第15話8章


【8】




 男は目の前の息子たちに飽き飽きしていた。

 男の名はビスケイン。このバーンホーンの現国王だ。


 目の前の息子は一番上の息子、竜騎士団を束ねているバグラ。

 少し線が細い男は二番目の息子、魔術師のニルデ。


 ニルデは延々とアギに跡を譲る危険性を訴えている。

 バグラはその横でさも自分の意見だと言わんばかりに何度も頷いていた。



 馬鹿らしい。



 ビスケインはこの息子たち――三番目の息子も含めてだ――に嫌気が指していた。

 期待したような子供は生まれなかった。

 誰一人、彼の敵になるような能力を持った息子は生まれなかった。


 だから、アギ。

 あの子にすべてを譲ろうと思った。

 あの子は違う。

 出来損ないとは違う、素晴らしい結果だ。



「父上――」

「幾らお前たちに言われようとも、私の心は変わらない。バーンホーンの次代の王はアギだ」

「ですからそれは――」



 明かりが消えた。



 部屋に暗闇が訪れる。

 部屋を明るくしていたのは魔法の明かりだ。

 それが瞬時に暗くなるとは思えない。


「真闇の呪文です」


 ニルデが言う。

 どのような光も潰してしまう闇を作り出す呪文。



「誰が……」



 窓から差し込む銀の月光。

 それだけが、唯一の光源。


 助けを求めるように窓を見て、それに気付く。


 窓が開いていた。

 風が吹き込む。




 窓から何かが投げ込まれる。



 それはバグラの足元まで転がってきた。

 球体の、何か。



 拾い上げ、月光に翳したバグラの喉に悲鳴が詰まる。

 切り裂かれ、歪んではいるものの、それは間違いなく弟のグオンの首だった。



 月光が隠れる。

 雲が新たな闇を作り出す。


 ベランダに誰かが立っていた。

 その足元で猫が甘く鳴く。


 立つ誰かの身体の曲線。

 それは微妙に人からずれていた。

 歪んでいる。


「誰だ」


 バグラの誰何の声は震えている。

 その誰かがグオンの首を投げ込んだのは確かだ。



「――兄貴に用はねぇよ」

「アギか」


 立ち上がったバグラの身体が飛んだ。


 既に闇に紛れたアギがバグラの前に立ち、その身体を吹き飛ばした。

 剣で殴り飛ばした。


 粘着質の紅いにおいが強くなる。



 ニルデは動けない。

 座っていたソファにしがみ付くように震えている。

 小さく呟く声は「ちがう、ちがう」と繰り返している。

 

 何が違うと言うのか。

 これは、完成品だ。


 ビスケインは嬉しくなる。



「私に用か、アギよ」

「あァ、お前に用だ」


 窓の所にいつの間にか戻っていた影に問いかける。


 答える声が少し歪む。

 既に人の発声が難しくなっているのかもしれない。



「親父――お袋を殺したのは、あんたなのか?」



 問い掛けの声は震えている。

 それに人の感情を感じ、更に嬉しくなる。

 異形の姿を持ちつつも、この存在はビスケインに対しての感情を有している。



「あぁ」



 笑みのまま頷く。



「私が殺した」



 炎が右腕で弾けた。

 焼けた、と感じると同時に、切断された右腕が床に落ちた。

 そこでようやく炎ではなく剣で斬られたのだと判断した。

 痛みよりもまったく見えなかった速度と鮮やかな切り口に感嘆の声が漏れる。


 素晴らしい。


 桁が違う。

 これが、自分の血を引くものなのだ。



「唯一の欲しかった女って――そう、言ってたじゃねぇか」

「欲しかったのは事実だ」


 だが。


「愛していた訳ではない」



 城に出入りしていた魔術師が囁いたのかきっかけだった。

 旅芸人の女。踊り子の娘を示し、あれは魔物だと、そう囁いた。


 城に入れない方が良いと囁く言葉を押し切って、旅芸人たちを城に入れ、城下で出し物を行う許可を渡した。

 その代わりに女を求めた。

 座長はすぐに女を引き渡してくれた。


 女は共通語さえ上手く語れなかった。


 ただ、最初の夜に言われた事を覚えている。

 裸の下腹部を撫で、笑った。



 ――ワタシたちを、あいして、くれる?



 ――ワタシはコワイモノをうむ。それ、あいして、くれる?



