第四章 鍋島のどか

第四章 鍋島のどか 1

 夏休みを終え九月を迎えた瞬間、日本列島は災害に襲われる。

 まず地震。突如起こった震度六弱の大地震は、北海道全土を震わせて大停電に陥れる。それから台風。巨大な台風が観光感覚で日本列島を端から端まで横断し、全国各地に大きな被害を齎していく。最後にまた地震。台風が去り一週間ほど経ったばかりのまだ台風の傷跡の残っている西日本中心に震度五を誇る地震が起こり、その傷跡を深くする。とんでもない新学期の始まりだ。俺達の住む埼玉県はありがたいことに台風の被害も地震の影響も大したことなく、ちょっとひどい雨風が降り続いたという程度。埼玉県勅使河原市は観光も名物も目立つものなんて何一つない地味なド田舎だけれど、毎年毎年全国各地で起こるありとあらゆる自然災害の影響が少ないということだけは美点だ。もしかして、影が薄すぎて自然災害からも忘れられているのかもしれないけれど。

 それでも立て続けにやってきた三つの自然災害の余波は日本のありとあらゆる産業に影響を与えるくらいに広がっていて、テレビでどの番組をつけても災害の話ばかりだ。地震、地震、台風、地震、台風、政治。というくらい。それこそ、今まで頻繁にテレビに出ていた花野や平介が霞んでしまうほどに。

 流石の花野も自然災害には勝てないらしいが、ニュースに押されつつ今も元気にテレビに出まくっている。花野主演の映画『百年先の未来で待ってて』は見事観客動員数一位を獲得したらしい。めでたいことだ。俺は結局その映画を見ていないので内容はわからないのだが、「とんでもなく泣ける」「胸が締め付けられる」「宝石みたいな恋」だと評判だ。あくまで評判だけれど。ついでに言うと、あの日、ライトが静岡土産として買ってきた「茶畑光太郎」が流行する。なんでこんな気味の悪いものが流行したのかというと、バラエティに出演した花野が茶畑光太郎を紹介したからだ。

「この子、友人に頂いたお土産で茶畑光太郎君ていうんです。静岡県のゆるきゃらで静岡でしか売っていないんですけど……ハマっちゃって、色々グッズ集めてるんです。最初はちょっと癖のある子だなー、って思ったんですけど、かわいいんですよ。ちょっと疲れたときとか落ち込んだ時、この子に慰めてもらうんです。元気になりますよ」

 なんて花野がにっこり宣伝したら、その日のうちに静岡県の公式サイトのサーバーが落ちた。数日経った今では、老若男女問わず色々な人の鞄に茶畑光太郎がついているわけだ。ほんと、すげーな。芸能人の力って。

 花野とはあれから会っていないけれど、時々LINEが来る。内容は大したことない。「今日は嫌いな俳優と一緒で疲れた」「ここの駅弁がおいしい」「新しい光太郎君のグッズを買った」とかその程度。ていうか、誰に聞いたんだよ俺のLINE。俺、お前に教えてないぞ。

 災害の余波にも負けずテレビ出演を続けている花野に比べ、平介のメディアへの登場は圧倒的に減った。テレビでも雑誌でも殆ど見なくなった。それこそ、夏のジャッキーフィーバーが嘘みたいだ。流行なんてこんなものなのかもしれないけれど、あまりにも簡単に忘れられすぎていて拍子抜けする。夏に会ったのを最後に平介とは会っていない。LINEも知らない。別に、会いたいわけではないが。

