第67話 薄い本(下)
ニコ少年が声を掛けると、カツカツと靴音を鳴らし、若い女性が近づいてきた。
「ああ、これは夢かしら!
シロー様、お久しぶりです!
ミラと申します。
またお目にかかりたいと、どれほど祈ったことか!」
断りもせず、隣の席に座った赤い軍服姿の女性は、俺の右手を両手で抱きしめ、それを自分の胸に押しあてた。
むにゅ~。
「だ、誰?」
『d(u ω u) 以前この世界に来た時、ウエスタニアで最初に出会った女性ですね』
「あら、気のせいかしら、頭の中で声が?」
「そういえば、俺にナイフで襲いかかってきた人かな?」
「もう!
シロー様、そんなことは忘れてください!
それより、あの時は聞けませんでしたが、どこに住んでいるんです?
寝る時は、どんな服装で?
どんな下着をお持ちで?
毎日、どんな食事を――」
「ちょっ、近い!
顔が近い!」
いきなり何だ、この人は!?
「あっ、ご、ごめんなさい!
次に書く本の参考にしようと思って」
「次に書く本?」
「ふふふ、前の本が凄く評判で、上司からも次を早く書けってせっつかれてまして」
その時、なぜか背筋がゾクリと冷たくなった。
「シロー……」
「お兄ちゃん?」
「シロー、その女(ひと)……」
「史郎君、どうして!?」
いつの間にか、すぐ側にルル、コルナ、コリーダ、舞子が四人並んで立っている。
彼女たちの視線は、ミラの胸に押しあてられている俺の手に集中していた。
慌てて手を引っこめるが、これはもう遅いよね。
『(*'▽') 手遅れー!』
くそう、点ちゃんめ、面白がってるな!
「お話を聞かせてもらいましょうか?」
ルルの静かな声で、その場が凍りついた。
◇
俺のテーブルに着いたルルたちとミラは、俺のことなどそっちのけで会話を始めた。
「まあ!
ルルさんとシローさん、お二人の間にはお子さんがいるんですね!」
「ええ、娘たちも一緒にこちらへ来てるんですよ」
ルル、この人の質問は、真面目に取りあわない方がいいと思うよ。
「イイですね!
想像が膨らみます!
アリストでは、コルナさん、コリーダさんも一緒にお住まいなんですよね?」
「そうね」
「住んでるわ」
「まあまあまあまあ!
確か、参考書によると、男性と女性は一対一の夫婦関係が普通だという事でしたが?」
ミラの言う「参考書」とは、恋愛指南のため『結びの国』の成人に一冊ずつ配布した冊子のことだろう。
なにせ、ここでは、最近まで男女交際が一切なかったわけだから。
「文化によっても違うけど、私が知っている世界では、それが一般的ですね」
ルル、そこまで懇切丁寧に説明する必要ないんじゃないかな。
「そして、こちらの可愛らしい方は?」
ミラが舞子の方を向く。
顔を赤らめモジモジしている舞子の代わりに、コルナが答えた。
「彼女は、マイコ。
シローの幼馴染だよ。
マイコもシローのことが……ねえ、そうでしょ?」
「も、もう!
コルナったら!
史郎君の前で何言ってるの!
困っちゃう!」
頬を手で押さえ、イヤイヤするように首を振る舞子をミラがじっと見ている。
その目が獲物を狙う鷹のようにギラギラしているのは、気のせいはあるまい。
「四人の女性を侍らす英雄!
もう、創作意欲爆発って感じ!
いくらでもお話が湧いてくる!」
いったい何を書く気だ、この人?
その時、二人の若い女性がおずおずとテーブルに近づいてきた。
この国で最近流行りはじめた、野暮ったい薄茶色のワンピースを着ている。
二人とも兵士なのか、髪は短く小学生の男子っぽい髪形だ。
「あ、あのー、もしかしてミラさん?」
右側の女性が尋ねる。
「はい、そうですが」
「「きゃー!」」
二人は手を取りあい、文字通り跳びあがって喜んでいる。
「ミラさん、私、これ読みました!」
「私も!」
どうやら二人は、ミラのファンらしい。
二人とも、手提げ袋から手垢のついた薄い冊子を取りだした。
「この後、英雄とヴァルム大尉は、どうなったんですか?」
「そうです!
私もそこが気になって!」
どういうことだ?
