第二章 並木平介 5
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三列シートの一番後ろを陣取って思う存分寛いで感動する俺。しかし、中央列に並んで座るココアとライトはこの高級車の乗り心地よりも目の前にいるイケメン芸能人の方が気になるらしく、色々質問をぶつけている。
「ジャッキーさんはこの辺りに住んでいるんですか?」
「違うよ。普段は都内のマンションで暮らしているんだ。今は本のイベントで各地を回っているんだ」
「大変ですね」
「あはは。普段は行くことのできない色々な地域に行くことができて勉強になるよ」
「ジャッキーさんはイギリス生まれなんですか?」
「違うよ。日本で生まれて小学校に入るくらいまでは仙台にいたんだ。知ってる? 仙台」
「知ってます。萩の月」
「そう、萩の月。おいしいよね。そのあと両親の仕事の都合でイギリスに渡って、学校を卒業したから日本に戻ってきたんだ。もう……二年位前かな」
「ジャッキーさんておいくつなんですか?」
「二十一歳だよ」
二十一歳という年齢にココアとライトが大げさに驚く。まぁ驚くか。二十一歳で大学卒業ということは恐らく飛び級したのだろう。一般的な日本人の感覚からするととんでもないことなのだけれど、海外ではざらだ。むしろ、飛び級のない日本の教育制度が珍しいくらいだ。
金の塊みたいな高級車の左側に備え付けられた運転席。サラサラ揺れる金髪は癖のひとつも見つからず、高級な絹糸みたいで綺麗だ。広い窓から入り込む太陽が金色を透かし、輝かせる。皺のひとつもない真っ白なシャツから伸びる彫刻みたいな細い腕がハンドルを握り、廻す。
「今までは母親の仕事を手伝っていたんだけど、最近少しずつ僕自身への依頼も増えてきてね。これを機にひとつ自分の店でも持ってみようと思って」
「ジャッキーさんのお店?」
「占いの館か何かですか?」
「そう。小宮市にいいところを借りれたから、そこで初めて見ようと思って」
「へー」
市街地を抜け国道を走り始めたベンツの内側から外を見る。この先小宮市まで二十六キロ。
顔のいいプリンス・ジャッキーは声もいい。穏やかで聞きやすくて、いつまでもいつまでも聞いていられる。ヒーリングミュージックみたいだ。やつの唇から奏でられる言葉は音楽となり俺の体に染み混んでいく。それがどうしようもなく心地よくて気持ちよくて、ちょっとした麻薬のようでもある。
しかし、うとうととし始めた俺のことを、ココアがした質問で起こされる。
「ジャッキーさんのお母さんて何のお仕事をしているんですか?」
「占い師だよ。マダム・パンドラって、知ってる?」
マジかよ。
プリンス・ジャッキーの運転するベンツは三十分ほど走り続け、小宮市に到着する。すぐ近くに駅が見える、十数分も歩けばもう駅だ、という、そういう場所。おしゃれなカフェや美容室が立ち並ぶ中、『Ring of fate』は存在した。
「時期テレビや雑誌でも宣伝するつもりなんだけど……まだ準備中でね。散らかってるけど、どうぞ」
ジャッキーに促されて中に入る。
薄暗い部屋だ。正面中央にある丸テーブルには濃い紫の布が敷かれていて、種を含んだ鬼灯みたいな形の西洋ランプがうっすら全体を照らしている。あまり広くない部屋は全体にアンティークで、暗幕みたいなレースのカーテンが外からの光を遮っていて、蝶だとか花だとかの絵が額縁で飾られている。段ボールもある。ビニールに包まれたままの板だとか紐の解かれていない布とかも、資材置き場みたいにそのままドンと置かれている。いい匂いがする。甘ったるいけどしつこくない。鼻からすっと入ってあっという間に脳内まで達するけど、すぐに忘れてしまう。けれどいつまでも残っているような、そんな香り。
