第2話 勘違い


 夜半から早朝にかけて降った激しい雨が草地や森を洗い、空が晴れ渡った草原はすがすがしい空気に満ちあふれていた。

 王都から歩いて半日、馬でその四分の一という距離にある森が目の前に広がっている。

 十五名の騎士が、陛下とヒロコを囲むように護衛してここまで来た。それに加えて高位の魔術師三名が随行している。また、狩りで勢子を務める者たちが二十人ほど、徒歩でついてきている。


 丘陵地帯に広がるこの森には、様々な魔獣が棲むが、今日の狙いは『飛びウサギ』だ。

 このウサギ、狩りの対象としては最高峰とされる魔獣だ。

 人によってはこの魔獣のことを神聖視するほど、その存在は稀だ。

 一見しただけでは、子供たちでも獲れるハーフラビットに似ているが、それよりも一回り大きく、なにより違うのがその大きな耳だ。

 人が片手を広げたほどまで広がるその耳は、ウサギが危険を感じると翼のように広がり、かなりの距離を飛ぶことで知られている。


 そういう事があるので、飛びウサギは狩るのが最も難しい魔獣の一つに数えられる。

 良質の皮と肉は、時には金貨二十枚以上の値で取引される。

 乱獲を防ぐため、国全体で一猟期に五匹までしか獲れないと決めてあるが、もともと希少な魔獣なのでその制限に達する年はほとんどない。


 今日、陛下は王家に割り当てられている特別枠を使い、その『飛びウサギ』を狩るのだ。

 逞しく大きな白馬ラターンに乗った陛下の後ろには、侍従に引かれた白馬に乗るヒロコがいる。漆肩の長さで揃えた黒髪を微風になびかせる彼女は、凛々しく美しかった。


 ◇


「陛下、この辺りでよろしいか?」


 ショーカの声に余が答える。


「うむ、よかろう」


 ヒロコは、騎士が引いた白馬に乗っている。

 馬車に乗せることも考えたのだが、それでは彼女が余の雄姿を見逃す恐れがある。


 ショーカが、魔獣を追いたてる勢子せこを務める者に下知を与えている。

 軽装の勢子たちが、森の中へと入っていく。彼らが獲物を余の所へ導くのだ。

 森から開けた野原へ追いだされたところで、魔術で魔獣を狩る手はずだ。


 カンカンカン


 森の中から、金属を打ちならす音が聞こえてくる。

 こちらの野原へ魔獣が出てくれば、後は魔術で仕留めるだけだ。

 野原の左手は崖、右手は騎士たちが固めているから、魔獣は唯一空いているこちらへ逃げるしかない。


 木立から白く小さな魔獣が数匹、一斉に跳びだした。

 ハーフラビットだ。

 よほど慌てているのだろう。地面に脚をとられ、転がりながらこちらに走ってくる。

 ヒロコが声を上げる。


「まあっ!

 ウサギかしら?」


 引きつづき、フォレストディアのつがいが現われる。

 立派な体躯を持つオスは、二股に分かれた見事な角を二本、振りたてている。

 本来なら、十分価値のある獲物だが、今日の狙いは別にある。


 我々の横を走りぬける二匹のフォレストディアに、ヒロコが再び声を上げた。


「まあっ!

 美しいわっ!」


 彼女の興奮が伝わってきて、余も身体が熱くなる。

 諸国に轟く、我が狩りの腕、今こそ見せようぞ!


 先祖伝来の青い小型魔法杖ワンドを、懐に入れておいたミスリル製の筒から取りだす。この杖は我が国の至宝も言うべきもので、材質、製法とも、とうに失われた古代魔術王国製である。 

 我が国の色でもある、鮮やかな青は、このワンドの色に由来すると言われている。

 本来、宝物庫の奥にしまい込んでいるものだが、今日はどうしてもこれが使いたかったのだ。


『マスケラス』という名を持つこのワンドは、魔術効果を二倍以上に引きあげると言われている。 

 そして、命中率上昇の補正もつく。

 現在知られている名工の最高傑作も、これには遠く及ばないのだ。 


「陛下、左です!」


 ショーカの声でワンドを構える。

 崖際の草むらを揺らす白い背中が見える。魔獣は崖の縁沿いをこちらに駆けてくる。


「水の力、我に従え!」


 詠唱により、ワンドの先端付近に一抱えほどある水玉が浮かんだ。

 余は初めて使う伝説級ワンドの効果に驚く。

 水玉は、いつもの二倍以上に膨らんだ。


 ワンドを頭上に挙げ、振りおろす。


「ウォーターボール!」


 水玉は、稲妻のような速さで魔獣に襲いかかった。


 キャウッ


 水玉が見事に白い魔獣を捉える。魔獣は草の上をコロコロ転がった。その動きで長い耳がふさふさ揺れるのが見えた。

 間違いなく『飛びウサギ』だ。


 まだ、少し動いている魔獣を狙い、もう一度魔術を唱えようとした時、叫び声が聞こえた。


「馬鹿ッ!」


 すでにワンドを振りおろしかけていた余の目に、魔獣の方へ駆けよる青い服が見えた。

 ヒロコだ。

 慌てて魔術を中断しようとするが、すでに水玉はワンドを離れ、そちらに向かって飛んでいた。


 幸い、水玉はヒロコの頭をかすめ、狙い通り魔獣に命中した。


 キュッ


 獲物を仕留めた喜びが湧きあがる。

 狩りの成功を捧げるべき相手であるヒロコは、魔獣の横に膝を着いている。


「ヒロコ、そちのための獲物ぞ!」


 余が大声で言うと、ヒロコがこちらを振りかえった。

 その目が涙で濡れている。

 彼女の涙を初めて目にした余は、思わず舞いあがってしまった。


「おお!

 喜んでくれるか!」


 しかし、彼女の口から出た言葉で、頭を破城槌はじょうついで殴られたような衝撃を受ける。


「ひどいっ!

 どうしてこんなことを……」


 彼女の言葉は、怒りと悲しみに溢れていた。

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