うちのエアコン(冷房限定)は可愛い

夏荷おでん

うちのエアコンは可愛い

 唐突ではあるが、うちのエアコンは少し変わっている。


 第一に温度調節が少しばかり下手だ。第二に、生きている。

 

 そして、おそらく。これが最も重要なのだが。


 うちのエアコンはかわいい。








「寒い……」

 

 つぶやきと共に漏れた息は白く染まっていた。

 

 頭から毛布を被り、隙間風が入らないように、毛布の端と端を、着物みたいに体の前で交差させる。

 

 別段僕が貧乏で、ボロボロの隙間風大歓迎の四畳半の畳部屋に住んでいて、今が冬将軍大暴れで、外は吹雪いていて、お母ちゃんの帰り遅いね。みたいな状況になっている訳では無い。

 

 八月も終わりを告げようとしているにもかかわらず、外には燦々とした日差しがいまだ降り注いでいる。


(それなりに貧乏ではあるのだが……)


 ささくれ出した畳が目に入り、すこしだけ悲しい気持ちになる。


 畳には霜が降りており、真冬の寂しさをたたえた水田を思い起こさせる。


 一度窓の外に目を向け、どこまでも膨らんでゆく入道雲と、それと対比するように青々とした空に、この世の楽園を見つけた後で、後ろを振り返る。


 目に入った襖は凍っていた。


 ぴっちりと。


 それはもう、蟻一匹通さないほどに。


 そう。ここは、氷点下の冷凍庫………………という訳では無い。


 六畳間の和室であり、南側に大きな窓があり日当たり風通し共に良好、春秋は快適。夏はやや暑い。


 しかし、今は息さえ凍り付くほどに冷え冷えとし、脱出不可能の密室となっている。


 この部屋唯一の出入り口であった襖の前には、僕に背を向けるようにし右腕を枕として横たわる少女が一人。


 僕の妹や姉という訳では無い。当然母親でもない。


 雪村風花(ゆきむらふうか)、訳あって、同居者である。


 この部屋を満たす冷気は彼女のいる場所が最も濃くなっており、それは無言の圧力を持って僕へとある事実を訴えかけてくる。


『私は、今、怒っています』と。


 ここから見ることは叶わないが、彼女の口はきっと上に凸の弧を描いている事だろう。


「さ、さっきは。すぅっ。ゴメンって。そろそろ、機嫌、直してよ」


 寒さで奥歯がうまくかみ合わず、切れ切れの言葉で、なんとか風花に言葉を投げかける。


 まったく反応が無いのを確認すると、枕の下に隠してあったホッカイロを二つ取り

 出し、そっと封を切る。気付かれぬように、そっと。


 足先と首元を温めると、得も言われぬ安心感。


 温泉に入った時の様にしばらく息をついていると、だんだんと、毛布の中もあったまってきて、先ほどまでの震えが収まる。


 余裕が出てきたことで、鼻水が垂れてきていることに気付き、ティッシュペーパーへと手を伸ばす。毛布から手を伸ばしたときにできた隙間から入ってくる空気は冷たかった。


 ちーん。と鼻をかむ音が部屋へと響く。


「風花。外を見てごらん。いい天気だよ。散歩にでも行かない? きっと気持ちがいいよ」


 かれこれ一時間、まったく動きを見せようとしない、この膠着戦線に前進をもたらすために不機嫌な少女へと非常に革新的な提案を持ちかけた。


 風花は頭だけを動かし、窓の外に目を向ける。一瞬だけこちらを向いた、普段は涼しげな目鼻元は氷刃のように尖っていた。かわいい。


「行かない。一人で行ってくれば」


 硝子細工のように透き通った声が、ひんやりと僕の鼓膜を震わせる。ぞくぞくす

 る。


「風花と一緒に行きたいんだ」


 風花の背筋が少しだけ跳ねたように見えた。


 そして、何故だか、冷気が強くなった気がした。


「たのむよ。君とじゃなきゃダメなんだ」


「いっ、いかないったら!」


(ふむ……)


 このままではらちが明かない。次の一手をと部屋の中を見渡す。


 ふと、ゴミ箱に入ったクレープの包み紙が目に入る。


 はてと、思い当たる事実が一つ。


「風花、クレープ食べたいって言ってたよね」


「いらない」



「チョコバナナ」


「……」


「チョコバナナ」


「……」


「チョコバナナ」


 大地に芽生えた新芽が覆いかぶさった雪を押しのけるように、風花ゆくりとした動作で体をこちらに向けて起こす。


 この部屋にも春が訪れるかと思われた。しかしその期待は次に放たれた言葉によって崩れ落ちた。


「チョコバナナスペシャルがいい……」


 少しだけ恥じ入るように頬を染める姿はかわいい。


 とても、かわいい。別の言葉でいいかえると、かわいい。


 でも残念ながらその願いを聞き届けることは出来ない。


「ごめん。今五百円しかないんだ」


 ちなみに僕らがよく利用する、というかこの町唯一のクレープ屋にてチョコバナナ

 スペシャルは六百五十円だ。


「チョコバナナも無理じゃない!」


「あれ? そうだっけ? 四百五十円じゃなかった?」


「チョコバナナは五百五十円! 四百五十円なのはただのバナナ!」


 目の前の少女の怒りは増すばかり。次からはよく覚えておこう。


 風花は再び、襖の方へと向き直ると、雪の下へと帰って行ってしまった。


 雪村風花。涼しげな目鼻立ちに、処女雪の様に透き通った白い肌。長くのびた黒い髪は夜空の星さえ映し出しそうなほどに艶やか。


 訳あって同居人にして、この冷凍畳部屋の原因。


 我が家、唯一にして、最強のエアコン(冷房限定)である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る