第15話9章


【9】



 闇。

 

 月光が照らす。


 異形の姿が歩む。

 猫と共に。


 闇。


 再度、照らす、月光。

 少しずつ消えていく歪み。



 やがて、彼は二本の足で立つ。



「――素敵ですわ」


 イシュターは弾んだ声で言う。


「何が素敵だ」


 アギは返す。


「魔物だ」

「魔物だなんて、人よりも優れた存在です。誇っていい存在ではありませんか」


 イシュターはため息をついた。


「それにとても綺麗」

「綺麗なものか」


 一撃で人間を砕けると確信した。

 素手で、人間を破壊出来ると。


 そして、その力を理解した途端、壊したくてたまらなかった。


 抑えるのだけで必死だった。


 そんなものが綺麗な訳があるか。



「これから、どうなさいますの?」

「……」

「もう国にはいられないでしょう?」

「……」

「アギ」

「黙れ」

「もう」


 イシュターが拗ねた声を出す。


「考えなければならないでしょう? 怒っても仕方ありませんわ」



 それに、と、彼女は背後を見た。



「飛竜の翼の音がします。――追っ手ですわね」

「兄貴だろうな」

「あら、殺してませんの?」

「内臓までやっちゃいねぇよ」

「冷静でしたわね」


 イシュターは瞳を細めた。


「でも数が多い。私一人では対処しきれませんわ。――逃げてしまいます? 私の呪文で、遠くまで」


 アギは足を止める。


 街の中。

 広場。

 真夜中も過ぎたこの時刻は、流石に人の姿もない。

 石が敷き詰められたその広場を、銀の月明かりが照らしている。


 広場に、飛竜が降り立つ。


「追っ手?」


 イシュターの声が少し険しい。

 思ったより早い、とそう考えている。

 

 しかし、アギは恐れない。

 見慣れた真紅の姿。



「……ラナ」


 呼び掛けに、巨大なメス火竜は嬉しそうにアギを見た。

 そのラナが軽く牙を剥く。

 アギの変化に気付いたようだ。

 この火竜は片割れだけでなく、アギの心の変化まで読み取る。


 表には出さない感情まで、読み取ってしまう。



「アギ様っ!」



 ラナの背から飛び降りたハーブの姿に、アギは一瞬答えを見失う。

 駆け寄ってくるハーブを迎えもしなかった。ただ、突っ立っている。



 両肩を掴まれる。


「ご、ご無事でしたか?! お怪我は、あの、何が、アギ様」

「俺は平気」


 なぁ、と。


「宿を見たのか」

「は、はい」


 屍体は転がしたままで来た。

 あれを見たのなら、ハーブは慌てただろう。

 

