林先生編
異世界科教師の悩み
「ふう、今日も終わったか」
西日が入る職員室に戻ってきた俺は、自分の席に着くと両手を頭の上で伸ばした。
「ご苦労様、林先生。
今日、イギリスとフランスから取材が来てたんでしょ?」
話しかけてきたのは、隣の席に座る小林先生だ。
音楽教師である小柄な彼女は、いつもきちんとした服装をしている。
今日は、淡い青色のシャツ、チェック柄のスカートに、ベージュのジャケットを羽織っている。
その服装は、二十台後半にしては落ちついた雰囲気を持つ、小林先生の魅力を引きたてていた。
「フランスからの取材班が通訳を連れてきてなくて。
あれには、ホント困りましたよ。
〇〇〇のスタッフに頼みこんで通訳してもらったんです」
〇〇〇は、世界的に有名なイギリスのマルチメディアだ。彼らは、フランスの報道機関より前の時間が、俺とのインタビューに割りあてられていた。
「どうしてそんなことに?」
小林先生の疑問は当然だ。
「いや、シローたちは、魔道具の指輪とかで通訳なしにしゃべれるでしょ。
向こうはそれを知ってるから、私にもそんなことができると思われてたようなんですよ」
「あははは、魔法の指輪かー。
そんなものがあれば、それは便利ですよね。
今度、坊野君が異世界から帰ってきたら、一つもらおうかしら」
「いや、無理だと思いますよ。
異世界でも、かなり高価なもののようだから」
実のところ、俺はそれを一つ持っている。
ただ、今日はそれを家に置いてきていた。
それは各国上層部と同席する場で使うようにと、シローが置いていったものだ。
俺が持っているものの他は、『異世界通信社』に一つ、『ポンポコ商会』に一つ、全部合わせても地球世界で三つしかないという代物だ。
外国の政府筋からのアプローチは、極力その『異世界通信社』か『ポンポコ商会』に回しているのだが、どうしても断れないことがあるのだ。
この日曜日にも、カナダの要人と会う予定になっている。首相から直接頼まれて仕方なくだ。
まったく、ただでさえ新設された『異世界科』の担任として忙しいってのに、一体どうしてくれるんだよ。
「そういえば、来年は異世界科が、もう一クラス増えるそうじゃないですか?」
とりとめのない考えに囚われていた俺の意識を、小林先生の美声が引きもどす。
「ええ、よくご存じですね。
今年はありませんでしたが、来年から留学生を受けいれる予定なんです。
言葉の問題があるので、留学生だけで一クラス作るそうですよ」
「バイリンガルの先生が、副担任として赴任するそうですね」
なんでも、若くして博士号を持つアメリカ出身の才媛らしい。
どう見ても、情報収集の目的で合衆国が送りこんだ人物だろう。
直接会ったことがある、大統領の顔を思いうかべる。
「まあ、何とかなるでしょう」
「先生、休む時はしっかり休んでくださいね」
小林先生が、なにか眩しいものでも見るような視線を向けてきた。
「ありがとう」
◇
二十年来使っている愛用の鞄を手に、職員用出入り口から出ようとすると、二人の生徒が立っていた。
俺が受けもつ異世界科の生徒で、男子が小西、女子が白神という。
「先生、ちょっといいですか?」
白神が目を輝かせ、話しかけてくる。
「ああ、何だ?」
「異世界クラブで、パンゲア世界の言語を調べようってことになって、その資料が何かないかと思って」
「うーん、あまりないなあ。
ルルさんの授業を映した動画ならあるけどな。
あの中で、彼女がパンゲア世界の文字について触れてただろう?」
「これ、あの時のノートです!」
小西が、俺の胸にノートを押しつけてくる。
開いてみると、板書はもちろん、ルルさんが話したことまでこと細かく書いてある。
「お、おお、こりゃ凄いな」
全く、彼らの情熱には恐れいる。
どう見ても、異世界の事について俺より詳しいだろう、これは。
「今日すぐにって訳にはいかんが、文字つきの資料があるかどうか調べておくよ」
「「お願いします!」」
「お、おう……」
