第284話 イネちゃんと聖人

 それはいつもの日常、午前中の作業を終えた辺りで突然現れた。

 修道会の所有している拠点の方角から、なんというかこれでもかってくらいに真っ白な人が1人で歩いてきたのだ。

 最初に報告してくれたのは兵士さんに休憩を告げて戻ってくる最中だったロロさんで、対応したのはティラーさん……だったのだけれど。

「私を知らないとはなんとモグリな……こんなの信じられない」

「いやそもそも異世界から来たって言ってるの、聞こえてるかー?もしもーし」

 イネちゃんが現着したときには、ティラーさんとこんな会話をしているところだった。

「む、新しい人影!そこのお嬢さん、私のことご存じですよね!」

 そんな感じに大声で、大股でイネちゃんと外からの人間を応対することになるってことでリリアも一緒に訪れていたけども2人してその人に対してドン引きして。

「「知りません」」

 見事なまでに声が揃った。

「なんてことだ!おぉ神よ、この世界にはまだ聖人たるこのジョッシュ……ジーガル・シューターを知らぬものが居ることをお許しください!」

 うわ、すごく面倒な人だってのがこの短時間で分かってしまった……。

「えっと……ジーガルさん?」

「ジョッシュと呼んでくださいお嬢さん方、そこの紳士も同じですよ、私はジョッシュ、ジョッシュです、間違えないで覚えてください」

「じゃ、じゃあ……ジョッシュさん、ここにはどのような用事で来られたのですか?」

 リリアがドン引きしつつも気を取り直して質問した。

「これは失礼。先日女王アーティルがこの地を訪れたと聞きましてね……そしてその理由が大地の四天王ガイアテラが討伐されたからと言うではありませんか!これは人類にとってとても素晴らしい福音!是非ともご挨拶をと思い伺わせてもらった次第なのです!」

 うん、面倒。

 この人、多分常識というか価値観がひとつしかないタイプだなぁ……盲目的というか、絶対自分の信じた正義以外正義じゃないってタイプだよね。

 こういう手合い、イネちゃんが一番苦手なタイプなんだよなぁ……あれこれ言いくるめることもできないし、ちょっと気に入らないことを言ってしまったら大変なことになるのが確定しちゃうから、迂闊な発言もできないからねぇ。

「そ、それは大変な御足労を……と、とりあえずお茶でも淹れますのでこちらに」

 リリアも似たような感じだなぁ、まぁこの手合いが得意な人なんてそうそう居ないと思うけどさ。

「いえお気遣いなくお嬢さん。私も突然訪問してしまったために色々と気を遣わせてしまいました。それなのにお茶までご馳走になるわけには行きません!」

「それではこちらの無作法と笑われてしまいますわご客人」

 ジョッシュさんがオーバーすぎる動きで叫んだところで、こういう手合いの相手をするのにまだマシそうなスーさんが駆けつけてくれた。

 駆けつけてくれたのはよかったんだけれども……ジョッシュさんの表情がスーさんを見た瞬間変わり。

「人外が何故この地に居るのだ!」

 そう言って唐突にスーさんに向かってつぶてを飛ばしてきた。

 つぶてはスーさんの、人間なら心臓にあたる部分を貫いた……まぁ、夢魔であるスーさんは肉体に依存しないわけで、貫かれても全然大丈夫そうな顔をしてるけれど……。

「自己紹介をさせて頂きます、ただ……お客人の攻撃により多少聞き取りにくくなってしまうことを予め謝罪致します。私はスー。ヌーリエ教会所属の神官をやらせて頂いております。現在はヌーリエ教会司祭ムーンラビット様の命により築防リリア様の神官試験の試験担当官及び補佐を担当しております」

 ところどころ声が、気管に血液が入っているのか水っぽいものになってはいたけれどそこまでスーさんは言い切って、スーさんはイネちゃんの目を見つめてきた。

 うん、まぁ……世界間戦争勃発のスイッチになりうるものだけどさ、これ、イネちゃんがやらないといけないのか……。

 ココロさんとヒヒノさんがタイミングよく開拓地を離れているから仕方ないんだけどさぁ……人間でムータリアスの人類側最強戦力である聖人さん相手に真正面からぶつかれるのってイネちゃんくらいだし。

「えっとジョッシュさん、あなたのやったことは宣戦布告に相当します。アルスター帝国のアーティルさんは対等の関係を望んだにも関わらず、ムータリアスの人類全体に対して不利益になるような行動の説明を願います」

