第4章 灰色の街へ ④津波が来た

 車は園児の列を横切り、国道に出た。

 街にはサイレンが鳴り響いていた。

「大きな津波が来ます。皆さん、高台に避難してください」

 事務的な女性の声で、避難命令が繰り返される。

 おそらく、オレらと同じように、どの車も高台目指して走っていたんだと思う。田んぼの畦道から次々と車が合流してきた。オレらの車のすぐ横を、原チャリが猛スピードで走り抜けていった。原チャリに乗ったおじさんの目が、血走っていたのが忘れられない。

「ここ、海からは結構離れてるよね?」

「うん、こっちまでは来ないと思うけどさ。奥尻島の津波もすごかったっしょ? あれを思い出してさ」

 父ちゃんと母ちゃんが、不安げに話している。

「兄ちゃん、津波が来るの?」

 真吾がオレの顔を見上げながら心配そうに尋ねる。その目には涙が光っていた。思わず、男のオレでもキュンとしそうな、つぶらな眼差し。

「来るかもね。でも、大丈夫だよ、逃げてるんだから」

 オレは真吾を安心させるために肩を抱いた。真吾は震えていた。

 弟を守らなきゃ。

 オレは生まれて初めて、そんな使命感を抱いた。

 そのとき。

 突然、母ちゃんが悲鳴をあげた。

「あれ、あれ、波!」

 右を指差しながら絶叫する。

 みんな、いっせいに右の窓の外を見た。

 海岸のほうで砂煙が上がってる――いや、あれは、波しぶき? すごい勢いで、堤防にぶつかってる。

 と思ったとたん。

 黒い何かが。

 黒い何かが、堤防を越えて流れ込んでくる。


 最初は、まさか、それが波だとは思わなかった。

 だって、映画で見た津波は、青い波だったんだから。

 黒い波は、堤防をやすやすと乗り越えて、猛スピードでこちらに向かって突進してきた。

「ヤバイヤバイヤバイ」

「左に逃げなきゃ! 左、左!」

 父ちゃんは慌ててハンドルを切り、狭い側道に入った。

 オレは振り返った。

 信じられないスピードで、その黒い何かが街を覆いつくしている。

 車も家もお店も電柱も信号も、何もかも。一瞬で呑み込まれていく。

「早く、早く、早く!」

 母ちゃんが絶叫する。父ちゃんはアクセルを全開にした。

「ああっ」

 オレは小さく叫んだ。

 さっきまでオレらが走っていた道路が、あっという間に津波に呑みこまれてしまった。道路を走っている車は、次々と波に巻き込まれていく。

 波は木や看板やドラム缶や、いろんなものをつれてきていた。

 うわ、あんなのに呑まれたら……。

 横を見ると、俺らと同じように、白い車が全速力で側道を走っている。

 たぶん、その車は、俺らより数十メートルは遅れていたんだと思う。黒い波に背後から呑み込まれていった。

「いやあ、もう。ヤバイ、ヤバイ。逃げて逃げて逃げてっ」

 母ちゃんが上ずった声で叫ぶ。真吾がオレの腕にしがみついた。

 父ちゃんは、必死でアクセルを踏んでる。車は大きく揺れ、何度も体が跳ね上がる。 

 大丈夫、このスピードなら、逃げられる。大丈夫、大丈夫。

 そう思って振り向いたとき、オレは確か、叫んだ。

 そんな。

 黒い波が。

 オレ達を呑み込もうと。



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