 ビスケインは何も言わずに女を抱き寄せた。



 女は笑った。


 こわいよ、こわいよ、と、子供のように、声だけで怯えて見せた。





「欲しかったのはただひとつ。――私の血を引く、強きものだ」



 魔物の血を得たのなら、どれほどの力を得られるだろう。

 己の血を引きながら、かつ、更に強き血を受け継いだもの。

 存在自体が恐ろしい。


 恐ろしく、嬉しい。


 いつかそれはビスケインの前に立つ。

 敵として。

 倒すべき、敵として。


 次代の王になる為に、今の王を殺しに来る。


 その日が待ち遠しかった。

 敵がいない日々など考えられない。倒すべき相手がいない日々など死んでいると同じだ。



「な――なら、お袋はあんたに与えたじゃねぇか。俺を……俺を……」

「お前を連れて逃げようとした」

「……」

「私が、お前たちを愛してないと、それだけで逃げようとした」



 騎士を伴って追いかけた。

 幸い、首都を出る前に追いつけた。

 闇夜の戦い。

 月だけが見ていた。


 ウソツキ、と女はビスケインを罵った。

 生まれたばかりのアギを腕に抱いて、怒りに整った顔を強張らせ。

 アギだけは置いていけと言うビスケインに女は歯を剥いて怒鳴る。


 群れで育てると返し、女は背後にアギを置いた。


 両手を地面に付ける。

 女の姿が、歪んだ。



 それからの事は一瞬。

 七人の騎士が惨殺され、ビスケイン自体も剣を持てぬほどの傷を右手に負わされた。

 右手の裂傷。

 隠し持っていた銀の刃で、のしかかってきた女――いや、女だったものの心臓を肋骨の影から抉った。


 そこでビスケインは心から後悔した。


 美しい魔物だった。

 異形の美。

 異界の美しさ。

 それが既に屍体。


 女の屍体が転がるだけ。


 赤ん坊が自己主張するように泣き出した。

 ビスケインは赤ん坊――アギを連れて帰った。


 秘密裏に女の屍体は処分した。

 騎士を惨殺して逃げ去った、と言う方が都合がよかった。


 魔物が真実母と言うよりも、アギを育てやすい。


 アギに対する予言のひとつひとつ、その能力のすべてが嬉しかった。

 これは自分の敵になる命。

 絶対的な敵になる命。


 それにそれに――やがて育つ。

 あの美しい魔物へと。

 いつか、至る。

 あの、異界の姿に。


 それが待ち遠しかった。



「ほら――お前は得た。その姿を。見せておくれ。お前の母と同じだろう。闇色の、美しい――」

「ダマレ」


 声は既に不明瞭。

 アギは二本の足で立つ事もままならない。

 記憶の中の女のように、手を、床に付いた。



 何かが床に落ちた。

 思い音と金属の音。


 闇夜に光る、宝石。


 宝剣だ。

 王位継承権の証。


「カエス」


 言って、魔物は身を翻した。



「ま、待ってくれ」


 ビスケインは立ち上がる。

 アギに追い縋る。


「待て、何処に行くつもりだ、待て。――頼む、このとおりだ、見せてくれ。闇でよく見えない。その姿を、頼む」


 雲が晴れる。

 


 一瞬だけ。


 一瞬だけ、その姿が浮かび上がる。




「――お、おぉ……」



 次の瞬間、ビスケインの瞳はもう何も写さなくなる。

 凄まじい激痛が両目を襲う。

 何かが――両目を傷つけた。

 横殴りの一撃。目だけではなく、顔面の肉さえも抉り取った一撃。


 

 魔物はもう何も言わなかった。

 猫が嬉しそうに一声鳴いた。



 ビスケインは痛みに呻きながらも笑っていた。

 

 あれは私の血を引くもの。

 私のものだ。私の敵だ。



「待て、行くな。――戦え、私と戦え」

「イヤダ」


 軋む声。



「オマエハ、コロスノニサエ、タリナイ」


 猫が鳴く。


 その声を最後に魔物たちの気配は消え去った。



「待て、待て――足りない? 足りないとは何だ? 私には何が足りない?」


 頼む。


「戦え。戦ってくれ。それが無理だと言うのなら、殺せ。殺すがいい。敗北者に相応しい末路だ」



 もう誰もいない。


 いつかのように、月が見ている。


 ビスケインの声に、ニルデの嗚咽が重なった。



「ちがう……父上……あれは違います……。もっと……もっと恐ろしい存在です……違う……」


 嗚咽の中の言葉は、既にビスケインの耳に届かなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る