◇
小西たちと別れた後、俺は校門から出ようとしたが、あるものを見つけ慌てて立ちどまり、
そこには、七、八人、報道関係者の姿があった。
全く、どうしてこうも毎日取材に来るかね。
俺はいつもの裏道を抜け、学校の敷地から出ることにした。
この道を通ると、木の枝で服が傷つくから嫌なんだが。
生垣の隙間で外をうかがう。車一台がやっと通れるかという道には誰もいないようだ。
道に出ると、すぐ路地に駆けこむ。
この道は地元の者しか知らないもので、途中何度も枝分かれしながら大通りに繋がっている。
大通りと言っても、田舎のことだから片側一車線の道なのだが。
路地を通りぬけ小さな公園に出た。色がはげかけたゾウやブタの遊具が置いてある公園を横切れば、大通りに出られる。
足早に歩く俺の前に、ウグイス色のスーツを着た若い女性が立ちふさがる。その後ろにはカメラを担いだ男性の姿がある。
「林先生!
〇〇テレビです。
次に、『初めの四人』が帰ってくるのはいつですか?」
それを無視して足を早めるが、彼女は俺の前に回りこみ、両手を広げ進路を塞いだ。
俺は足を停め、奥の手を使うことにした。
「異世界の情報については、『異世界通信社』を通して手に入れてください。
あなた方がこのような事をしていると彼らが知れば、〇〇テレビだけ情報がもらえなくなりますよ」
「そ、それは……」
「では、失礼」
青くなったレポーターを残し、俺はその場を立ちさった。
◇
築六十年というアパートに帰り、畳に敷いた万年床の上に横になる。
陽に焼けた畳に直接置いた小型テレビの上には、二人の娘が無邪気に笑う写真が置いてある。
今は大学生と高校生になった二人には、もうこの頃の面影は残っていないかもしれない。
かつて、俺がスポーツ系部活動の顧問をしていたころ、たまたまその部が県でも三本の指に入る強豪だったため、平日休日問わず朝練はもちろん、暗くなるまで練習につきあっていた。
ある晩、九時を過ぎて自宅に帰ると、妻子の姿はなく、食卓の上に置手紙があった。
「これでは、未亡人と同じ。
もう耐えられません。
幸子」
強い筆圧で書かれた文字から、長年我慢してきた妻の怒りが伝わってきた。
感情を露わにすることが少ない彼女だからこそ、内側に多くのものを溜めていたのだろう。
協議離婚の末、その家は妻に渡し、俺は身一つでこのアパートに移った。
妻が再婚してからは、娘たちと会う事もなくなり、もう十年近く二人の顔を見ていない。
ため息をつく。タバコが無性に吸いたくなった。
元妻と娘たちが散々嫌がったのに吸いつづけたタバコは、離婚を機にやめた。
この部屋では、長いこと酒も飲んでいない。
独りだけの部屋で、俺は何のためにそんなことを続けているのか。
もしかすると、無意識で自分自身に罰を与えているかもしれないな。
◇
毎朝繰り返される登校風景の中、高校に向かう。
俺が歩く横を、ハツラツとした生徒たちが追いぬいていく。
教員用玄関で上履きに替えていると、小西と白神がやって来た。他にも四、五人、異世界科の生徒がいる。
異世界クラブの面々だ。
「先生、お早うございます!」
「「「お早うございます」」」
「ああ、お早う。
パンゲアの言語資料なら、まだ用意できていないぞ」
「いえ、別口です。
先生、『初めの四人』の担任だったんでしょ?」
小西が目を輝かせている。
「ああ、まあ、そうだな」
「今日のお昼、一緒に食べませんか。
シローさんたちの話が聞きたいです」
白神の目からは、期待が溢れキラキラしている。
そういえば、こいつらは、『初めの四人』が高校からいなくなってから入学したんだっけ。
俺は、いつかシローと約束したことを思いだしていた。
暗い夜道で、俺が『初めの四人』を前に啖呵を切る。
「俺はな、この春から異世界科で新しい仕事ができて、今からワクワクしてるんだ。
お前たち四人のおかげだよ。
せっかく生まれてきたんだ。
死ぬまで楽しんでやるぜ。
加藤、畑山、渡辺、坊野!