 ハーブは掴んでいた肩から手を外す。

 アギの瞳を覗き込む。


「アギ様?」


 ハーブは。

 少しだけ困ったように笑った。



「泣かないで下さい、アギ様」

「……泣いてねぇよ」

「ラナが申しております。アギ様が誰かに苛められたと」

「苛め、って俺はガキかよ」


 苦笑。


 ラナが顔を摺り寄せてくる。

 その顔に身体を預けた。


「俺、あのなぁ、ハーブ、あの、なぁ、ラナ、俺」

「後で伺います」


 ラナが息を吐く。

 ハーブの声に応じ、笑ったように思えた。


 翼の音が近い。


「敵が参ります」

「敵、って、ハーブ」

「アギ様の敵ならば私の敵」

「お前、何の事情も知らずに――」

「事情ならば」


 アギを見る。


「アギ様を傷つけようとするものが来る。それが分かれば十分でしょう」



 ラナが緩やかに動く。

 ハーブはそのラナの背に乗った。



 羽ばたき。

 風が起こる。



「ハーブっ」

「はい」


 笑う顔が見えた。


「殺さずにおきましょう。――宜しいですか」

「あ、あぁ」

「かしこまりました」


 ラナ、とハーブが囁いたのが分かった。


 真紅の飛竜が翼を広げる。

 空へ。

 もしくは、戦場へと。


 向かうは、闇に浮かぶ飛竜の姿。

 数は10ほど。

 この深夜に城にいた飛竜すべてを持ち出してきたか。



 ラナが吼えた。

 月さえも震わせる、声。

 真紅の翼が炎を纏う、錯覚。


 たった一匹、たった一人。

 あわせてたった一対の竜騎士。


 真っ直ぐに、その一対は敵に向かった。




 火竜は炎に対する力を持つ。

 本来ならば。

 ただ、年を経た火竜の放つ炎は、火竜の鱗さえも焼き尽くす。


 ラナのブレスが先頭の火竜の頭を焼いた。

 視界を失い、動きが狂ったそれに、爪の一撃。翼を破られ、落下していく。

 広場へと落ちていく。


 その火竜が兄の片割れだと、地上に落下した姿を見て、初めて気付く。

 背の兄は動かない。

 微かに呻く声が聞こえたが、それも、弱い。


 一瞬。

 他の飛竜の動きが止まる。

 ラナの実力を彼らは既に知っている。


 恐れている。



 ラナが吼えた。




「――悪魔だ、ですって」



 アギの足元。

 イシュターは嬉しそうに囁く。



「悪魔?」

「あの火竜をそう呼んでますわ、敵たちったら」

「悪魔って、何だ?」

「神に敗北し、地に堕ちた神に等しい存在。それを悪と呼びますの。魔と示しますの」


 ころころ、と可愛らしいイシュターの声。


「素敵なふたつ名。神に対する貴方に相応しい傍仕えですわ」

「……」

「叫んでますわ、あの飛竜」

「なんて、言ってんだ」

「貴方を傷付けた者は誰だ、と。許さない、と――あぁ、ほら素敵」


 叩きつけられた炎のブレス。

 それにラナは突き進む。

 弱き竜の炎など恐れない。

 割れた炎の向こうから、ラナは敵の首に牙を立てた。


 真紅の鱗は汚れてもいない。



「アギ」

「……」

「彼らを連れて行きましょう。貴方の傍に仕えるに相応しい存在ですわ」

「でも」

「飛竜は神よりも先にこの地に存在した者。神が恐れ、その可能性を封じようとし、唯一失敗した者。――神に立ち向かうならば、飛竜の力が必要です」

「巻き込んじまう」

「それを望んでますわ、彼らも」


 それに、とイシュターはアギの足に擦り寄る。


「これだけバーンホーンの竜騎士団に被害を与えておいて、今更関係ない、で逃れられませんわよ? あの竜騎士だって、飛竜だってそれを分かっているでしょう。覚悟ならば彼らはとっくの昔に。後はアギ、貴方の覚悟」



 ラナが敵を裂く。

 横からの攻撃に光が走った。ハーブのドラゴンランスが的確に、飛竜の急所を傷付ける。


 広場に落下した飛竜。

 動かない。

 生きてはいるようだが、もう、アギを傷付けられない。



「俺の覚悟……?」

「ただ一言、共に在れ、と。それで彼らは貴方と共に在りますわ」


 敵を倒し、立ち向かう者を挫き、逃げ去る者には恐怖を与え。

 そして、真紅の飛竜とその片割れはアギの前に立つ。


「アギ様」


 誇らしげに立つその一対に、アギは思わず言葉を失う。


 地上に降りたハーブが軽く首を傾げた。

 困ったような、彼の表情。

 それでも微かに微笑んでいた。


「――ハーブ」

「はい」

「ラナ」


 ラナが吼える。

 

 顔を寄せてくる火竜に、アギは両腕を伸ばす。

 抱き締める。


「アギ様」


 横でハーブが笑う。


「これからもお傍にお仕えする事を……どうか、お許し下さい」

「……許すも何も……」


 ラナに顔を寄せ、横目でハーブを見る。


「俺もお前らも……もう、何処も行き場所、ねぇじゃん」

「私たちにはアギ様がおります。貴方のいる所が我等の領地」

「狭い領地」


 笑う。


「ハーブ、もう俺が何をしようとも、てめぇ絶対何処にも行くんじゃねぇぞ」

「はい」

「俺が冥王みたいな事をしたって、傍で働かせてやる」

「喜んで」


 ラナも応じる。


 イシュターは鳴いた。



「そのお言葉、しっかりと聴きましたわよ。次代の冥王として、動いて頂きますわよ、アギ」

「……へ?」


 間抜けな声を出したのはハーブだ。

 片手で頭を抑えている。


「あ、あ、アギ様、あの、ね、ねこ、あのっ!」

「あー、全部纏めて後で話す」

「そうそう、ごゆっくりお話致しますわ。御伽噺も、ゆっくりとね」

「お、おば、け?」

「お化けとは何ですか。私はイシュター。猫ですわ」


 さぁ、とイシュターが促す。



「参りましょう。更なる追っ手が来る前に」


 ラナが吼える。

 翼が広がる。


「あら、素敵。乗せて頂けるのですわね」

「ラナ」


 ハーブのいまだ困惑を乗せた声に返ってきたのは、ラナの細い目。

 猫ぐらいでビビるな、とそう言わんばかりの。




 そして、後は夜へ。


 銀の月が浮かぶ夜へ、紅い飛竜が舞った。

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