 スーさんにリリアが近づいて急いで治癒魔法をかけているのを、ジョッシュさんとの間にイネちゃんが入るように移動しながらそう言うと……。

「そんなことは知らん。私は人外を屠るために力を得たのだから」

 まぁ、そうなるよね、こういう人だってのは出会って数秒で理解したからなんとなくわかってたけどさ、これはイネちゃん、ジョッシュさんと戦わないといけないってことだよね……。

「ということはムータリアスの全人類はイネちゃんたちの世界、大陸に対して全面戦争を仕掛けるという認識をしても構わないということで、よろしいですか?」

「それはそれだ。この考えは私だけのもの、私個人のものだ。他の者は関係ない」

 それが通じるのは中世以前の文化レベルだからなんだよなぁ、個人的復讐心で中立国の大使館で人を殺すような真似をしたんだから、戦争にならないにしても国交断絶の危機レベルの出来事なんだよなぁ。

「その理屈はこちらの世界では通じません。この開拓地は実質的に大使館と同等の立場であると考えてください。あなたはそこで、そこに務める職員の殺害を宣言したんですよ、国交に影響が出ないはずがない行動なんです」

「そういうのは政治の問題だろう?」

 あぁ、頭痛い……。

 まぁ最も、ムータリアス人類でもチートクラスの強さを誇っている聖人相手に、国がどうこうできるかって話しにもなりそうだからね、アーティルさんはそのへん打算的だし。

「ともかく、この場で敵対行為にあたる行動はやめてください。慎むとか控えるじゃなくて、やめてください。今回は夢魔の人が被害者だったことと、当人が平和的な解決を求めていることから不問に致しますが、今後似たような行いをした場合はジョッシュさん……いや、ジーガル・シューター。あなたをテロリストとして認識させて頂きます。この件はこれで最後通告となることと思ってください」

 ジョッシュ、という愛称から本名をフルネームで呼ばれたことによってジョッシュさんの表情は少し思案にくれるものになる。

「何故君のような賢い人間が人外を庇うのか……」

「だから異世界でそもそも世界の成り立ちから違うからです。私たちの世界、大陸ではどの種族であろうとも偏見も差別もしないのが常識であり、通常ですから」

 最後通告と言われた後、ようやく少し考えるようになったのか先ほどみたいなテンションが高止まってる感じだったのが今はそれほど高くない感じの口調になっているし。

「そうか、洗脳だな!今君は夢魔と言ったのだから洗脳されていてもおかしくない!」

「ねぇリリア、これちょっと対応するけどいいよね」

 これを放置するとスーさんは肉体を失うかもしれないし、何より捕虜やキュミラさんにも被害が及ぶ可能性が高くなり、キュミラさんが被害者になった場合は取り返しがつかない事態に発展する可能性が極めて高い。

 イネちゃんだってあれこれ冗談言ったりからかったりするけれど、キュミラさんが居ないとどうにも癒しがないからイネちゃんとしては防がなければならないっていう理由になるからね。

「まぁ……洗脳とか言われても私たちはヌーリエ様の加護でそういうのは受けないから、それを説明しないといけないんだけれど……」

「聞くにしても、理解してくれると思う?」

「思わないけれどしておかないとダメでしょ」

 むぅ確かにリリアの言うとおり最低限一度は言っておかないといけないか……。

「待っていてくださいお嬢さんたち!今すぐに洗脳を解いて差し上げますので!」

「あー……大陸の、ことさら私のようなヌーリエ教会の神官はそういった類の者は効きません……よ?」

 リリアもおっかなびっくりって感じでかなりゆっくりした説明になっちゃってるし……。

「あぁ可哀想に!そのように信じ込まされているのですね!」

 当然ながらコレは信じないわけで……そのジョッシュさんの言葉を聞いたリリアはイネちゃんの方を振り向いて諦めたような顔をしながら首を横に振ってから、すぐ縦に振った。

 ふぅ……それじゃあ今にもスーさんにまたつぶてを飛ばそうとしている馬鹿を止めないといけないのか……なんだかんだで相手は実力者なんだし、イーア、手伝ってもらっていいかな。

『……まぁ説得のために知恵を出せ。とかじゃないのならいいけどさ』

 というわけなので私はジョッシュさんがつぶてを飛ばした瞬間に間に入って攻撃を受け止めてから、懇切丁寧に関節を決めて固め方を理解していない人は抜けられないように押さえ込んだのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る