恋日恋夜 ~Renjitsu*Renya~

閑 ちひろ

scene1*「初めて」

あたしのこと、名前で呼んでよ。



【1:初めて 】



「おい、なぁ~」


ベッドにもたれながらゲームにいそしんでいる彼氏のショウタは、隣で少年漫画を読むあたしに呼びかけた。

別にあたしのことを見るわけでもなく、むしろ画面とコントローラーに夢中になりながら声をかけてきたその態度に、内心カチンとしながら「なに?」と、素っ気なく返事をする。


ってゆーか、「おい」だとか、「なぁ」だとか、「おまえ」だとかなにそれ。

そもそも、あたしにはちゃあんと「マユコ」って名前があるんですけど!!!!

熟年夫婦じゃあるまいし、名前とかニックネームで呼んだっていいのに……なんて不満に思う乙女心を何にもわかってないショウタは、真夏の部屋の暑さでそれどころじゃないみたいだ。


「アイスとジュース切らしてっから、ちょっと買いに散歩しねぇ?」


何かと思ったら、ショウタから夏のナイスアイデアな提案。

だってせっかくバイトも部活もお互いが休みの久しぶりのデートなのに、暑いからってずっと部屋でゲームとかマンガとかつまらないことこの上ない。

改めて今日のデートを思い返したら何だかイライラしてきたので、つい意地悪を返してしまう。


「さっきあたしが言った時”暑いから外出られない~”って聞こえたのは空耳?」


その瞬間、ゲーム画面からは絶望的なまでのベタな爆発音がした。見ると敵からの一撃でショウタのパーティは全滅していた。

それがわざとなのか実力なのか分からないけど、ショウタの表情を見るにきっと後者なのだろう。

悔しいのかコントローラーをぽいっと手放して、不自然なくらいに明るくおどけた。


「……空耳だな。明らかに空耳。さて、俺の愛車でドライブドライブ」

「ってチャリンコじゃんか」


調子のよいショウタの言い分に、あたしは呆れながらも読んでいたマンガ本をそっこー閉じた。

だってこの部屋はエアコンのききがイマイチだし、涼しいところに行きたいし、漫画だって読みたくて読んでたわけじゃないし。

でも本当の気持ちは、どこでもいいからショウタと出かけたくて仕方がなかったから、ショウタのゲームの腕が悪くてラッキーだと思った。



* * * * * * * * *



「あっつぅ~~~~~い!!!!!」


午後3時過ぎの殺人的な暑さに思わずハモる。

これだけ暑いと、さっきまではどこでもいいから出かけたいなんて思ってた自分を否定したくなる。つまりは、やはり涼しいところが一番ということだ。

そんな事を思いながら、あたしはショウタのこぐチャリの後ろで空を仰ぐ。


チャリンコドライブだなんて聞こえのままダサいことこの上ないけれど、まさかショウタのチャリの空気が抜けててママチャリドライブにシフトチェンジになってしまったのだから、現実はもっと格好がつかない。まぁ後輪の荷台に座れるだけまだマシなんだろうけど。


そもそもコンビニまで自転車乗らなきゃいけないくらい遠いだなんて、ちっとも便利じゃない。

あたしたちの住んでいる町は1時間ちょっとで都内にアクセス可能なので、地図的にはそこまでド田舎ではないとは思う。

けれど実際の景観としては……外灯のない広大な田んぼが近所にあちこち広がっているし、コンビニに行くのにもチャリで10分近くかかるのだから、ド田舎ではない田舎だ。

そんなどこかのんびりしているここの地域が好きではあるのだけれど、どうやらコンビニなのに不便説を考えているのはあたしだけではないらしい。

ショウタは必死にこぎながら、この暑いのに馬鹿みたいに吼える。


「あ――!だいたい何でコンビニ行くのにチャリなんだよ!!」

「今更なこと言わない!歩くよりかはよっぽど涼しいじゃん。もうすぐ着くし、アイスとジュースとクーラーが待ってるぞ~!」

「高3の冬になったら免許早く取ってやる!!」

「うるさい!暑い!うるさい!!」


叫んで笑ってまたバカ笑い。学校でもそうだし、あたしたちはいつだってこんなノリだ。

そしてチャリで2ケツしたっておまわりさんなんかと会わないし、こんなこと大声で喋ってても誰も咎めないのだから、やはりここは紛れもなく田舎に違いない。





コンビニについたあたしたちはすぐにアイスを買い、隅のイートインコーナーに入った。ようやく涼しいところでありついたアイスはあっという間になくなり、それでもまだ体が熱かったのでもう一個追加して食べた。

