第三章 津島花野 3

 俺は怒る。今川未来シティシネマの関係者用通路で、人の目を気にすることなく存分に怒る。身振り手振り加えて平介を責め立てる。

「何が紹介したい人がいるだ! 紹介するもなにも嫌がられてるじゃねーか! 大体なんだよあの女! なぁにが清純派天才女優だよ! 人間の顔を被った女狐だろうが! どこが同じだ! どこが気が合うだ! 気が合いそうな要素なんて一個もねぇだろこの変態占い師が!」

 なんて地団太を踏みながら暴れる俺は完全に子供だ。時折控室から出てきた関係者達が平介に指を突き付けながら文句を言う俺に驚いてちらちら見ながら去っていく。情けなくて恥ずかしいはずなのに、羞恥心よりも怒りの方が完全に勝っていた。

「花野はとても頭の回転が速くてね。全く関心するくらいなんだけど、少し気難しい一面があってね」

「気難しいなんてもんじゃねぇだろ! なんだこれは!? なんで俺はわざわざお前に連れられて来てあいつに馬鹿にされてるんだ!? 見ろ! 中二病扱いされたじゃねぇか!」

「あ、そのボールペン、僕が彼女にあげたものなんだけど」

「あいつ自分がいらないからって俺に押し付けやがったのか!?」

 怒りが頂点に上りそのまま噴火して溶岩のように流れ出した俺は完全な火山だ。頭を掻きむしり上を向いて下を向いてああああああとかうううううううとか言葉にならない声を出しながら全力で責め立てる俺とそれを宥める平介の間に、劇場関係者らしき男がやってくる。

「ジャッキーさん、そろそろ準備お願いしまーす」

 なんていう爽やかな声に平介が反応し、俺は関係者通路を後にする。別れ際、平介が「輝大君、あまり怒ると熱中症で倒れるよ」なんて言うもんだから脛を蹴っておく。「痛いよ」なんて言うけど足は長いし全然痛そうな様子がなくて腹が立つ。

 劇場内はすでにほぼ満員で、指定席に行くとライトとココアが俺の席を空けて声を抑えめに話していた。

「あ、テル君」

「ただいま」

「どこに行ってたんだよ。なかなか帰ってこないから心配しただろ」

 なんて言うライトはばりばりポップコーンを食べていて全然心配してる様子はない。俺はココアとライトの仲を引き裂くようにしてセンターに座り、ついでにライトのポップコーンを奪い取ってむさぼり食う。

「あっ! 俺のポップコーン!」

 なんてライトが悲痛な声を上げるけど、そんなことどうでもいい。俺の怒りは収まっては来たけどまだまだ安心なんてできない。火山と同じだ。一度収まったと思っても、ちょっとの刺激ですぐ噴火する。

「ジャッキーさんと何話してたの?」

 ポップコーンを世話しなく運ぶ俺の右腕から覗き込むようにココアが顔を出してくる。俺は少し考えて、

「大した話じゃないよ」

 と答える。ふぅん、とココアはなんとも納得できないような表情だったが、興味はありつつもそれ以上追及する気はないのだろう。暫しパタパタと落ち着かない様子で足を動かしていたのだけれど、ふいに鞄からごそごそと何かを取り出した。フェイスタオルだ。『百年先の未来で待ってて』というロゴの入ったそれを掲げ、ココアが嬉しそうに言う。

「ねぇテル君。見て、タオル買っちゃった」

 へぇ。

 今回の映画についてはもう何か月も前からテレビ雑誌ラジオ等々ありとあらゆるメディアで取り上げられていたので、大体の概要は知っている。

 タイトルは『百年先の未来で待ってて』今話題の新鋭作家が書いた小説が原作だ。人間不信のサラリーマンと夢見がちな女子高生が出会い、孤独な二人は傷を舐め合うようにして仲を深める。恋人とも依存ともいえるような二人の関係は女子高生がとある難病に侵されてしまったことにより変化を遂げる、という、よくあると言えばよくあるタイプの悲恋もの。

「このね、一度離れ離れになるときの台詞がいいの。最高なの。何度読んでも泣いちゃうの」

 なんていうココアは一生懸命で素直で可愛い。綺麗なだけの津島花野とは大違いだ。なんて、折角忘れかけていたのにまた女狐を思い出して俺は活性化しそうになる。ライトのポップコーンをそのまますべて食べきったところで、劇場の照明が消えて、女性の声でアナウンスが入った。

『これより、映画“百年先の未来で待ってて”のプレミアム試写会トークショーを始めます。皆様、携帯電話の電源をお切り、静かにお待ちください』

 途端、しん、と水を打ったように静かになる劇場内。空っぽになったポップコーンのケースを返す俺と、嫌がるライト。タオルを抱きかかえて期待に胸を膨らませるココア。

 最初の三十分は監督出演者によるトークショーだ。中年太りの髭面の監督と、出演者、司会者役の女子アナウンサーとゲスト。ゲストってお前かよ平介とか思うのだけれど、劇場内のテンションは最高潮だ。

「……今回はこの映画に協力させて頂きまして……」

「ジャッキーさんは津島さんとプライベートでも交流があるとお聞きしましたが?」

「ええ。彼女はとても頭がいい。一を聞いて十を知ることができる、素晴らしい女性です」

 なんて顔を合わせてにっこりと笑うプリンス・ジャッキーと津島花野はまるで理想のカップルみたいだ。先ほど控室での口論が嘘のように仲がいい。これがプロか。すごいな、プロって。