 けれど世の占いブームはずっとずっと続いているらしく、平介と交代する形で新しい占い師がテレビ画面を占領するようになる。

 その日、学校に行くと俺の机の周りで河辺苺ことベリ子と西本希来里ことブー子、そしてココアがスマホ片手に何やら輪になり話し込んでいた。邪魔だ。

「おい」

 と俺がいくらか不機嫌気味に声をかけると、ココアがすっと顔を上げる。

「おはよう、テル君」

「おはよう。なにしてるんだよお前ら」

 という俺の問いかけに、ベリ子がスマホから顔を上げずに答える。

円城寺小百合えんじょうじさゆりのオーラ占い」

「おーらうらないぃ?」

 思わず上唇と下唇が左右にずれてしまった俺の後ろから、登校してきたらしいライトがひょいと顔を出す。

「あ、それ知ってる。円城寺小百合のオーラ占い。スマホで五百円でできるやつ」

 と、言いながら俺の席の後ろの机に鞄を置いた。

「そうそう。スマホサイトで登録すると、オーラから前世鑑定とかしてくれて、色々占ってくれるの」

 ベリ子の前髪は夏も終わったというのに未だハイビスカスのついたままだ。季節も変わったから変えればいいのに。栗とか銀杏とか。

「五百円ていうのは?」

「それ、月額。月額五百円なの」

 これはブー子。ほっぺたについてる熊のシールは変わらずだが、ただのシールから最近タトゥーシールに変化した。

「で、なんで俺の席でそんなことしてんのお前ら」

 鞄を持ったままの俺の疑問にココアが申し訳なさそうに答える。

「最初、ベリーちゃんの席にいたんだけど、桑原くんが……」

「桑原? 桑原がどうかしたのかよ」

「あいつのスポーツバッグ超臭いの! ほんと、汗くさいし泥臭い!」

「あいつさー! 汚れたからって窓で靴下と体操着干してるんだよ!? ありえなくない!?」

 と、ベリ子とブー子が顔を上げて口々下げる。窓際に目を向けると、なるほど、いかにもスポーツしてましたというようなよれよれのスポーツバッグが置かれ、泥のついたジャージとタオルがはみ出している。

「お前の席、あいつの隣だっけ」

 ベリ子が頷く。

「そう! ほんとサイテー! 死ね桑原」

「汗臭いんだよあいつ!」

 でっかい声で文句を言う二人。

 桑原亮二くわはらりょうじはサッカー部で、爪の先から骨の髄、脳みその中まで全身筋肉と筋肉と筋肉でできている。明るくてなかなか面白くていいやつなのだが、所謂サッカー馬鹿というやつであり賢さや色気とか程遠い場所で生きている。

 だからって死ねとは言いすぎじゃないのかでも確かに見ているだけで悪臭が漂ってきそうな光景に、なんとなく視線を外す。

「だからってなんで俺の席にいるんだよ」

「別にいーじゃんテルルのケチ」

「少しくらい座らせろし」

 唇を尖らせる二人の真ん中に、俺は無理やり鞄を置く。

「邪魔すんなしテルル!」

「今いいところなんだから!」

「いや、ここ俺の席だから」

 スマホ片手に騒ぎまくるベリ子を無理やり退かし、椅子に座る俺。

「で、その円城寺小百合がどうしたんだよ」

 俺の疑問に、唇をタコみたいにした可愛くもないベリ子が答える。

「だからさぁ、すごいんだって円城寺小百合」

「円城寺小百合ってあれだろ? オーラ占い師の。今、テレビに滅茶苦茶出てる」

「そうそう」

 円城寺小百合はオーラ鑑定を主にした占い師だ。

 見た目は中年の化粧が濃いただの太ったおばちゃんで、全体的に衣装が派手。輝くようなピンクの衣装とかでかいダイヤの指輪とか真珠のネックレスとかいかにも金をかけていますというような装飾品で全身に纏っている。今までは西日本を拠点に動いていたが、雑誌に取り上げられたことで大ブレイク、プリンス・ジャッキーと入れ替わるような形でメディアに出現するようになった。テレビに出ては芸能人のオーラを見て前世を占ったり悩み事や今後の人生の相談に乗ったりしている。

