第28話 コルナの修行
コリーダが過酷な旅をしているとき、コルナは猫賢者に課せられた修行をしていた。
過酷さでいえば、彼女の修行の方がコリーダの旅より上かもしれない。
頬はげっそりこけ、狐人族として自慢のつやつやした毛並みは、見る影もなかった。
ただ、コルナは、一度も弱音を吐かなかった。
気を失うことも度々だったが、目が覚めるとすぐ、果敢に修行に挑戦した。
修行は、洞窟の奥、暗闇の中で行われた。
猫賢者が呪文を唱えると、コルナの前に灯りがともる。
それは、ロウソクの炎のように、ゆらゆら揺れた。
教わったばかりの呪文を唱え、それを消すのだが、炎が揺らめくために、焦点を合わせるのが難しい。
焦点を合わせても、一定時間それを維持しないと、火は消えない。
修行は、休みなく続いた。
コルナは、とうに時間の感覚を無くしていたが、修行を中断する気にはならなかった。
彼女には、それがすべきことだという強い確信があった。そんな確信を持つに至ったのは、もしかすると、『神樹の巫女』として持つ予知能力によるものかもしれないし、『真竜の巫女』として目覚めたことによるものかもしれなかった。
最初はリラックスした表情だった猫賢者も、コルナが漂わせる、ただならぬ雰囲気に影響されたのか、今では厳しい顔をしている。
「そろそろ、試してみるか。ニャ」
顔つきに似合わない口調でそう言うと、猫賢者は、今までより遥かに長い詠唱に入った。
詠唱が終わると、それまでと違い、三つの灯りが宙に浮いた。
一つ消すだけで全神経を集中させる必要があるのに、それが三つになるとどうなるか。
コルナは、そのうち一つを消しただけで意識を失った。
◇
その無意識の中で、彼女は幼いころ経験したヴィジョンを再び見ていた。いや、自分自身がその世界にいた。
そこは黄金色の草がたなびく場所で、目の前には三角耳をピンと立てた、女の子と彼女より少し小さな男の子がいる。子供たちの笑い声、草を渡る風、そういったものが、本物より本物らしく、そこにあった。
コルナ自身は何かにもたれており、その何かから温かいものが自分に流れてくる。斜めに顔を上げると、ぼんやりした顔つきの男性と目が合う。彼は微笑んでいるが、なぜかその目には涙があった。
ヴィジョンが代わると、そこは自分がよく知る大広間だった。
狐人領の中心である神樹様、その根元を取りまく城にある空間だ。
自分が座る椅子から遠い位置に広間への入り口があり、それが開くと文官に先導された獣人が数人入ってきた。そのうち一人だけが人族で、その顔は自分が幼いころ見た男性のものだった。ただ、自分が覚えている彼より、かなり若い。
ドクドクという鼓動が伝わってきて、どこかで誰かが太鼓を打ちならしていると思ったら、自分の心臓が鳴る音だった。
自分はいつの間にか、その少年の膝に座っており、幼いころ見たヴィジョンで体験した、温かいものに包まれる感覚を味わっていた。
◇
身体を揺すられ目が覚めるが、周囲が暗闇のため、まだヴィジョンとヴィジョンの狭間にいるように感じられる。
「少し休むか。ニャ」
コルナは、闇の中で猫賢者から見えているかどうかに構わず、首を左右に振った。彼女には、すでに言葉を発する力も無かった。
「では、もう一度試す。ニャ」
再び、三つの灯りが宙に浮いた。
繰りかえされる無意識の世界が、コルナに通常とは違う集中を与えはじめた。
三つの灯りが、一つに思える。
彼女は、消そうとも思わず、その新しい感覚を維持した。
三つの火が同時に消えた時、コルナは再び意識を失った。
◇
コルナが次に目を覚ました時、草ぶきの天井を背景に見慣れた顔が二つ、心配そうに彼女を覗きこんでいた。
「ミミ、ポル、来たのね」
「なんか、すごく変わられましたね」
「コルナさん、お加減はいかがですか?」
ミミが言っている「変わった」というのは、コルナが痩せているということに加え、神秘的な雰囲気をまとっているように見えたからだ。
「まあ、この修業は、いいダイエットになったわね」
「ニャニャニャ、それだけ元気なら大丈夫だ。ニャ」
そこはギルドが村人から借りている部屋で、その片隅の椅子に座っていた猫賢者がコルナに声を掛けた。
「賢者様、修行の方は?」
コルナの声に、猫賢者は大きく頷いた。
「とりあえず終わりだ。ニャ。
あと一つ呪文を覚えてもらうが、それは簡単じゃろう」
実は、この呪文というのが、早口で唱えてもしばらくかかるほど長いモノなのだが。
「体力が回復したら、ルル殿の後を追うがよい。ニャ」
コルナはそれを聞き、修行がやっと終わってほっとした気持ちと、初めて知った自分の中に広がる世界をもう少し体験してみたい気持ちと、その両方が湧いてくるのだった。
◇
コルナの体調が回復するまでに、十日程がかかった。
その間、コルナは、猫賢者が教えてくれた長い呪文を覚えるのに必死だった。
長い呪文の途中で一か所でも間違えると、詠唱の効果が出ないそうだ。
「では、賢者様、皆さん、ありがとう。
行ってきます」
コルナが「皆さん」と言うのは、見送りに出た村人と修行をサポートしてくれた冒険者たちのことだ。
「「「お気をつけて!」」」
その声を受け、コルナ、ミミ、ポルが村を出発する。向かうのは竜人を探し、シローが潜ったというポータルだ。
山が険しくなると、たどっていた山道は、やがて細くなり草むらに消え、そしてまた現れるということがしばしば起こった。彼らが獣人としての優れた五感を使わないと、迷子になっていたかもしれない。
「こちらが近道のようです」
地図を手にしたポルが指さした方角には、深い谷とそこに掛かる細い吊り橋があった。
「えーっ!
これ、渡らなきゃいけないの?」
ミミが不平を言う。
「時間がかなり短縮できるから、渡らない手はないよ」
ポルが説得する。
「今回は、しょうがないわね」
ミミは、嫌々ながら橋を渡ると決めた。
「もーっ、何かあったら、ポン太のせいだからね!」
三人は、ツル植物を編んで作った、細い橋をゆっくり渡りはじめた。
少し風が吹いただけで、橋は大きくしなった。
「これ、もう無理!」
ミミが弱音を吐いたとき、それでも三人は、橋のちょうどまん中辺りまで来ていた。
「ポン太!
揺らさないで!」
「ボクは揺らしてないよ?」
三人が振りむくと、橋のたもとに小さな人影が見える。人数は三人だ。
その三人が、橋を吊るしてあるロープに、何かを振りおろしている。
そのために橋が揺れているのだ。
「ちょ、ちょっと、何あれっ!?」
「人が、渡っていますよー」
ポルが、間の抜けた声を出す。
「ポル、ヤツら、私たちを谷底に落とすつもりなのよ!」
コルナの声に緊張が聞こえる。
「ええっ!
そんなことしたら、ボクら、死んじゃうじゃないですか!」
「だから、ヤツらは、私たちを殺そうとしてるの」
「なっ、なんでっ?!」
「分からないけど、今は、これをどうやって切りぬけるか、考えま――」
コルナがそこまで言ったとき、橋を支えていたロープが切れた。
三人は、吊り橋と共に、千尋の谷底めがけ落ちていった。
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