第14話6章・現在、シルスティン編 前編


【6】




「――あ、あの」



 擦れた声でハーブが口を開いた。



「ひ、ひとつ、おは、お話、しても……良い、ですか」


 吃りながらの声は聞き取り難い。

 シズハはハーブの言葉が終わるのを待ち、頷いた。


「はい」


 先ほどまでアギが座っていた場所を示す。


「座りませんか」


 ハーブは無言で首を左右に振った。

 堅い表情で彼は、言った。


「か――火葬は、最も、そ、その、尊い、送り方、です」

「……」


 イブの事か。


 ハーブは何度か深呼吸を繰り返す。

 再び口を開いたハーブの声は幾分落ち着いたものになっていた。

 呼吸を整えたからか。

 それとも、主に対する忠誠心からか。


「あ、アギ様は、ラナの炎を望まれました」

「火竜の炎で屍体を焼く事に、意味があるのですか」

「はい」


 頷く。


「ば、バーンホーンでは、炎によって屍体を送るのを、あの、清いものだと、伝えられています。肉体を、焼く事で、現世の罪をすべて清められると――魂が、もっとも美しい状態へと、至れると」


 そしてその炎は自然のものであればあるほど良いとされる。

 最上なのは、人よりも原始から生きる飛竜の炎だ。



「こ、こちらでは、屍体は土に還すのが常識なのでしょうが……で、ですが、アギ様は、屍体を貶める為ではなく、イブ殿を、その、思って――」

「それほどまでにイブを思っていたのなら、どうして、命を助けなかったのですか?」



 屍体を盗み出し、炎で燃やす。幾ら移動の魔法が得意なイシュターが傍にいるとは言え、簡単な事ではない筈だ。


 そして、アギの指にあった髪の指輪。

 死者の一部を身につける風習はあちこちにある。

 共通しているのは、死者に対する思い。

 思いがなければ、そんな事はしない。


 幾ら鈍いシズハだって分かる。

 アギの、思いぐらい。


「――……」


 ハーブの言葉が止まる。

 不明瞭に続いていた唸りとも声とも付かない声が完全に止まった。


 代わりにシズハに向かったのは、強い視線。


 ハーブは真っ直ぐにシズハを睨み付けている。

 緊張の色はその瞳に無い。


 彼が武器を持っていなかった事を思い出す。

 そうでなければ、シズハが剣を抜いていたかもしれない。

 身を護りたくなるほどの、殺気。



「――お前にアギ様の気持ちが分かるか」


 吃音が綺麗に消えている。

 低い声の裏側、怒りの感情。



「お前の事は調べさせてもらった」

「……」

「幸せな人間だ、お前は」


 ハーブは続ける。

 少しずつ早口になる言葉。

 怒りの感情が更に露になる。


「両親に愛され、守られ。仲間にも、友にも恵まれた。居場所も当たり前のように与えられ続けた。常に傍で支えてくれる片割れまで存在する。――得た居場所を捨て去っても、それでも支えようとしてくれる人間もいる」


 幸せな人間だ、と、ハーブは繰り返す。


「アギ様は何ひとつ無かった。幼い頃から奪われ続けるのが当たり前だった。それに加えて、器ゆえの孤独もあった」


 ハーブは己の手を見る。


「不安で泣きじゃくる幼子を宥めた事があるか。幾ら抱き締めても不安のままで一晩中泣き続ける人を、守った事があるか。それほどの思いを抱えて泣く子供の心を思った事があるか」


 握り締められる手。


「ようやく――ようやく、イブ殿を見つけたと思った。これで安心して夜を迎えられると、不安の夢から逃げられると――」


 だけどシズハが訪れ、イブはシズハを選んだ。

 そして、アギは選ばれなかった。


「私はお前を許さない」

「……」


 ハーブの感情が高ぶるにつれ、シズハは奇妙なぐらい静かな気持ちになっていた。

 まるで対岸の出来事を見るような気になってくる。

 イブも、アギも、ハーブも、そして、膝の上のアルタットさえ。

 何だか酷く遠く感じる。


 手を伸ばし、イルノリアに触れる。

 これだけが確かな感触に思えた。



 イルノリアに触れて、ハーブの顔を見上げる。





 そのハーブが思い切り、前方に吹っ飛んだ。




 思わずシズハは避ける。



 先ほどまでハーブが立っていた位置に、思い切り不満そうな顔のアギが立っていた。

 彼はハーブを蹴飛ばしたままの姿勢だった。



「なぁに恥ずかしい話してやがんだよ、ボケ」

「あ、あの、アギ様、わ、私は――」

「シズハ悪ぃ。忘れろ。いや、頼む忘れて下さい」

「は、はぁ」


 手に持っているピンクのアイスクリームを軽く揺らしながら、アギは目を細める。

 褐色の肌色故に目立ち難いが、赤くなっている。

 赤面しているらしい。


「ガキの頃の恥をバラすとか、どういう羞恥プレイだよ、これ?」

「……う、ぅ……も、申し訳ありません……」

「シズハ、コイツが何か偉そうな事を言ったら、尻でも蹴飛ばしてやってくれ。黙るから」

「……はぁ」


 ヴィーがアギの背後に笑いながら立っている。

 手に持っているアイスクリームはオレンジ色。何の味なのだろうか。


「話聞こえてたの、凄いねぇ、アギ」

「聞こえてねぇけど、コイツがこんなマジ顔してんのは俺の過去話してるに決まってんだよ」

「……正解? シズハ」

「まぁ、正解です」


 アギは凄い顔でハーブを見ている。


「頼むから恥ずかしい事するなよ」

「……はぃ」

「分かったなら良し。――行くぞ」

「あれぇ、もう帰っちゃうのー?」

「数日中にはイシュターをそっちに行かせる。準備しておいてくれよ」

「りょーかい」


 アギはシズハを見た。


「じゃ、またな?」

「……はい」


 軽い挨拶の後にアギは歩き出す。

 ハーブも慌ててその後を追った。

 最後に、何だか情けない顔をしてシズハに頭を下げていった。



「――面白い人たちだねぇ」


 ヴィーの感想。



 シズハは無言で膝の上のアルタットを見た。

 丸くなっている、黒猫。


「ヴィー」



 呼び掛け。



「なぁに?」

「俺は今何をしているのでしょうか」

「……どういう質問?」

「いえ……よく分かりません」


 シズハは黒猫を撫でる。


「何だか……何も見えなくなったような気がして」


 確かなものが欲しくて此処にいる筈なのに。

 何もかも、見えないような気がする。


 そう、自分自身さえも、今は、見えない気がした。



「ふぅん?」


 ヴィーは曖昧に言った。



「まぁ一番大切な事を見失わなきゃ大丈夫だよー」

「……大切な事?」

「それまで俺に言わせないのー。考える考える」


 明るく笑って、ヴィーはシズハの横に腰掛けた。


「あ、美味しー」


 そして嬉しそうにアイスを舐め始めた。


 シズハはヴィーから視線を外し、背後のイルノリアを見た。

 顔を寄せてくる綺麗な銀竜に、小さく頷き、手を這わせた。

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