あたりの棒を期待したけれど、どっちもハズレ。よくある話。


涼しい中でひととおり落ち着いてしまうと外に出るのが億劫になってまったので、もう少しだけ涼んでいくことにした。店員を見るとあんまりやる気のなさそうな感じぽかったので、少しくらいいたって嫌な顔もされないだろう。そんなわけであたしたちはこっそり立ち読みしたり、どうでも良いものまで見てはしゃいだりして小さな空間を楽しんだ。

さっきまで暑くて吼えていたショウタはもうすっかりご機嫌だし、かまってもらえなくてちょっとだけ不機嫌だったあたしもおんなじだ。


しばらくするとちょっとだけ陽が傾きかけて、さっきよりも風が吹いてきた。暑さもピークにくらべていくらかやわらいでいるかもしれない。

あたしたちは最後に再びアイスと、レトロに瓶のサイダーが売り出し中になっていたのでそれを買ってコンビニを出た。

外へ出ると生ぬるい空気がむわっと全身を包んで、先ほどよりかはマシな暑さにはなったけれど引っ込んでいた汗がまたじわりと出てきそうだった。

たまらずにアイスのパッケージを開けて、ショウタは自転車を押しながら、あたしはその隣を歩き出す。


「もう夏休みもあと半分だなぁ~」

「考えたらさ、この夏休みが終わる頃にはウチら付き合って2ヶ月だよ」

「あ、そうだな。早いなぁ。お前さぁ何かほしいもんとかある?」

「えー?何か買ってくれるん?」

「豪邸とかナシな」

「いらないし!てか豪邸って芸能人かよ。え、だったら遊園地とか行きたい」

「ネズミの運営してるとこ?まー、それだったら叶えてやれねーことはねーな」

「ほんと!?」

「前から気になってるけど、なんで女子ってあれ好きなの?あのネズミのどこがいいの」

「可愛いから」

「じゃー今度ハツカネズミプレゼントしちゃる」

「なんでそーなんの!!そーゆーネズミじゃないし!」


空の色がレモンイエローからオレンジになり、だんだんと変わっていく。

アイスはとっくに食べ終わり、あと少ししたら帰らなくちゃならないのが何だかさみしくて、あたしはしんみりした気持ちでオレンジと薄紫色がまじりはじめた空を眺めた。

すると突然、ショウタが珍しいことを言い出した。


「ちょっと寄りたいとこがあるんだけどいい?」


あまりない発言にあたしは少しワクワクしながら「いいけど、どこ行くの?」と訊ねるとショウタは下手なウィンクで返す。


「俺のお気に入りの絶景スポット。後ろ乗れよ」


何を企んでいるやら、ショウタに促されあたしは要領を得ないままコクンと頷いた。

後ろに座りショウタにつかまるとすぐにショウタはチャリを漕ぎだした。思いのほか上がっていくペースに一瞬体が後ろに落ちそうになったけど、あたしはぎゅっとショウタのお腹を抱きしめる。

もちろんお互い汗ばんでいたけれど、そんなことはおかまいなしだ。


細い体なのに、どこにそんな体力やら筋肉があるのか。ぐんぐんとスピードが上がっていく。

風に揺れる稲穂とあたしたちの進んでいくスピードが一緒になったみたいでとても気持ちがよかった。

どこに行くんだろうという疑問はすぐに解決した。なぜなら田んぼを抜けた先にあるのは土手と河川敷しかない。きっと川と夕陽でも見るんだろうなと思った。土手の坂道に差し掛かったところでショウタが言った。


