第15話4章


【4】




 何度かしか立ち入った事の無い王城は、アギには殆ど覚えの無いものだが、向こうはアギを覚えていたようだ。


 驚くほど丁寧にもてなされ、王の私室へと通された。


 王子ならば当たり前の対応なのかもしれないが、少なくともアギはこんな経験は初めてだ。




 父は散々アギを待たせ、帰ってやろうかとテーブルを蹴り付けた瞬間に入ってきた。

 久しぶりに顔を見る息子の乱暴な仕草に、父は何だか嬉しそうな顔をする。


 父は鷲に似ている。

 少々頭部が薄くなっているが、それでも十分に猛禽類のような鋭さを持っていた。

 右手の甲の大きな裂傷が走っている。

 まるで獣の爪で切り裂かれたように、三本。


 どちらかと言えば物静かな容貌に見える。

 が、歴代のバーンホーン国王で、彼以上戦いを好む男はいないと言われていた。

 そして、殺しを好む王もいないと、言われている。


 彼が王になった時、多くの人間が死んでいる。


 肉親殺しの王だと、囁くものも多い。



 アギは舌打ちし、ソファに座った。

 高級そうなそれはアギの乱暴な動きも柔らかく受け止める。


「――何の用だよ、親父」

「久しぶりの再会に感動の挨拶は無いのか」

「ねぇよ。会いたいとも思ってねぇからな」

「そうか」


 父は笑う。


 ソファに座りもしない。

 室内をゆっくりと歩き、それから思い付いたように入り口間際に立つ近衛兵を指で示した。


「出て行け」

「はっ」


 短く答え、兵は逆らう事なく出て行く。


 アギは自分の腰の剣を示した。


「いいのかよ」

「何」


 父は再度笑い、纏うマントの裾を軽く跳ねさせた。

 大剣と呼ぶに相応しい剣が見える。


「実の息子と斬り結ぶ、と言うのも面白い」

「遠慮しとく」


 長兄がまだこの父親に従っていると言う事は、少なくとも兄弟の誰よりもこの父が強いのだろう。

 その相手と戦う事は無駄だ。

 第一、きっとハーブが嫌がるだろう。


「なかなかの結果を出しているようだな」


 大会の事だろう。


「俺の世話役たちのおかげだよ」

「ヘルベルトか。あれは良い竜騎士だ」


 珍しくハーブの本名を聞いた。

 そんな事を考えながら、笑う。


「俺には勿体無い騎士か」

「むしろお前に相応しい」

「……」


 何となく、奇妙な感覚。

 胸がざわめく。


 嬉しい、に近い。


 それを誤魔化すようにアギは口を開く。



「で、親父、用は何だ?」

「息子たちの中でお前だけだ。私を『親父』などと呼ぶのはな」

「父上って呼んでやってもいいぜ? それともお父様?」

「やめてくれ。笑い死にしそうだ」


 その言葉に反し、父は軽く目を細めるだけだ。


 目を細めながら、父はソファにも座らず、テーブルを挟んだ向こう側、アギの前で指をふたつ立てた。


「用はふたつ。見せたいものがひとつ、渡したいものがひとつ」

「………?」


 父は動き、豪華な戸棚から何かを取り出した。

 絵に見えた。

 胸に抱えられそうな小さな絵。


 テーブル越しに父がそれを差し出す。


 受け取って、アギは顔を顰めた。



 寝台の上に薄物を纏っただけの女が座っている。

 座る、と言うには随分と砕けた姿勢ではあるが、間違いない。

 女は笑っていた。

 何処か子供じみた無邪気な笑い。

 片手がこちらに差し出されている。


 誘うような、招くような。



 女は見事な銀髪をしていた。



「――お袋か?」

「あぁ」


 ふぅん、と頷く。

 何の感情も浮かばなかった。

 本当に綺麗な銀髪をしていたのだな、と、そう思っただけだ。


 黒目がちの大きな瞳が綺麗だ。


 絵でこれだけ美しい女ならば、実物はもっと美しかったのだろう。

 それぐらいだ。



 ハーブやシアから聞いた母の物語の方が良かった。

 踊りが上手かった。

 肉料理が好きだった。

 月を見ると遠い異国の言葉で歌を歌った。

 いつまで経っても綺麗な共通語の発音が出来なかった。

 それを指摘されるとすねたように頬を膨らませた。

 そして、すぐに笑った。


 ハーブが綺麗な笑みだといまだに言う、その笑みで笑った。



 

 軽く目を閉じる。

 目蓋の裏の細い銀。

 母の髪なのか。

 生まれたばかりの子供の頃、その腕に抱かれて見た髪の色なのか。



 父の手に絵を返す。

 父は得意げな顔をしていた。母の顔を知らぬ息子に母の絵を見せ、何かしてやったつもりでいる。

 別に欲しくない。

 そう言ってしまいたかった。



「――じっとしているのが嫌いな女だった。絵師が幾ら頼み込んでも一瞬たりとも黙っていない」


 絵に視線を落とし、父が言う。

 微かに細められた目。

 笑み。


「一番、筆が早い絵師に描かせた」


 よく描けている。


「今夜は満月だ、外へ行こう。こんな場所にいないで外に行こう。絵師など見ずにそう私を誘った」


 母も夜が好きだったのか。

 銀の満月。

 それを見て、何かを思ったのか。

 

 父を見る。


 初めて、父と会話したいと思った。


「親父――」


 アギの声の質が変わったのに気付くだろう。

 父はアギを見る。

 その瞳は過去を見ていた。

 アギを通し、その母を。


「お前の母は、私が生まれて初めて欲しいと思った女だ。――心から、心から欲した、唯一の女だ」


 そこで父は壁を示した。


「渡すもの、ひとつ」


 タペストリーで覆われた壁ひとつ。

 飾られているのは小さな剣だ。

 たった一振りの剣。宝石で飾られているが、武器としては大して役に立たないものだろう。

 そう思われる宝石に近いような剣だ。


 だが、剣は王の私室の壁に飾られ、己こそがこの部屋の主だと言わんばかりにあった。



 アギもこの国の人間だ。

 剣の意味ぐらい分かる。


 正統な王位継承者に与えられるもの。

 つまり、次代の王になるべき人間が、持つもの。


「お前に、あの剣をやる」

「……どうして?」


 自分がこんな頼りない声を出せるとは思ってなかった。


「お前が生まれた時から決めていた」


 それが俺が、親父の欲しがった唯一の女の子供だから?

 そんな甘い情でバーンホーンの国王なんてやってこれるのか?


 馬鹿な、とは思う。

 だが同時にそれに期待している自分もいる。


 父が壁に近付く。


 剣を取り外す。

 

 いまだソファから動けないアギの前に、剣が差し出される。

 埋め込まれた宝石たちは一級品の魔法石たちだ。独特の魔力の光が目を焼く。


 アギは剣を見、それから父を見た。


 父は何も言わない。

 ただ笑う。


 その笑みに誘われたように、アギは剣を取った。


「アギ」


 父が始めて名前を呼んだ。


 剣は軽い。

 だけど呼ばれた名は重いような気がした。

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