上に広げて、全員が確認できるようにすると、イネちゃんとしては割と予想通りの内容が羅列されていた。

 要約すると親しかった友人知人、村々をまとめて人質にした、降伏を受け入れなければゴブリンの餌にする。って感じである。

「ふぅん、これ、跳ね除けて実行された上で、そちらが敗北した場合戦争責任を負う人は誰かってちゃんと決まってるの?」

「さぁ?私はあくまで特使として使い程度の地位ですので、それを知る立場にはありませんからねぇ」

「あと降伏に対する条件って殆ど記載されてないよね、これは降伏条件ではなくただの脅しの類でしかないんだけど、それも把握してないの?」

 少なくともこの人は中身を知っていたからね、知る立場になかったというのはブラフであるのは確定だと思う。

「しかしながら我々は……」

「ちょっと失礼、先ほどから少々、お嬢様方を見る目が私のようなものを不快にさせるので、後ろ2人の下品な色欲丸出しの感情を制御していただけないでしょうか」

 トーマスの言葉を遮ってインキュバスのお兄さんが割り込んできた。

 うん、多分イネちゃんの思考に対しての答えの1つがその色欲丸出しの感情ってことなんだろうね。

「となれば条件の1つは女性を性欲処理の道具にするということでしょう。そしてそれは私たちヌーリエ教会の法では極刑に該当する行為であり、止められる立場にいたものが止めるための行動を起こさなかった場合同罪ともなるのです」

「それで?」

「私たちと戦争行為をする気がないのであるのでしたら、最低でもその項目は消して頂けなければ認められません」

「認められないとなれば、どうするので?」

「傭兵登録しておられるイネ様だけではなく、大陸の、ヌーリエ様の加護を受けた方々全員を敵に回すことになると言うことですよ。全員例外なく、イネ様と同程度かそれ以上に戦える方々で、数の上でもそれなりに揃えられますことをご理解ください」

 最低でもオベイロン相手に優勢に事を運べる存在が複数人数と戦うことになることになるというのは、それを虎の子としているオベイロンが決定的な戦力にならないという意味することになるからね、うん。

 それだけでも単純に脅し、抑止力として働くあたり……イネちゃんも随分と遠くまで来たものだ。

「それは……脅しですかね、それともそちらのおっしゃった宣戦布告というものではないのですかな?」

「勘違いをしないでいただきたいです。我々はあなた方のやり方に対して、既にイネ様の仰ったように宣戦布告を受けたという前提で思考をしているのです。その上でそう捉えないラインというものを提示しているだけですよ」

 人権を剥奪するようなものは最低でも認められないということ。

 大陸の奴隷制度って、人権や人格権は認められるからねぇ、雇い主は奴隷とされている人たちの生活を完全に保証しなければ違法となり、それを満たした状態であるのなら自由恋愛でハーレムを作っても大丈夫というものだからね、ほかの世界からすれば異質だけれど、大陸ではそれだけ人権というものが尊重される。

 最低でもそのラインに準じなければ、止められる立場にあったインキュバスのお兄さんとイネちゃん、そしてジャクリーンさんが同罪扱いされてしまうからね、インキュバスのお兄さんも割と必死だ。

「そうですね……とりあえず本日は即断できないということで、練り直してはいかがでしょう?あなた方の思惑を押し通す場合異世界の軍とも全面戦争を行うことになるということは、あなたの上の方にお伝えしたほうがよろしいでしょうし……あなたがただの使いであるのなら、全面戦争を独断で決定することなど、できはしないでしょうから」

 これは完全に皮肉返しな感じ。

 自分から言い出した程度の存在に見合う提案をしてあげたことで、この無駄にプライドの高そうなトーマスを黙らせてお引取り願える体裁を整えたわけだ。

 流石にイネちゃんにはこういう感じにスマートにはできないから、本当にムーンラビットさんをはじめとするヌーリエ教会所属の夢魔の人たちは交渉事に関して圧倒的だよね、嫌味たっぷりで返すことが結構多いけど。

「これは必要なことだと思います。どちらにとっても、重要なことでしょう?」

 インキュバスのお兄さんのこの一言で、トーマス達騎士3人は苦虫を噛んだような表情をしながらも、首を縦に振り話を持ち帰るだけで今回は終わった。

 さて……これからどうなるか、相手の出方次第ではあるけれど大変なことになりそうだね。

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