 ライトが俺のシャツをちょいちょいと引っ張り、呟いた。

「なぁ、津島花野とジャッキーって付き合ってんのかな?」

 知らん。

 トークショーの内容は映画と、撮影中のハプニングや裏話、その他のちょっとした個人的な質問などなど。これがなかなか面白いらしく、時折観客席から歓声や悲鳴が上がる。

「ケータリングのお菓子がすごくおいしくて、クッキーが置いてあったんですけどそれが本当においしくて、ドはまりしちゃったんです」

「津島さん、休憩のたびにそれ食べてましたもんね」

「はい、撮影にまで持ち込んじゃいました。映画にも出てくるのでよかったら探してみてください」

 なんてはにかむ津島花野は綺麗だ。知的で、上品で、色気すらある。今川駅前でスマホ片手にプラプラ歩いていた今にもパンツが見えそうな女子高生とは天と地の差だ。その、清純派女優の目が何かに気が付いたようにして色を変える。涼し気な目が俺を射抜く。そして、

「……ハッ」

 と、鼻で笑われたことを知り、俺は思わず持っていた麦茶を握りしめる。前言撤回。あいつはやはり女狐だ。

 俺がズゴーズゴーと噴火を抑えながら麦茶を飲んでいる間もトークショーは続く。

「えー、ここでいくつかファンの方からの質問をご紹介します! まず、津島花野さん!」

「はい」

「千葉県出身の中学生の方からのご質問です。津島花野さん、いつもテレビで見ています。可愛くて頭がよくて大好きです」

「ありがとうございます」

「ここで質問です。私の家ではラブちゃんという猫を飼っています。ラブちゃんは私が勉強をしている間も部活をしている間もパパやママに怒られている間も、ゴロゴロ寝たりのんびりお散歩したりご飯を食べたりしていて、いいなー、気楽だなーと思います。そんなラブちゃんが羨ましくて、生まれ変わったら猫になりたいなー、なんて思っています。津島さんは、生まれ変わったらなりたいものなどありますか? えー、中学生らしい可愛らしい質問ですねー。さて、津島さん、いかがでしょう?」

 女子アナウンサーの甲高い声に、津島花野がなんとも困ったような顔で応答する。

「生まれ変わったら……ですか。そうですね、今まで考えたことなかったです。うーん、そうですねー。猫も大好きだし犬も大好きなんですけど……わたし、今がとっても充実しているので、生まれ変わったら……は、思いつかないですね。うーん、そうですねー、あえて言えば」

 そこで一度言葉を止めて、続ける。

「生まれ変わったら、またわたしでいたいですね」

 そこで質問は次の出演者に移る。

 トークショーは三十分ほどで終了し、十分程度の休憩時間を挟む。そのあと映画『百年後の未来で待ってる』の上映会。明るくなった会場で、客達はそれぞれトイレに行ったり飲み物を買いに行ったり友達とおしゃべりをしたりしているのだが、俺も例に漏れず立ち上がる。空っぽのポップコーンケースを持ったライトが声をかけてきた。

「テル、トイレ?」

「うん。荷物見てて」

「じゃあさ、ついでにコーラとポテチ買ってきてよ。あとこれ捨ててきて」

「わかった。ココアは?」

「んーと、大丈夫!」

「そう」

 俺はスマホも財布も碌に持たずに劇場を後にする。空のポップコーンケースは途中で捨てた。女子トイレのとんでもない混み具合に愕然とするのだけれど、男子トイレの空き具合にほっとする。ほんと、男に生まれてよかった。女に生まれたら地獄だ。次生まれ変わってもまた男でいたいよ。用を足して手を洗っている最中、ふと先ほどの津島花野の言葉を思い出す。

『生まれ変わったら、またわたしでいたいですね』

(……ポケビかよ)

 俺は水道の蛇口を閉めた。

 俺の用が終わっても女子トイレの行列はまだまだ続いていて、休憩時間終わっちゃうんじゃないかと心配になる。でも俺も暇ではないので、ポケットの中にある小銭を握りしめながら売店に向かう。その途中で、俺はざわざわという音に気が付いた。それは非常に微かなもので、空気と空気のざわめきというか、木の葉同士が擦れ合うような小さなもの。それは俺の背丈くらいある巨大な観葉植物と妙に値段設定の高い自販機の間にある狭い通路からやってきていて、おいおい、誰か喧嘩でもしているのかと俺はほんの少しばかり野次馬根性を出してしまう。わくわくしながら観葉植物の間に隠れるようにして覗き見すると、ガタイのいい男二人が女の子をナンパしている。ナンパしている、というか、後ろから無理やり口を塞ぎ、体を拘束して、無理やり外に連れ出そうとしてる。あれ、これやばくね? 普通の男女の喧嘩じゃなくね? 女が二股していて男二人に迫られているとかそういう構図じゃ絶対ないよな? なんて俺がぐるぐる考えているうちに、「非常口」と表示されている扉が開かれて、男二人が女を外に連れ出していく。それまでずっと後ろを向いていた女の顔が一瞬見える。津島花野じゃん。あいつ、なんで誘拐なんかされてるんだ?

「おいっ……」

 漸く事態を把握した間抜けな俺が一歩踏み出そうとした瞬間、後頭部にとんでもない衝撃を感じてそのまま床に転がる。死にかけの蝉みたいになった俺には身動きの一つもできなくて、意識を失う瞬間に見えたのはハムみたいな太い脚と窮屈に押し込められたハイヒール。

(あれ、こいつ)

 津島花野のマネージャーじゃん。


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