第1シーズン 冒険者世界アリスト編

第1話 プロローグ 

 薄く漂うもやの中に木々が見える。

 教室用の上履きが落ち葉を踏む、かさかさという音が辺りに響く。

 地面に厚く積もった落ち葉からのぞく木の根の硬さが、薄い靴底を通して感じられる。

 ひんやりとした空気が肌に触れる。

 木々の湿った匂いが鼻につく。

 俺たち四人は、どことも知れぬ森の中にいる。


「ねえ、これってどうなってるの?

 私たち、さっきまで教室にいたよね」

 

 横に立つ長い黒髪の少女は、不安から形のいい眉を寄せている。

 シンプルな濃紺のセーラー服がスラリと伸びたその手足とあいまって、彼女の美しさを際立たせていた。


「さっきまで夕方だったのに……」

 

 心細げな声で俺の腕をぎゅっとつかんでいるのは、髪をショートにした小柄な少女だ。


「おい、俺たち大変なことになってないか?」


 言葉の割にのんびりした口調なのは、学生服の少年だ。長身で整った顔立ちの彼が右手の人差し指で眼鏡をくいと上げると、ファッション雑誌の表紙を飾るモデルのごとくさまになっていた。


 高校の同級生三人と一緒に、どこか分からない場所に「とばされて」しまったらしい。

 俺は、こんなことになったきっかけを思いだしていた。


 ◇


 ここは中国地方にある山間の田舎町。

 のどかな自然があふれれる、小さな町の中央には、さらさらと清流が流れている。

 観光客は、自然あふれる素敵な町とめてくれる。けれど、地元に住んでいる人々、特に若者にとっては、刺激のない退屈な場所に過ぎない。


 俺、坊野史郎ぼうのしろうも、そんな若者の一人だが、むしろその退屈な、いや、のんびりしたところが好ましと思える少数派だ。

 地元の公立高校に通う俺は、クラスメートから「ボー」と呼ばれている。そう名づけた友人によると、いつもぼーっとしているからだそうだ。まあ俺自身そのあだ名を割と気に入ってたりする。


 いつものように窓から外を眺めていると、近所のおじさんが「花子」を散歩させているのが見える。

「花子」は白地に黒いぶちがある牛で、彼女が生まれるときにも立ちあった。黒いぶちの一つが桜の花に似ているからそういう名前になった。俺にとっては、まあ、友達のようなものかな。

 菜の花が咲く川沿いの土手道を、その尻尾しっぽを揺らしながら、彼女がゆっくり歩くのを見ていると、それだけで幸せな気持ちになれる。


 部活動が盛んな土地柄だから、放課後すぐに教室から生徒の姿が消える。残るのは日直とか掃除当番の生徒だけだ。

 この日は、俺を含め四人だけが教室にいた。


「おい、ボー、今日の花子ちゃんはどうだい?」 


 声を掛けてきたのは友人の加藤雄一かとうゆういちだ。細身の長身で整った顔立ちに黒縁眼鏡。自称草食系男子だ。

 本当は、日に焼けた男性的な顔を含め、どちらかというと肉食系だと思うんだけどね。

 俺に「ボー」というあだ名をつけたのは、幼馴染でもある彼だ。


「きちんと当番やってよね!」


 加藤の背中に声をぶつけたのは、学級委員長の畑山麗子はたやまれいこ。百七十センチ近いすらりとした体つきで、肩下で整えられた髪が青紫色に光る。田舎に置いておくには惜しいほどの美少女だ。


「えーっ、もうあれだけやればいいだろ?」


 あー、加藤がまたやっちゃったよ。

 畑山さんに逆らっちゃダメだよね。


「なに言ってんの!

 あんた机にちょっと触っただけじゃない。

 黒板も拭いてないし、ホウキがけもまだよ。

 それから――」


「あー、あー」


 加藤は畑山さんの声を聞かないよう、耳を押さえ、うなっているが、いいかげん彼女の性格知ろうよ。去年から同じクラスなんだからさ。


「史郎くん、もう帰ろ」


 ささやくような声で学生服の袖を引くのは、幼馴染の渡辺舞子わたなべまいこだ。身長が百五十センチ無いこととに加え耳の下でそろえたショートカットのせいか、小学生男子と間違えられるのが悩みだそうだ。

