第7話 魔王の心配

 ここは、とある世界。

 急峻な山々に抱かれるようにして、巨大な岩の塊がそびえていた。

 いや、それは巨大な岩山を削り、くり抜いて造られた城だった。

 こげ茶色の岩肌は磨かれたような光沢があり、壁面のあちらこちらに開いた窓にはクリスタルはめこまれ、それがやや赤みを帯びた陽の光を受け七色に輝いていた。

 この岩山こそ、この世界の魔獣、魔族を統べる魔王城だった。


 さて、この魔王城の最上階、だだっぴろい広間に置かれた黒い玉座には、まだ十五にも見えない娘が座っていた。


「ふう~、父様とうさまに頼んで魔王になってみたが、なんだかやけに退屈じゃのう」


 組んでいた長く形のいい足をほどくと、娘が立ちあがる。

 豊かな真紅の髪が、後光のように美しい顔をかたどっていた。

 額の左右から角が突きだしていたが、漆黒でつやのあるそれは赤髪に映えていた。

 人間離れした大きな目には、赤い瞳が不満をたたえ光っていた。


「じいや、わらわは退屈じゃ。

 なにか仕事はないのかえ?」


 広い部屋には、彼女の他に黒いローブを羽織った老人がいるだけだ。

 骸骨にしか見えないその顔から、きしむような嗄れ声が漏れだした。


「今のところ、なにもございませんな」


 エルダーリッチである骸骨は、七代前の魔王から仕えている、この城のぬしともいえる存在だった。

 娘を溺愛する先代魔王が彼女の願いを聞きとどけ、形だけ王位を譲ったことを、この老人は苦々しく思っていた。

 

「陛下のお戯れにも困ったものよ……」


 老人の小声が、娘の耳に届いてしまう。


「わらわは戯れてどおらぬぞ!」


 骸骨老人エルダーリッチが口にした「陛下」という言葉は、先代魔王に向けられたものだったが、娘は自分が話しかけられたと勘違いしたようだ。 


「それより、みなはどうしてこの部屋におらぬのじゃ?」


 今この時も、多くの魔族がこの城の地下で国のために働いているなど知るはずもなかった。

 そのことは、彼女だけに隠されていたのだ。

 もちろん、彼女の父である先代魔王も、城の地下で政治まつりごとを行っていた。

 彼は、遠くないうちに娘が魔王という仕事に飽きて投げだしてしまうに違いないと考えていた。

 彼女が玉座にすわり魔王をしているのは、あくまでお遊びのようなものなのだ。

 ただ、娘自身はそんなことにかけらも気づいていなかった。この辺り、生まれてからこちら、ただちやほやされて育ってきたがゆえの世間知らずといえた。

 そんな時、いきなり下座の扉がバンと開き、一体のオーガが広間に駆けこんできた。


「陛下!

 大変でございま……え?

 いったいこれはどうしたこと?

 なぜ姫様が玉座に?

 陛下はどちらにおいでで?」


 男はオーガにしてもことさら大きなその体を揺らし、いかつい顔いっぱいに当惑を表している。どうやら、魔王が代わったのを知らなかったらしい。

 本来、王城に来るなら磨かれているべき革鎧は、乾いた泥と埃で白く汚れていた。


「おお、お主は確か、辺境をまかせておったベルド魔将軍じゃな」


「姫様、ベルガでございます。

 それより、今は緊急の連絡がございます。

 陛下はどちらに?」


「陛下というのが、魔王を指しているなら、今はわらわがそうじゃ」


「……え?

 それは、どういうことでしょうか?」


「今はわらわが魔王なのじゃ。

 父上から譲位されたのじゃよ」


「……」


 あまりの事に、ベルガは言葉を失ってしまった。


「ベルガ将軍、用件ならワシが聞こう。

 それほど慌ててなにがあった?」


 そのままでは埒が明かないと考えたのだろう。エルダーリッチである老人が、助け船を出した。


「こ、これはネルフィム卿……では、報告いたします。

 辺境の森で異変がありました。

 複数の場所に結界のようなものが張られ、その中と外で行き来できなくなっております。

 そのため、住民の安否も確かめられずにおります」


「なんと!

 どれほどの範囲でそのようなことが起こっておる?」


「調べたところ、辺境の森一帯でそのようなことが起こっているとのこと。

 例えば、『帰らずの森』では、ゴブリン族、オーク族、オーガ族の集落が結界内に閉じこめられております。

 配下に調べさせたところ、結界は一か所だけでなく、分かっているだけでも十か所以上あるもようです」


「くう、このような時になんたること!

 すぐ陛下に知らせねば!」


 ネルフィム老が杖を立て、動きだそうとするのを娘が止めた。


「じいや、待て!

 そのような時こそ、魔王であるわらわの出番であろう?

 じいや、ベルド将軍、今から会議じゃ!

 魔王であるこのわらわ、エリザベートが問題を解決してみせようぞ!」


 玉座を離れた赤髪の娘が広間の奥にある扉から外へ出ようとする。

 顔を見合わせて動こうとしない、ベルガ将軍とネルフィム老を見た彼女は、いらだたし気に声を上げた。


「じいや、ベルド、早うこちらへ来ぬか!」


 またもや名前を間違えられたオーガの魔将軍は、エルダーリッチとともに、渋々といった態で娘の後についていく。


「わはははは!

 わらわにかかれば、そのような問題なぞ、すぐに解決じゃ!」


 魔王である娘の笑い声を聞き、ベルガ将軍とネルフィムろうの顔には、呆れと絶望が浮かんでいた。


 ◇


 娘の父親である先代魔王のところへも、すでに辺境の異変について報告がもたらされていた。

 城の地下にある食糧庫に机や椅子が運びこまれ、そこが臨時の執務室となっているのだが、急に政務の場所を移したことで、部屋は混乱を極めていた。


「その資料はこちらの棚に!」

「これはどこに置けばいいんでしょう?」

「私の机が見当たらないのですが……」


 そんな中、国のあちこちから異常事態の報告が入ってくる。


「西方、『さざめきの森』に謎の結界が発生しています!」

「先日起きた地震と結界の発生に関係がある可能性が――」

「交易都市バラクの南半分が結界に閉じこめられました!」


 先代魔王が頭を、いや角を抱えたのは仕方がないことだ。


「ぐぬぬ、この忙しい時に、なんたることだ!

 ただちに調査班を編成せよ!

 結界の発生時刻、発生場所を詳細に調べるのだ!」


(エリザちゃんに知られないうちに、問題を解決しなくちゃ。パパ、超がんばっちゃうからね!)


 究極の親バカともいえる先代魔王の想いに反して、娘である魔王エリザベートの暴走はすでに始まっていた。

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