お前らには、絶対負けん。
見てろよ!」
「いい年した先生に、俺が負けるわけないでしょうが」
シローが真顔でそんなセリフを吐いた。
「言ったな。
じゃ、次に会ったとき、どっちが余計に楽しんだかで勝負だ!」
「いいですよ、受けてたちましょう」
………
……
…
「先生!
先生!
聞いてますか?」
俺が過去の思い出にふけっている間にも、小西は何か話しかけていたらしい。
「お昼はダメだ」
「えーっ、何でですか!?」
俺の返事に不満な小西が、リスのように頬を膨らませている。
「それはな、あいつらのことを話すなら、昼休みじゃ足りんからだ。
放課後、たっぷり話してやる」
「やったーっ!」
「私もお兄ちゃんから聞いた話ならできます!」
白神の兄さんは、シローの友人だったな。
「おう、期待してるぞ。
異世界科だけじゃなく、他のクラスにも声かけとけ」
「それじゃあ、広い教室か体育館じゃないと無理かも」
「そこは、お前らに任せる」
「コリーダさんの曲かけてもいいですか?」
「おお、そりゃいい考えだ。
頼んだぞ」
「放送部にも協力してもらおう!」
「そうだね、急がなくちゃ!」
生徒たちが、あっという間に駆けさった。
「お早うございます。
林先生、ご機嫌ですね」
「小林先生、見てたんですか?」
「ふふふ、私もお話、聞かせてもらっていいですか?」
「え、ええ、それはいいですよ」
「楽しみだな~。
私も坊野君たちの思い出、話しちゃおうかな」
小林先生は、いたずらっ子のような顔になった。
そう言えば、彼女、まだ独身だったな。
「お願いしますよ。
しかし……」
「しかし、どうしました?」
「教師ってのは因果な商売ですね。
悩むのも生徒のためだけど、救われるのも生徒になんですよね」
「……素敵なお言葉ですね」
俺と小林先生の視線が合わさった。
「あ、急がないと、朝礼に遅れますよ」
「そうだ、私、校長から叱られたばかりでした」
「「急ぎましょう!」」
◇
二人の教師が走りさった後、職員用玄関には誰もいなくなった。
そこに突然、人の姿が現われる。
それは頭に茶色の布を巻き、カーキ色の長そで長ズボンという格好の青年だった。
肩には、白い子猫が乗っている。
「いや~、点ちゃん、さすがにあれは出ていけないよね」
青年は、透明化の魔術で姿を隠していたらしい。
『(*'▽') 林先生と小林先生、いい感じでしたね』
「今回は林先生に会うのはやめとこうか。
どうせ、目的はお肉を買う事だったし」
『(*'▽') そうですね、二人の邪魔しちゃ悪いですし』
「しかし、先生、俺との約束覚えてたんだな。
こっちも先生に負けないよう、思いっきり人生楽しまないとね」
青年は何らかの手段で、林先生の思念を読みとったらしい。
『(*'▽') ご主人様と遊べたら、それだけで楽しいですよー』
「ミー!」(そうだよー!)
「そう?
ありがとう、点ちゃん、ブラン。
じゃ、次は何して遊ぼうかな?」
『(^▽^)/ わーい!』
「ミー!」(わーい!)
青年が消えた職員用玄関には、始業のベルが鳴りひびいていた。
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