第43話 赤いサソリ


 裏社会で『赤いサソリ』と呼ばれる男がいる。


 彼は北方の大国出身で、元はその国の情報部員、いわゆるスパイだった。

 国がごたごたした後で、情報局は極端に力を失った。

 多くの人間が解雇され、その中にはこの男もいた。

 ただ、彼は情報局時代にある仕事についていたので、フリーランスで同じような仕事を続けることができた。


 その仕事とは、依頼主にとって不要な人々を消すことである。

「殺し屋」という言葉を好まない彼は、自分の事を「掃除屋スイーパー」と呼んでいた。


 彼がそのような仕事に手を染めるには、それなりの理由があった。

 難病の娘が、よりよい施設で治療を受けるためである。

 そのためには、少なくない金が要る。


 顧客の金払いが良く、働く時間も少なくて済むこの仕事は、男にとって願ったり叶ったりだった。

 そして、今回も、金払いのいい顧客から依頼があった。


  ◇


 五月のある朝、『赤いサソリ』は、ほとんど人がいない公園に来ていた。

 この国では、五月と言えばまだ冬だ。

 広い公園の向こう端に犬を散歩させている老人の姿があったが、他に人影は無かった。


 彼が座るベンチの隣に、ロシア帽をかぶった中年の男性が座った。

 一度見たくらいでは覚えられない、特徴が無い顔つきをしている。

 ロシア帽の男は、フランスの新聞ル・モンドを二人の間にパサリと置いた。

 発行の日付は、一週間前だ。

『赤いサソリ』は、その新聞を手にとり、それに挟まれていた茶封筒から資料を取りだす。


 ほとんど感情を表に出さない彼の手が、ピクリと震えた。

 茶封筒の資料を読み終えると、資料を再び茶封筒の中に入れ、用意しておいたペンでその裏に×を三つ並べて書く。

 依頼をひき受けるが、通常の三倍費用が掛かるという意味だ。

 それを再びル・モンドに挟み、ベンチに戻した。

 隣の男は再びそれを手にすると、一言もしゃべらぬまま木立の中へ消えた。


 大きな仕事になるな。


『赤いサソリ』は、その報酬で、前から調べていた最新の治療を娘に施そうと考えていた。


 ◇


 屋久島で、神樹花子様を癒した俺たち一行は、沖縄に来ていた。


 二泊三日で、沖縄を楽しむ予定だ。

 本当は民宿が良かったが、宿の人に気を遣わせてもいけないから、結局ホテルに泊まることにしたのだ。


 予約は前後一日の余裕をもって取ってあるそうだ。柳井さんの配慮が嬉しい。

 親戚が沖縄にいるという事で、今回は土地勘のある遠藤に案内を頼んである。


 ホテルの前で遠藤の出迎えを受け、一行は別棟となっているヴィラに向かった。

 今回、俺たちは八棟のヴィラを予約してある。四泊分の費用は七百万円ほどだったが、今の俺にとってはどうという事の無い金額だ。


 各ヴィラには専用のプールがついており、寝室に加え広い居住スペースがついているのが特徴だ。


 リーヴァスさん、ルル、ナル、メル、ノワール。

 コルナ、コリーダ、コリン。

 エミリー、翔太、俺、ブラン。

 ミミ、ポル。


 これで四棟。


 柳井さん、ヒロ姉。

 後藤さん、遠藤、白騎士。

 黄騎士、緑騎士。

 黒騎士、桃騎士。


 これで四棟。


 今回は、『異世界通信社』『ポンポコ商会地球支店』の慰労も兼ねているからね。


 部屋に入り、青いウエットスーツに着替える。さあ、これから海へで出るぞというタイミングで、点ちゃんから報告が入る。

 それは、『地球の家』に怪しい人影が近づいているというものだった。


 ◇


 素早く人数分の点ちゃんボードを出した俺は、後をリーヴァスさんに任せると、ブランだけ連れ瞬間移動で『地球の家』まで帰ってきた。


 服装は青いウエットスーツのままだ。

『・』が敷地全体に行きわたっているのを確認すると、建物と周囲の木立に挟まれた土地にも点を散布した。


 点ちゃん、そいつの様子はどう?


『(Pω・) 森の中に隠れてるよ』


 もうすぐ夕方だが、外はまだ明るい。

 おそらく、ヤツは暗くなってから動きだすつもりだろう。


 点ちゃん、ブランに記憶チェック頼んでもらえるかな。


『(^▽^)/ はいはーい』


 相変わらずの、お気楽な点ちゃんが頼もしい。


 それから五分も掛からずに、ブランが俺の肩に飛びのる。

 雪に覆われた公園で、男が茶封筒を受けとる映像が見える。

 茶封筒から出てきたのは、俺と家族の写真だった。


 なるほどね。いつか来ると思っていた時が来たわけだ。

 俺は、男が病院に行き、娘の看病をする光景も見た。そして、薄暗い墓地で墓石を横にずらすと、そこから黒いアタッシュケースを取りだすところも。

 そのアタッシュケースを持つとき、男はなぜかエプロンのような服と、肩まである手袋をつけていた。


『(・ω・)ノ ご主人様ー』


 点ちゃん、なんだい?


『(Pω・) この男の人、すごく危ないモノ持ってるね』


 危ないモノ?


『前にアメリカって言う国で、いっぱい危険なモノ消したでしょ』


 ああ、核兵器ね。


『あの中に入っていたのと同じようなものを持ってるよ』


 俺はピーンと来た。

 彼が持っているのは、恐らく放射性物質だろう。

 だからエプロンと手袋が必要だったんだな。


 いつかニュースで見たが、北の大国が放射性物質を使い、都合が悪い政敵やジャーナリストを暗殺するという事件があった。

 男の記憶から考えても、彼は北の大国出身かもしれない。


 陽が落ち、辺りが次第に暗くなり、木立の木々が黒々としてきた時、男が動いた。

 ただ、なぜか俺には男の姿がはっきり見えていた。

 パレットに映さなくても、人影がゆっくりと玄関に近づいてくるのが分かる。


 男は持っていたカバンらしきものの中から何かを取りだすと、それを玄関の取っ手に近づけた。


 俺が指を鳴らすと、魔術で作りだされた光の玉が辺りを照らした。

 突然周囲が明るくなったため、男は驚いて立ちどまった。


 宇宙服のようなモノで着ぶくれた男が、左手で暗視ゴーグルを押さえている。

 右手には、注射器のようなモノを持っていた。


 俺は闇魔術で男を眠らせると、『地球の家』の屋上から男の体を調べた。


『(Pω・) 危ないモノは、あの容器に入ってる』


 俺の視界に点ちゃんの矢印が出る。

 それは注射器を指していた。

 注射器から噴射された放射性元素はノブに付着し、それを手で触った者の体に移る。

 被害者は、放射線障害を起こして死ぬという手はずだろう。

 しかし、そんな事を調べる医者も検視官もまずいないから、自然死として扱われるはずだ。


 点ちゃん、ドアに危険なものはついてないかな?


『(Pω・) 大丈夫、ドアにつける前だったみたい』


 俺は男がいる位置で注射器を点収納にしまうと、点ちゃんに周囲をチェックしてもらった。


『(・ω・)ノ ご主人様ー、大丈夫みたいだよ』


 男の記憶を見るかぎり、彼は一匹狼のようだし、周囲に仲間はいないようだ。

 さて、どうするかな。しかし、なぜ暗闇で男の姿が見えたのだろう。


 とりあえず、男をある場所に運ぶことにした。

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