 俺のことを名前で呼ぶのは、このクラスで舞子だけだ。


「そうだな。

 もう帰ろう、かっ!?」


 突然、きりきりと、きしむような音を立て、教室の黒板に黒い影のようなものが浮かびあがった。

 その丸い影が、風車かざぐるまのように回りだす。


「な、なんだありゃっ!?」


 俺の視線を追った加藤も黒板の異変に気づく。渦巻く影から聞こえていた音が小さくなると、黒板のまん中あたりに子供の背丈ほどある穴ができた。

 穴の向こうには、木立のようなものが見える。

 しばらく驚きのあまり動けなかった俺たちだが、加藤が黒板に向けつかつかと近づいていく。


「おい、ちょっと待て!」


 声を掛けるが、幼い頃からの付きあいで、こんな場合、ヤツは納得するまで停まらないと分かっていた。

 舞子は、立ちあがりかけた俺の腕にすがりついている。

 畑山さんは、まだ、呆然としたままだ。

 黒板の穴をのぞきこんでいた加藤が、こちらに手招きする。


「これすげえぞ!

 穴の向こうに森が広がってる!」


 放っておくと加藤は何をするか分からないので、とりあえず彼の側まで行く。

 加藤の肩越しに穴をのぞきこむと、うっすらかかるもやを通し、木立が見える。森の朝といった風景だが、今は午後四時過ぎ。

 何なんだ、これは?


「ちょっと入ってみるぞ」


 やっぱり、そうなったか。

 ためらいもなく穴に入ろうとする加藤の腕をつかむ。


「おい、やめとけ。

 なんか、やばい感じがする」


「ボーは、心配性だからな。

 安心しろ。

 ちょっとだけ入ったら、すぐ戻るから」


 こうなると、もう止めても無駄だ。

 せめて友人が無茶をしないよう、彼の後から穴をくぐる。

 ひんやりした空気。湿った落ち葉の匂いがする。薄く漂うもやの向こうには、木立が広がっていた。

 振りかえると、今しがた通りぬけた穴が腰くらいの高さに開いており、その向こうからこちらを覗きこんでいる畑山さんの心配顔が見えた。穴はまるで宙に浮いた窓のようだった。


 驚きのあまり、周囲に注意がまわらなくなっていた。

 左手の重みで、舞子までが穴を通ってしまったと気づく。


「おい、戻るぞ!」


 加藤はともかく、舞子だけは教室に戻さなくては。

 ところが、まるで俺の声に反応するかのように、穴のふちを形づくる黒い煙状の輪が回りだす。キリキリという音が、また聞こえてくる。


「おい、加藤! 

 なんかやばいぞ!

 穴が閉まりそうだ。

 急げ!」


 少し離れた所で木を見あげていた加藤がこちらを振りかえる。

 すでに穴は差しわたし八十センチくらいまで縮んでおり、こうしている間にも、みるみる小さくなっていく。


 あわてて穴にたどり着くと、その向こう側に強ばった畑山さんの顔が見えた。教室の中へ舞子を押しこむ。畑山さんも舞子の手を引っぱってくれる。舞子の小さな体は無事に穴を抜け、教室の中へ戻った。

 よし、あとは加藤だけだ。


 振りかえると、まっ青な顔をした加藤が走ってくる。

 ヤツのあんな顔を見たのは、小学校の遠足でお漏らししそうになって以来だ。

 穴はすでに五十センチほどになっている。

 マジでやばいな、これは。


 俺は張りだした木の横枝をつかみ、足から教室に飛びこんだ。

 振りかえると、穴は人が通れるぎりぎりの大きさにまで縮んでいた。


「加藤、急げ!」


 転がるように駆けてきた加藤が腕を突きだし、俺がそれをつかむ。

 ぐいっと引っぱると、穴から加藤の顔がのぞく。さらにぐいっ。

 加藤の全身が教室側に出てくる。


 やった!


 安心して後ろを見ると、畑山さんと舞子が驚いたような顔をしている。


 えっ?


 振りかえると、加藤の片足が足首のところで穴に引っかかっていた。

 彼は逆立ちのように、黒板前の床に手をついた格好だ。

 なんで今、逆立ち?

 やばい!


「加藤っ! 

 靴脱げ、靴っ!」


 慌てて叫ぶが、穴は急速に閉じていく。このままでは加藤の足が切りとられるのでは? そんな心配が頭をよぎった瞬間、いきなり周囲の景色が変わっていた。


 あれ?

 灰色の空が見える。

 横を見ると舞子と畑山さん、それに加藤が、俺と同じように落ち葉の上に横たわっていた。

 森の中で。


「なんでっ!?」


 こうして俺たち四人は、どことも知れない森の中にとり残された。



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