「ちょっと、その本、見せてもらっていいですか?」
冊子に何が書いてあるのか、それがめちゃくちゃ気になる。
「はい、いいですが……あなたも英雄に憧れてるの?
頭にそんなもの巻いて」
右側の女性が、怪しい人でも見るような目で俺を見る。
「ほほほ、あなた、この方は、英雄その人ですよ!」
ミラが勝ちほこったように笑う。
「「ええっ、本物!?」」
めちゃくちゃ驚いてるね、この二人。
目玉が飛びだすんじゃないか?
「あ、あのう、ヴァルム大尉とは、やっぱり口と口を合わせたりしてるんですよね?」
それを聞いたコルナが、飲みかけたお茶を噴きだす。
「お兄ちゃん!
ヴァルム大尉って、あの男の人でしょ!?
なんで男同士でキスなんかしてるの!?」
「おい、間違えるな、コルナ!
それ、この人が書いた架空の物語だから!」
ミラは俺から顔を背け、わざとらしく舞子に話しかけている。
「ちょっとそれ見せてくれます?」
テーブルの横に立っている女性が持つ冊子を、奪うようにルルが手にする。
だが、大丈夫だ。
ルルは多言語理解の指輪をしているが、彼女のそれには文字を読みとる機能はない。
「マイコ、声に出して読んでくれる?」
やっ、やばい!
舞子が着けている指輪は、文字の読解まで可能なものだ。
「いいわ、ルル。
ええと……。
『ヴァルムの手が、むき出しのシローの肩に――」
「ちょ、ちょっと待ったーっ!」
慌てて舞子の口をふさぎ、読むのをやめさせる。
すでに、店中のお客が、このテーブルの方を向いている。
中には立ちあがり、こちらに来ようとしている者までいる。
「ニコ、また来る!
すまない!」
指を鳴らすと、周囲の景色が一瞬で変わった。
◇
ソファーやクッションが置かれたその部屋は、『結びの家』上空に浮かべた点ちゃん1号の中だ。
ルル、コルナ、コリーダ、舞子の四人と、ミラを連れ瞬間移動した。
瞬間移動を、今ほどありがたいと思ったことはない。
「な、なんなの!?
ここどこ?」
ミラは初めての体験に周囲をキョロキョロ見回している。
「ふう、とにかく座ってくれ」
点収納からお茶を出そうとしたが、いち早くルルがお茶の用意を始めてしまった。
大型のソファーにルルたち四人が並んで座り、それと向かいあうようにと俺とミラが座った。
ローテーブルに置かれたエルファリアのお茶をみんなが一口飲んでから、おもむろに切りだした。
「ミラさん、とにかく、まず説明してくれ」
テーブルに置かれた二冊の「本」を指さす。
「ええと、最初はこちらの本を書いたんですが……」
ミラは、手垢の着いた、薄い冊子を手に取る。
「それが凄く評判になって、こっちの本を出すことになったんです」
彼女は『解放の英雄』という題がある本を手で撫でた。
「あのねえ、誰かを題材に本を書くときは、その人から許可をもらわないといけないんだよ」
「えっ、そうなんですか!?」
ミラの顔色が変わる。
「そうなんだ」
ここは断言しておく方がいいだろう。
「プライバシーという考え方があってね――」
「史郎君、そんなこといきなり言われても、ミラさんは理解できないと思う」
珍しく舞子が反論した。
「それもそうだな。
うーん、どうすればいいんだろう?」
「お兄ちゃん、学校を作ったらどうかな?」
コルナが提案する。
「学校……なるほど、学校か!
それなら、いろんなことが学べるし、男女間の事もそこで教えたらいいよね!
コルナ、凄いアイデアだ!」
「えへへ!」
「男女共学にするといいと思うわ」
コリーダがつけ加える。
「なるほど、一緒に時間を過ごせば、男女間の偏見も解消されやすいだろうね」
「シロー、先生はどうしますか?」
ルルの疑問は当然だね。
「うーん、そうだなあ。
この世界の調査も兼ねて、ギルドに頼むのがいいかもしれない」
「冒険者に先生が務まるでしょうか?」
「よく選べば適当な人材がいるはずだよ。
ポータルズ世界群、全てのギルドから選抜すればいいんだから」
「ギルドって何ですか?
さっき、急にこの場所に来たのってどうなってるの?」
そこからは、またミラの質問攻めが始まった。
彼女の相手はルルたちに任せておいて、俺は学校の設立について思いを巡らしていた。
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