「僕はタロットカードを主体とした占いを得意としていてね……母に比べたらまだまだだけれど、そんな僕でも必要としてくれている方がいるようで。ありがたい限りだよ」
ジャッキーは部屋の端にある細かい細工の施されたキャビネットからカードを取り出して、丸テーブルの上に置いた。
「占いに必要なものはなんだと思う?」
何気ないジャッキーの問いかけに、俺達は顔を見合せる。それからなんとなくココアに視線を向けて、促す。少し悩むような仕草を取り、ココアが答えた。
「……センスですか?」
「うん、そうだね。センスは大事だよ。あと勉強。色々なことを知ること。無知だということはそれだけで罰則の対象となる。社会、経済、宗教、文学……学問は生きるための糧だ」
ケースからカードを取り出して、しゃっしゃしゃっしゃと切り始めたジャッキーの指先はちょっとした魔法使いみたいだけどその口から飛び出る言葉は俺達の理解の範囲を超えていて俺は早くも帰りたくなる。でも、俺のシャツをしっかりと握るライトの指先がそれを許さない。
「でも一番大事なものは人だ。人を知ること。人生を知ること。誰かと知り合うこと。誰かを知ること。コミュニケーション。誰かを知ることは自分自身を知ることだ……他人を知ることなく自分自身を知ることはできない……人を知り人を愛し人を許すことにより自分を知り自分を愛し自分自身を許すことになる……」
俺の両足は自分の意志とは関係なく出入り口に向かおうとするのだけれど、汗ばんだライトの両手が俺のシャツと鞄をがっちり掴んで離さない。俺が蜘蛛の巣に捕まった蝶のように必死に体をばたつかせている間にもジャッキーはシャッシャカシャッシャカカードを切っていて、それをやめ、パーッと並べた。
「これも縁だ。僕に教えてもらえないかい? 君達のことを」
にっこりと笑うジャッキー。瞬きをするココア。青い顔をするライトにがっちりシャツを掴まれている俺。
あからさまに嫌がる俺達と対照的にココアは乗る気だ。胸に右手を当てて一歩踏み出すと
「でも、あの、お金……」
「お金はいいよ。ドライブにも付き合ってもらったし……連れてきたのは僕だ。友達になった記念に。あと、僕の練習」
どこぞの貴族が座ってるような模様の施されたアンティークチェアに座るジャッキー。その右手に促され、ココアも座る。げっそりとするライト。頭を抱える俺。前々から思っていたが、ココアは少しちょろすぎる。好奇心が旺盛なのはいいけど、少し我慢を覚えたほうがいい。
「それじゃあよろしく」
「……よろしくお願いします」
少しばかり緊張気味にココアに、ジャッキーがアイドルみたいな微笑みを送る。
「そんなに緊張しなくていいよ。タロット占いは初めて?」
「初めて、です」
「そうか。大丈夫、怖くないよ」
流石はジャッキー、女の扱いに慣れてるな。多分こいつは女をベッドに誘うときも同じ言葉を使っている。
一度広げたカードを一纏めにしたものを横向きにしてココアに差し出す。
「占いたいことを心の中で唱えながらカードをシャッフルしてもらえるかい? 勿論口頭に出してもらっても構わない」
ココアがそろそろとぎこちない手つきで戸惑うようにカードをシャッフルする。ぐるぐるぐるぐる、目が回ってしまいそうだ。
「もういいと思ったらいいよ」
ココアが手を止める。ぐちゃぐちゃになったそれをジャッキーがひとつにして、今度は縦向きで差し出した。
「左手を使い、左側から三つの山に分けてほしい」
ココアがそれを三つにわける。
「そしたら今度はそれを一つに山に戻してくれるかな。右でも左でも、どういう順番でもいいよ。自分の好きな順番で」
また一纏めにされるカード達。
「……できました」
「それじゃあこれで展開をしていくよ」
ぎこちなく積み上げられたカードの山を手に取り、ジャッキーが並べていく。中心に十字を書くようにして重ねて二枚、それを囲むようにして四方に四枚、ココア側から見て左側に縦に並べて四枚。
