愛人ごっこのはざまで

登夢

第1話 好きだった客との偶然の再会

花見の時期が終わって店も落ち着いて来た。4月は新入社員や転入者の歓迎会の2次会でお客が多くなる書き入れ時だ。


うちのスナックは落ちついた雰囲気を心がけている一方で、カラオケは最新のものを備えるようにしている。


若い人から年配まで幅広いお客さんが来てくれるように、それが経営上は無難と前のオーナーから教わっていた。


いつもは二人連れのお客が多い。ほとんどがリピーターだ。男二人が多いけど、男女のカップルもいるし、女同士のお客もいる。


今日は9時前から2次会のお客が4人で来ていて、テーブル席でカラオケを歌って賑やかだ。皆30代の働き盛りの人たちで、威勢がいい。


止まり木では40代位の男性客二人が話し込んでいる。こういううるさい中で話をするとつい顔が近づいて親密感が増して返っていいのかもしれない。


そこへ同期会の2次会だと言ってなじみの山内さんが仲間を連れてやってきた。空いたテーブル席に案内するが、4人しか座れない。一人が止まり木に回ってくれて一番端に座った。


「ママ、とりあえず皆に水割りを作って!」


山内さんが注文する。すぐにテーブル席で水割りを作り始める。


「もう一人、あぶれた止まり木の磯村君のも頼むよ」


「はい、分かっていますよ」


私は5人分の水割りを作り終えて、カウンターの中へ戻り、止まり木の端に座っている磯村と呼ばれた人へ水割りを持って行く。


その人が私の顔をじっと見ているのに気付いた。悪い予感がする。あっ! 見覚えのある顔だった。身体がこわばって足がとまった。お互い同時に気が付いたみたいだった。


その時の私がどんな顔をしていたか分からない。彼のことを思い出すのに時間は掛からなかった。私はとっさに唇に人差し指を軽く当てた。彼はそれを見て目を伏せた。そして何も言わなかった。


私はすぐに名刺の裏に「皆さんと帰った後、戻ってきて下さい」と書いた。書くと気持ちが落ち着いて来た。それから、初めてのお客にするように、なにげなく振舞って名刺を差し出した。


「磯村さんとおっしゃるの、ママの寺尾てらお りんです。お名刺いただけますか?」


私は名刺を差し出す時に裏を読んでと合図した。


「初めまして、磯村いそむら じんです」


話を合わせてくれたので、ほっとする。名刺をくれた。なじみの山内さんのお友達だから会社名はもう分かっている。肩書は企画開発部課長代理と書かれていた。


「磯村さん、本名だったのね」


声を落としてそういった。そしてこれ以上は話をしないように、すぐにカウンターの反対側へ行った。


彼と初めて会ったのは6年位前、私が勤めていた店に客として来た時だった。その時の源氏名は「亜里沙」だった。そこは高級店でお客の質も良かった。


その時は店が私を選んでくれたのだと思う。こういうところが初めてではなかった様子だったけれど、特になれた様子もなく、ごく普通のお客だった。


それから1か月以内だと思うけど、指名してくれた。大体、1か月ぐらいだと覚えている。それから月に1回ぐらいは指名してくれた。3回目くらいからは名前と顔が一致するようになった。


あの時の店の客は料金が高いこともあって、収入の多い自営業者かサラリーマンで30代後半から50代位が多かった。大体月1回位の人が多い。あの料金を月1回払えるのは相当にゆとりにある人たちだと思う。


それと30代から40代の独身者か、40代から50代の妻帯者だと思う。ただ、そういうことはこちらから聞かないし、お客も話したりはしない。そこには一人の男として来ているだけだ。


気に入ってもらえると何回かは指名してくれる。でも4~5回も指名を受けると離れていくお客が多い。そのくらいで飽きられて、別の娘に移って行くからだと思う。でもたまに思い出したように指名してくれることもある。


磯村さんは長く通ってくれたお客だったのでよく覚えている。また、雰囲気が私の好みだったこともある。来始めたころは30歳を少し過ぎた位と思った。少し寂しそうな陰のある人だった。こういう男に私は弱い。


「どこが気に入ってくれてきているの?」と聞いたことがあった。「君はHのテクニックが抜群だ」と言っていた。


確かにそういって通ってくれるお客も少なくなかった。だから来てくれた時はできるだけ喜んでもらえるようにした。


帰り際にいつも「ハッピーでした」「このまま泊まって行きたい」と素直に言ってくれた。こう言う明るい言い方をする人は彼だけだった。


私の好みのタイプだったので、店を替わることになった時は彼だけに新しい店を教えた。また、携帯の番号も教えた。


店を替わることになったのは指名が少なくなってきたからだった。もう20代の終わりになって、20歳過ぎの若い子に指名が移っていた。人数に限りがあるので店は指名が取れる子を優先しておくことになる。


次の店は料金が少し安い中級店だった。そこにも彼は来てくれた。彼は来てくれるときには出勤かどうか聞いてきて、それに合わせて指名してくれた。


そこまで親しくなるといろんなことを教えてあげた。どうしたら女性が悦ぶかも。そしてそれを私に試させたこともあった。


その店も1年位で次のもう少し料金の安い店に替わった。その時も替わることを彼だけに教えた。やっぱり彼は来てくれた。


それから1年位して、急に仕事に嫌気が差して足を洗う決心をした。辞める時には彼には何も知らせずに辞めた。


あれから2年半くらい、いろんなことがあった。今、こうしてカウンターの中で、ママとしてお客の相手をしているけど、長いようであっという間だった。


2年前、私は今の前の店を過去が知れたことで辞めた。丁度通りかかったこの店の求人広告を見てすぐに応募した。


その時のママは高齢で70代に見えたが、あとから80歳を過ぎていることが分かった。ママは私を一目見るとすぐに私の昔の仕事を言い当てた。


私は驚いてどうして分かるのかと聞くと、私も遠い昔に同じ仕事をしていたから直感的に分かったと言った。


そして、そんなことはかまわないからここで働いたらいいと言ってくれた。この店に来た事情も分かってくれて、そのことは決して口外しないと約束してくれた。


私とそのママとは歳がお祖母ちゃんと孫ほど離れていたけど馬が合ったというか、気持ちが通じていた。彼女は徐々に私にスナックを任せるようになった。


そして、引退するから私に店を譲ると言ってくれた。そして店の権利を格安で譲渡してくれた。


それから、自分も昔そうして譲ってもらったからと、もし店を手放す時には、あなたと同じ境遇の人に譲ってほしいと言われた。それから1年、このごろようやく店も軌道に乗ってきた。


先に来ていた4人連れが帰って、今は後から来た山下さんの5人連れが交代で歌を歌っている。誰かがそろそろ帰ろうと言っている。もう11時を過ぎている。遠いお客は終電がなくなる時間なのだ。


会計の金額を幹事が聞いてくるので、小さな紙に代金を書いて渡すと、割り勘でお金集めて支払ってくれる。ここの値段は周りよりも少し低く目に設定をしていて、現金払いかカードでの支払いをお願いしている。


5人を店の外まで送り出して挨拶をする。店の中にはまだ時々来てくれる男の2人連れが話をしている。磯村さんは戻って来るかしら?

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