「この坂道のぼったらすぐだからな!」

「坂だし降りて押そうか!?」

「大丈夫!伊達に筋トレしてねーし!プロテイン毎日キメてっから任せろ!」


何だその言い分!バカっぽくて大笑いしてしまったけれど、急に頼もしく見えるショウタに久しぶりにちょっとドキドキしてしまっていた。

そして言葉どおりにあたしを乗せたまま坂を登り切ると、目に飛び込んできたのは思った以上の綺麗な夕焼けだった。


「わーーーめっちゃきれい!!!」


思わずそう言うと「だろ?」と息を切らしながらも得意げにショウタは笑った。

土手の向こうは河川敷になっていて、川が空と夕日を映してキラキラと反射する。

もちろん地元だからこんな景色を見るのは初めてなんかじゃない。

だけどそんなのは小さい時の記憶なので、こうして改めて見る土手からの景色は自分の中にあった記憶よりもずっと美しくて本当に驚いた。

そもそもショウタの家とは反対方向なので、普段からこの景色を見ていないだけに余計に新鮮に感じる。

川のきらめき、金色の空の綺麗さに言葉が出ないでいると、ショウタはあたしの肩を叩いた。


「でもな、きれいなの、そこだけじゃねーよ。こっち見てみ」


そう言ってショウタは後ろを振り返る。

つられるようにあたしも振り返ると、そこには金色へと変わりつつある稲穂の絨毯が一面に広がっていた。

今まで何とも思わなかった田んぼなのに、こうして上から見るとこんなにも壮大で、綺麗だったなんて気付かなかった。近くで見ればすごく棘々している穂先だって、遠くから見るとまるでふわふわな絨毯みたいだ。


「ここの何にも無さが好きなんだよな~。田舎だから何もないからつまんねーってときあるけど、でもこういうの見るとやっぱ地元だなぁって思って結構気に入ってんだよな。元気ねーときとか、見るとちょっと元気出る」


いつも明るくお調子乗りのショウタのふと出た本音に、あたしは思わずハッとなる。


チャリの2ケツだって何のその、体だって相変わらず鍛えてるけど、ずっとやっていた野球がこの夏からできなくなった理由を、あたしはどこかで忘れていたからだ。


あたしは、ショウタが本当は泣いているような気がして、たまらなくなってショウタの右ひじにそっと触れた。

ショウタは一瞬驚いたようだけど、すぐにいつもみたいにニッと笑ってみせた。


「だからって遊園地行かねーとかって話じゃねーかんな!ちゃんと連れてくし!」


あたしがどう捉えると勘違いしたのか、ショウタは勝手に自分でフォローを入れ始めたのであたしは「そんなこと思ってないから」って呆れ笑うと、


「マユコ」


ふいに、初めて下の名前を呼ばれた。

ショウタを見ると自分から呼んできた癖に、「見んな」って、別に照れるようなことじゃないのにそっぽを向く。

だってそりゃあ見るよ。初めて下の名前であたしのこと呼んでくれたんだもん……。

あたしの嬉しさと比例するみたいにショウタはだんだんと照れが強くなってきたらしく、自転車の方向転換をしはじめながら「もう暗くなってきたし送るわ」とかっこつけるように言うけど、顔が赤いのは全然誤魔化せてなくて、分かりやすさにあたしは思わず噴き出す。


「呼ぶの、遅すぎ」

「……照れんだって!!」

「彼氏と彼女でしょー?」

「元々友達だったし、俺はお前の事、苗字で呼んでたし……」

「あ!お前ってまた言った。禁止ね」

「はぁ!?なにそれ!!?」

「あたしだって名前で呼んでもらいたいんだっての!そもそも”お前”のほうがよっぽど照れるよ!熟年の夫婦じゃあるまいし!」

「……確かに」

「だから、今から、名前でちゃんと呼んで」

「わ、わぁったよ…………ま、マユコ」

「なぁに」

「なんでもねー」

「なにそれ」

「マユコ」

「だから何」

「なんでもねーよ」

「もう!」

「まゆこ」

「もーいいかげんに」

「……ありがとな」


きっと、さっき肘に触れたときのあたしの気持ちに対してなんだろう。

そんなショウタの一言に、あたしの胸は何だか熱くなる。そしてその熱が移っちゃったみたいに、ショウタの耳はもっと赤い。


「ショウタ」

「ん?」

「好きだよ!」


今度はあたしが、ニッと元気いっぱいに笑って見せると、ショウタは一瞬考えるように止まって……何かシリアスな言葉で返してくれるかと思ったら、

「俺の顔真似、全然似てねーし!」

なんて、わざとゴリラの変顔で返してきた。それがあまりにも不意打ちなもんだから、あたしは思いがけず盛大に笑い出す。

ショウタといると、いつもこうだ。

いつもショウタに笑わせられてばかりで、色んな気持を貰ってばっかり。いつもあたしの方ばかり。

笑い続けるあたしをもっと笑わそうと手の込んだ笑いをしかけてくるのがショウタという男だ。

そして、あたしが心配しないようにわざとおどけて、最後は明るくふるまうような、そんな彼氏。


シリアスにはならない二人だけど、ずっとこの先も彼の隣に寄り添えたらいい。

ショウタと一緒に笑いあって大人になれたらいい。

明日も変わらずショウタが笑ってくれる日になればいい。


薄紫色の夜に進んでいく空を見上げながら、あたしはそんな風に祈ってショウタの肩へと頭をそっと寄せた。



( あたしの名前 呼んで見せてよ )

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