「スマホサイトでオーラが見れるのかよ」

 俺の言葉に、後ろからまたライトが顔を出した。

「生年月日と出身地と生まれた時間と血液型を打ち込んで占うんだよ」

「せいねんがっぴとけつえきがたぁ~? そんなんでオーラがわかるのか?」

「知らない。うちの母親もやってるから。わかるんじゃねぇの」

 ふぅん。

 ココアとベリ子とブー子の三人組は未だスマホを覗き込んでいて、叫んでみたり落ち込んでみたりと忙しい。

「あー、今日駄目だわー。うまくいかない日みたい」

「私今日は絶好調! やった! いいことありそう! ココアは?」

 ブー子とベリ子の問いかけに、ココアが何やら浮かない顔をする。

「私、それ、やってないから……」

「お前、占いとかオカルトとか好きじゃん」

 俺の言葉に、ココアは困ったように首を傾げた。

「好きだけど、円城寺小百合はあんまり」

 へぇ。オカルトマニアにも色々好みがあるらしい。

 じゃあスマホで何をしているんだと思ったら「DEVIL EATER ONLINE」こんなのあるのか。俺もやってみようかな。

 しかしブー子とベリ子は許さない。

「えー。やったほうがいいよー。面白いよー?」

「そうそう! 一日の運勢とかわかるんだよー? あと恋愛相談とかー、前世の話とか!」

 きゃっきゃうふふと笑うベリ子とブー子に、ココアがひょいと眉を寄せた。

「うーん、でも課金するのはちょっと」

「まずは無料鑑定でいいじゃん」

「そうそう。お金払わなくても全部じゃないけど見れるから」

「まずはお試しってやつ!」

 なんて言いながら、ベリ子がぽちぽちスマホに打ち込んでいく。

「ココア、誕生日はいつ? 生まれた場所は? 時間とかは……わかんないよね?」

「あと血液型!」

 ココアの否定も虚しくずいずいと押してくる二人は強い。ココアは一歩ずつ後退りながらもどうやら断りきれないらしく、なんとも乗らない様子で答えていく。

「誕生日は九月……」

「西暦から!」

 これはブー子。

 びっくりとしたらしいココアはびくんと肩を跳ねあがらせて、それからいかにもしぶしぶと言った様子で答える。

「20XX年9月15日……」

「くがつじゅうご……あれ?」

 何かに気が付いたようなベリ子の声に、俺とライト、ブー子も気が付く。

「ココアの誕生日、今日じゃん」

 俺達の間に落ちたのは一瞬の沈黙、のち、歓声。

「おめでとう! なんで言ってくれなかったのー?」

「だ、だって別に言うようなことじゃ……」

「言うようなことだって! わー、パーティーしないとパーティー!」

「プレゼント用意してねーじゃん!」

 なんてわいわいしている俺達に、周りのクラスメイト達が話しかけてくる。

「どうかしたの?」

「加藤、今日誕生日なんだって」

「マジ!? おめでとー!」

「おめでとう」

 なんて輪の中心でしっちゃかめっちゃかにされているココアは、まさかこんなことになるとは思わなかったのだろう。困惑半面、嬉しさ反面、というところか。眉は八の字に下がっているけど、ほっぺたが興奮して真っ赤になっている。

 ぽんぽんとクラッカーを鳴らすみたいにおめでとうを連呼する俺達の間に入ってきたのは、名簿を持ってやってきたのどか。

「おはよ……どうしたの? みんなこんなに盛り上がって」

 のどかは教卓の上に薄っぺらい黒色のノートを置くと、不思議そうな顔で教室全体を見回した。

「ねーねー、のどかちゃん。今日、ココアの誕生日なんだって」

「だからお祝いしてんの」

 とココアのことをくちゃくちゃに撫でながら、ベリ子とブー子がのどかに言う。クラス中から祝いの言葉を述べられるココアは幸せの絶頂だ。とても自殺願望を持っていたとは思えない。

 のどかは、一瞬ひどく冷めたような、ひどく傷ついたような――そしてなにか気が付かなくてもいいことに気が付いてしまったかのようなそんな表情を浮かべた。じっと観察していなければ気が付かないくらいに一瞬の出来事だ。けれど、ココアの誕生日イベントに浮かれている生徒達は俺以外誰ものどかの表情に気が付かない。

 教師の皮を被ったのどかは、すぐにすぐに満面の笑みを浮かべると、

「そうなの。おめでとう、加藤さん」

「ありがとう、先生」

 クラス中からもみくちゃにされたココアは全身ぼろぼろだけれど幸せそうだ。

 笑みを浮かべたままののどかは、教卓に、トン、と音を立てて名簿を置くと、

「でももう授業始まるわよー。さ、お祝いはあとあと。授業始めるわよー。日直、号令」

 のどかの一声で、俺達はそれぞれの席に散り散りになる。けれどまだ興奮は冷めぬようで、教室全体がどこか騒がしいというか、浮きだったような気分になっている。

 そんなクラスの雰囲気を引き締めるように生徒一人一人の名前を呼んでいくのどかの声を聞きながら、俺は、のどかの表情の意味に気が付いていた。



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