第248話 イネちゃんと休息

「おーい、パン焼けたぞー」

「はーい」

 検問所での予防接種騒動の翌日、イネちゃんは大陸で旅をする前日までやってたコーイチお父さんのお店のお手伝いをしていた。

 皆からゆっくりすればいいのにとか言われたけれど、前にそれやったら暇を持て余してむしろ疲れたりしたので今はお手伝いしているのだった。

 決して、けっして!可愛い看板娘だとかで近所の人から持ち上げられたいとかではないのだ。

「いやぁイネちゃん久しぶりだねぇ、もう1年くらいだっけか」

「そんな経ってましたっけ、ちょっと色々あったからそんな感じはしてないんですけど」

「経ってるってー……あぁでも半年前のあの事件の時に1度帰ってきてたんですっけ?」

「はい、あの時はのんびりしてましたけれど……」

「イネちゃんは活発だから、退屈だったんでしょ」

「ははは……まぁそのとおりです」

 近所のおばさんとそんな会話をしながら焼きたてのパンを陳列して行く。

 陳列と言ってもトレーを交換するだけだしすごく楽なんだよねぇ、まぁパンを取るトングも交換してそれを洗う作業があるけれど、やっぱりそれはそれですごく楽だし。

「ところで今日は綺麗な子がレジに立ってるのねぇ」

「必要ないって言ったんですけどね……」

「イネが働いてるのに私が休むのは違うでしょ!」

「うふふ、こちらも元気なお嬢さんなこと」

 そして今、リリアがレジに立っているわけである。

 本当ならイネちゃんが陳列と洗い物とレジをやる予定だったんだけれど、リリアがどうしてもと言い出して聞かなかったから操作を教えて立ってもらったわけ……なんだけれども、イネちゃん帰ってきて最初にびっくりしたものがあるからむしろレジ役がいらない状態になっているんだよね。

 コーイチお父さんが昔働いていた会社が新しく分野開拓で作った機械のテストって名目で、映像を撮影して1発で金額を算出してくれる便利機能のレジスターが鎮座しててびっくりしたよねぇ。

「でもあの子、どこの国の人なの?日本語がすごく流暢ねぇ」

「異世界だよ」

「えぇ、あぁでもこの街ならありえる……というか確かに一ノ瀬さんのところが1番適任なのは確かよねぇ、イネちゃんがいるわけですし。大陸から、そうなのねぇ」

 あ、もうこっちでも大陸って名義で固定したのかな、この街だけの話かもしれないけれど会話で単語を選ぶ必要はあまりないのかな。

「でもイネちゃんと一緒ってことは……冒険者さんなのかしら?」

「ううん、リリアはヌーリエ教会の神官さんだよ」

「まだ見習いですけど……って本当仲良さそう」

「このお店ができた時からの常連なのよ、これでも。イネちゃんの事情とかはわかってるつもりだから、私は大陸のことをちゃんと理解あるつもりよー」

 その上で結構お世話を焼いてくれる人でもあるんだよね、イネちゃんが学校に行くことができないって知った時もこの人が教科書とか色々工面してくれたって聞いたし、実際にドリルとか買ってもらったこともある。

「おーい、追加焼けたぞー。あぁそうだ、リリアちゃんも手伝ってくれ、サンドイッチの仕上げ」

 コーイチお父さんに呼ばれた……っていうかその呼び方だと今リリアが必要のない役割やってるとか言っちゃってるようなものじゃないか。

「あ、はーい。サンドイッチって不思議ですよねぇ、手間は簡単なのにすごく美味しく作れるなんて……大陸だとあそこまで柔らかいパンはあまり見なかったから気付かなかったですよ」