「それでは見ていこう。君の運命を」
ココアが緊張した面持ちで息を飲み、頷く。薄暗い部屋にぺらりぺらりという音が響き、十枚のカード全てが開かれる。
「まずここを見てほしい。現状……ソードの4。君はきっと……恐らく……なにか大変な思いをして……それが解決した……君は多分大きな傷を負っていて……それが癒えるのを待っている……次にここ……ワンドの8……ああ、そうか……ふふっ、若いね……羨ましいくらいだ……君はとても戸惑っている……夜も眠れないくらいだ……でもそれは悪いことではない……それはきっと……君のことを大きく成長させることになる……」
呟くようなジャッキーの声はまるで風の囁きのようでありもしくは小川の潺のようでもあった。静かで、凛としていて、それでいてはっきりと耳まで届く。
「遠い過去……カップの10の逆位置……恐らく君は誰か大事な人からひどい裏切りを受けた……ひどく孤独な思いをして……後悔をしている……とてもとても……けれど君は――新たに信じることのできる誰かと出会い――再び歩き出すことができた……君は幸せだ……とても……これから君は少しばかり……大変な思いをすることになるかもしれない……傷ついて……涙を流すこともあるだろう……でも大丈夫だ――君は――君の信じる人を信じていてほしい――」
鬼灯のランプから発せられる光が、ジャッキーの青い瞳を照らす。宝石みたいなそれが色を変え、ぱっと光り、戻る。瞬間的に戻る部屋の雰囲気。香りが変わる。
「こんなもんでどうだろう」
完全にジャッキーに飲み込まれていたココアが、はっ、とした様子で我に返る。
「あ、は、はい」
「まだ未熟でね。本当はお金なんか取れる身分じゃないかもしれないんだけど」
「い、いえ、そんなことありません。ありがとうございましたっ」
ぺこり、と頭を下げて椅子から立つココア。ぱたぱたと小走り気味に俺達の所に戻ってきた。
「どうだった?」
というライトの問いかけに、ココアはぴょんぴょんと跳ねながら息を荒げる。
「あ、あのねっ。すごい。当たってる」
「当たってる? あんな曖昧な言葉でわかるのかよ」
疑わし気なライトの言葉に、ココアが唇をタコみたいにして反論する。
「だって当たってるんだもん」
ぴょんぴょんと跳ねるココアの背中にぶつけるように、ジャッキーが言った。
「次は誰だい?」
顔を見合せるライトと俺。どちらからともなく拳を握り、じゃんけんをする。
「最初はグー、じゃんけんぽんっ……しゃあぁあぁあ!」
俺がグーでライトがチョキ。ガッツポーズをする俺と蹲るライト。俺はぐずぐずとするライトの背中を蹴って、早く行けよと促す。
「あはは、仲いいね」
「……よろしくお願いします」
「よろしくね」
いまいち乗る気じゃないライトと対照的に、ジャッキーは鼻歌交じりにカードを切る。山を三つに分けてまた重ねて十枚並べるところまですべて同じだ。
「……すごいね……君はとても恵まれている……幸運だ……少しばかり窮屈だと思っているみたいだけど……でも……とても必要としている……これからも、ずっと……例え君がそう思っていなくても……君がどれほど避けようとしても……きっと君は……関わらずにはいられないだろう……大丈夫だよ、怖いのは知らないからだ……ふふ、すごいね。引力みたいだ……」
くすくすというジャッキーの声を背中に受けながら、ライトがふらふらと放心状態で戻ってくる。
「おい、お前大丈夫か?」
「テル、あいつやばい」
「やばいって、そんなの見ればわかるよ」
「違うよ、そうじゃなくて、なんつーか、まじでやばいよ。頭、おかしくなる」
「あいつのがおかしいのなんて一目瞭然だろ」
「そうじゃない、なんか、変なにおいがする」
「変なにおい?」
「すごいいい匂いがして、それで頭おかしくなる。なんか、頭くらくらしてくる」
