マスケドニア国王編

第1話 国王の恋

「ふう~……」


「陛下、いかがなされました?」


 大きなため息をついた余に、軍師であり側近でもあるショーカが声を掛けてくる。

 この者の洞察力をもってすれば、余が何に悩んでいるかなど、先刻承知だろうに。


「ふう~……」


「陛下、思いきってヒロコ様にお気持ちをうち明けられては?」


「ショーカよ。

 それで、もしヒロコが『地球世界』とやらに帰ってしもうたらどうする?」


「……私の見立てでは、ヒロコ様も、陛下に好意を持たれているかと」

   

「じゃがな、すでに六十七回だぞ、六十七回!」


 それは、余がヒロコに投げとばされた回数だ。

 彼女は「アイキドウ」なる技を身につけており、いつもよく分からないうちに、我が身は宙を舞い背中を地面に着けている。

 ここのところ、なぜか投げられると少し嬉しくなってきているなどとは、この堅物の軍師に言えたものではない。


「畏れおおくも申しあげますが、陛下はヒロコ様に対して少し性急すぎるかと――」


「しかし、手を握るとか、肩に触れるとか、たったそれだけだぞ?

 その度に投げられる、余の身にもなってみよ!」


「彼女の故郷、『地球世界』では、そういう事をあまりしないのではございませんか?」


「いや、そんなはずはない。

 そういった事に関しては、向こうの方が我が国よりはるかに自由だと聞いておる」


「それはいったい、どなたから?」


「勇者カトーにも、シロー殿にも、アリスト女王にも確認しておいた」


「陛下……」


「いったい、余の何が不満なのだ、ヒロコは!」


 確かに、二十過ぎの彼女と三十半ばの余では、年の差はある。しかし、そんなことは、問題ではあるまい。いや、問題であるはずがない。

 この国では、十五の娘が六十の男に嫁ぐことも珍しくないのだ。


「とりあえず、明日の狩りに彼女を伴うのはおやめください!」


「ショーカよ。

 いくらお主の頼みでも、それは聞けぬな。

 この一月ひとつきというもの、余はずっと明日の事を心待ちにしておったのだ。

 開放的な野外なら、ヒロコの気持ちも変わろうというもの。

 それに、狩りの得意な余が、その妙技を見せれば、彼女の心も動くであろう。

 絶対に、明日はヒロコを伴うぞ!」


 ◇


 陛下の頑固にも困ったものだ。

 軍師である私に対し、かつて陛下がこのようなワガママを言ったことなど一度もなかった。

 ヒロコに対する陛下の気持ちは、本物のようだ。


 実のところ、私はヒロコからも相談を受けている。

 陛下を好きなのだが、どうすればよいかと。

 彼女は、それを独り身の私に切々と訴えるのだ。

 私の身にもなって欲しい。

 それに、ヒロコがこの国に来て以来、彼女の存在が私の中で少しずつ大きくなっている。

 異世界の知識をこの国の施政に反映するため、私は幾度となく彼女と話をしてきた。共に過ごした時間は、陛下のそれと比べものにならないほど長い。

 だから、彼女が頬を染め、陛下に対する気持ちを訴えるたび、私の心は千々に乱れるのだ。


 とにかく、このことは成りゆきにまかせるしかないだろう。

 真の勇者であるカトー、その姉と陛下との婚姻は、我が国として願ってもないことなのだから。

  

 ◇


 狩りの当日。

 その日は、夜明け前に小雨がちらついたが、陽が昇ってからは青空が広がった。

 まさに余の心を表すかのような朝だった。


 侍従が王宮の厩舎から引いてきた白き愛馬『ラターン』に乗り、迎賓館に向かう。

 迎賓館の入り口には、狩り着姿のショーカを伴ったヒロコが立っていた。

 薄青の上着とやはり薄青のズボンを身に着け、美しい黒髪を後ろでまとめた彼女は、まぶしいほど凛々しかった。


 ラターンから降りた余は、思わずヒロコに抱きつこうとしたが、そこで踏みとどまる。

 危ない所であった。また彼女の『アイキドウ』なる技を食らうところだったぞ。  


「おはようございます」


 ヒロコの歯切れよい声が、余の胸に響く。

 

「おはよう、ヒロコ!

 その服も似合おうておるな」


「ははは、陛下は、なんでも褒めるんですね」


「そんなことはないぞ、現に――」


「陛下、随行の者が待ちかねております」


「おお、ショーカ、そうであったな。

 では、出発することとしよう!」


「陛下、今日はどこへ何をしに行くのですか?」


「ふふふ、ヒロコ、それは着いてからのお楽しみだ」


「もう、なんで教えてくれないんですか?」


「教えたなら、そなたを驚かせられぬではないか、ははは」


「分かりました。

 とにかくご一緒しましょう」


  近隣諸国に鳴りひびく我が狩りの腕を見さえすれば、ヒロコも少しは心変わりしようかというものだ。

 余は、狩りへの期待とヒロコへの思いで胸の高鳴りを抑えることができなかった。

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