「あらー、大陸は食べ物に関しては困窮していないって聞いているけど、お料理の種類はそれほど多くないのかしら」

「いいえ、むしろ多すぎる感じですけど……だからこそサンドイッチみたいに簡易的なものがあまり生まれる土壌がなかったってだけだと思います」

 そういえば簡単な食べ物って言ってもサンドイッチじゃなくおにぎりだったなぁ、しかも具がたっぷりだったり、焼いてあったりして結構手間がかかる感じのが。

 お弁当も具沢山だったなぁ……というかお弁当箱もしっかりしたもので……大陸の食文化っていろんな意味で尖ってるってのが改めて実感できるね。

 まぁそもそも大陸って食糧自体にはお金がかからない分、お料理っていう技術にお金が発生してるからこそ、手間暇かけてこそっていう文化の流れになったんだろう。

「うぅー……おなかすいた……」

 そして焼きたてのパンの匂いに誘われたのか、居住スペースからウルシィさんが出てきた。

「あら、こっちの子は立派なお耳。獣人さんってこんな感じなのねぇ。お耳、触ってもいいかしら?」

 そして返事が来るのを待たずに撫で始めるおばさん。

「にゃぁぁぁぁぁ!」

「あらごめんなさい、私ったらつい」

「うー……触ってもいいけど敏感だからもうちょっと優しくしてよぉ」

 あ、別に触っても良かったんだ。

 ウルシィさんの髪とかかなりもふもふっぽくて触りたい衝動にかられたりしてたんだけど我慢してたんだよなぁ……たまーに寝ぼけて抱き枕代わりにしちゃったこともあるけど、ウルシィさんってそういうのむしろ喜ぶんだよなぁ。

「あらあらごめんなさいねぇ。じゃあ……こうかしら?」

「きゅぅん……うん、気持ちいいよ」

「あ、じゃあおばさんとウルシィさん、ちょっとお店よろしくお願いします」

「はいはい、ちゃーんとお店番しておいてあげるわよ」

 ウルシィさんは何が?って顔をしていたけど、おばさんは何度もこんな感じでお手伝いしてくれたりするので勝手知ったる感じにイネちゃんはお願いしてから厨房へと入る。

「イネはこっち、メロンパンとクロワッサンの陳列。リリアちゃんはこっちでサンドイッチの調理を……と、その前に手洗いか」

「わかってますって、実家でも農作業の後にちゃんと洗ってましたから」

「あーこっちだと消毒も必要だからね、まぁうちの場合石鹸手洗いしてビニール手袋だからそこまで気にしないでいいけどさ」

 ちなみにこのビニール手袋は使い捨て。

 ビニール手袋のほうがちょっと使いづらい社会情勢になりつつあるらしくって今後どうしようとかコーイチお父さんは言ってたけれど、イネちゃんとしては紙手袋とかじゃダメなのかなと思ってしまうんだけどどうなんだろうね。

 大陸のほうから紙を仕入れればタダ同然の金額で仕入れられるし、いいと思うんだけどなぁ。

 まぁそのへんも何か面倒な政治的なものとか、取引先とのアレコレがあってできないのかもしれないけれど、そういうのはイネちゃんわからないからなぁ……いやまぁ異世界に行ったらやらざるを得なくなる気がしてるから、多少は覚えないといけないのかもしれないかもしれない……のはやっぱりちょっと不安があるよなぁ。

 今までならムーンラビットさんやササヤさんに面倒なことを丸なげすればいいかって感じだったから強気に出てたけど、今後は少し自重しないといけないかなーと思うと今からちょっとお腹が痛くなる。

 最も今それを心配する必要はないし、心配したところでなにもならないので今はその心配をそのへんに置いておいて日常を過ごすとしよう。

「はーい、メロンパンとクロワッサン、焼きたてですよー」

「メロン!?」

 ウルシィさんが超反応してきた。

「メロンって言ってもこのクッキー生地がそれっぽく見えるってだけだからね」

「クッキー!?」

 あぁうん、ウルシィさんだもんね、そっちにも反応するよね、今ハラペコだし。

「うーん……まぁ1個ならいっか、はいウルシィさん」

 イネちゃんがトレイを交換してからメロンパンを1個ウルシィさんに差し出すと、イネちゃんの手にあるメロンパンにそのまま噛み付いた。

「あらあら、ちゃんと手に持って食べないとダメよ」

「ふぁい」

 ……なんというか、人懐っこいわんことその飼い主みたいな構図になってらっしゃる。

 でもイネちゃんが大陸に行ってからこういう生活は殆どなかったからなぁ、ムーンラビットさんがあれだけ息抜きしてこいって言ってたのも納得できるくらいに、今のイネちゃんはすごくリラックスできてる気がする。

 異世界でもこんな感じの時間があればイネちゃんもリリアも楽になりそうだけれども……行く目的が目的だからなぁ、拠点の開拓と初期交渉で、イネちゃんは前者、リリアは後者だから絶対に無理だよね、うん。

 ただ……今回は結構な人数で皆の助けを得ながらことを進められるだろうし、申し訳ないけれどヨシュアさんに頼ってもいいよね、今まで発揮できていなかったチートっぷりをイネちゃんに見せつけてもらおう。

 帰省初日からそんなことを考えてるあたり、ちゃんと休めているのか不安になりつつもイネちゃんはそう決意しながら交換したトレイとトングを洗い始めたのであった。

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