青い顔で目が泳いでいて、今にも倒れてしまいそうだ。口に手を当てて震えるライトの背を擦りながら、ココアが外に連れていく。俺もついていこうとするのだけれど、ジャッキーに止められる。
「君も、どうぞ」
意地でも占いたいってやつかよ。
俺はジャッキーの目の前に座りカードを切りながら問いかける。
「あいつは大丈夫なんですかね」
「大丈夫だよ。時々あるんだ。力の強い子だと当てられてしまうことが」
「力が強い? 霊感があるってことですか?」
「霊感、とは少し違うかな。感受性が強いというか……」
「へぇ」
感受性が強い。ライトがねぇ。そんな話今まで一度も聞いたことないけど。
なんて適当なことを考えながら適当にカードを切って適当に並べてまた一つの山にする。それをジャッキーが十枚並べて展開する。並べ方の意味も絵の意味も俺には全くわからない。ただただ、綺麗で可愛いイラストが並べられているというだけだ。
「それじゃあ君の運命を見ていこうと……」
瞬間、それまで余裕のある微笑みを浮かべていたジャッキーの表情が変わる。すごい驚いたような意外なものを見たかのような、そんな表情。あの時、サイン会で初めて俺を見たときと同じ顔。
ジャッキーは並んだカードを見て、俺を見て、それからゆっくりと口を開けた。
「君は――」
「すいません、何か飲み物ってありませんか? ライト君が喉乾いたって……」
ジャッキーの言葉を遮って、ココアが扉を開けて入ってくる。部屋の雰囲気が一気に変わる。どこか興奮をしていたジャッキーはぱちぱちと瞬きをし、冷静さを取り戻すと
「あ、ああ。奥にジュースがある。持ってこよう」
「すいません。自販機が見つからなくて……」
「いずれ設置するつもりだけど、まだ業者が来ていないんだ。悪いね」
と言って分厚くて長いカーテンを捲り、そこに現れた扉を開けて消えていくジャッキー。そういう風になっているのかここって。
椅子に座ったままの俺の傍に、ココアが近寄ってくる。
「テルくん、占ってもらった? どうだった?」
「わかんない。ライトは?」
「お店の前でぐずぐずしてる。においで気持ち悪くなっちゃったんだって。私、この香り好きだけど」
すん、と鼻を鳴らすココア。俺は別に、そこまで好きでもないけど。
丸テーブルに並べられた色とりどりのカード。そのうちの一枚を手に取り眺めていると、後ろからココアが覗き込んできた。
「あ、これ知ってる。死神のカード」
「意味は?」
「んー、忘れた」
あっそ。
結局俺のカードの解説は行われなかった。
「途中間が空いてしまったせいで集中力が切れてしまってね……申し訳ないけど、またの機会でいいかな?」
なんて申し訳なさそうに眉を寄せるジャッキーはイケメンだ。
青い顔でちびちびとオレンジジュースを飲むライトを見ながら俺は頷いた。ていうか、次の機会なんてなくてもいいけど。
ライトの回復を待って、俺達はまたジャッキーの運転するベンツで勅使河原市まで戻る。
「家まで送っていこうか」
というジャッキーの提案を断り、俺達は駅で下ろしてもらう。七月の空はいつまでも明るいけど、十九時も近くなれば流石に少し暗くなる。
「ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げるココアに、ジャッキーが太陽みたいな歯を見せた。
「こちらこそありがとう。楽しかったよ。無理言って悪かったね」
「いえ、そんなこと」
「またよろしくね」
もうないけどね、と心の中で呟く俺。
別れる直前、俺はジャッキーに呼び止められる。
「辰巳くん。体調管理に気をつけてね」
体調管理?
どういうことだと思うのだけれど、先を行くライトに呼ばれそれを問うことをやめた。
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