第14話5章・現在、シルスティン編 前編
【5】
「昔々――って、まぁ御伽噺はこんな始まりがいつもだよな」
アギは笑って話し出した。
「俺たちが神って呼ぶ存在がこの世界に現れた頃、世界にいたのは飛竜だけだった。――この話は知っているか?」
「知っている」
頷く。
神々は世を治める為に自分たちと似た姿の生物を造られた。
それが人だ。
更に神々は人を元にし、他の種族を作り上げた。
エルフやドワーフ、ホビット。有翼人や、半人半魚たち。
……彼らの伝説では、神が最初に造ったのが自分たちであり、それに続いて人が造られたになっているらしいが。
「神様に守られて人は世に増えた。増えて増えて――何でか、まぁ、戦争なんか始めやがった。人のサガ、ってヤツかな」
アギは目を細める。
「これは俺の意見。神様ってのは、人間同士を戦わせて大喜びしてたんじゃねぇの? 人間が動物戦わせて喜ぶみたいにさ。どっか遠くから人間が命賭けるのを、爆笑して見てたんじゃねぇかな」
「……」
「話を戻す」
「人間が争いを始めた頃、神も人間も考え付かなかった愚か者が現れた」
「……?」
「女神の一人が人間に恋をした」
女神は銀の月の化身。
美しい銀の姫君。癒しの乙女。
彼女は戦場で傷付き、倒れた人間の男に恋をした。
死に掛けた彼を癒し、その傍らに寄り添った。
そして、その女神に、人の男も恋をした。
「他の神々が気付いた頃、男は人間以上の存在になってやがった。癒しの女神の守護を一身に受けたんだ。単純に言えば不老不死、ってヤツよ」
「焦ったのは神々。人間が造り手である神を超えては困る、と、男を殺そうと色んな企みを行った」
「――が、男はそれを乗り越えた」
続けたシズハの言葉にアギが笑う。
よく聞く昔話だ。
美しい女神に愛された人の男の物語。
イルノリアにもよく読んで聞かせた。
彼女はこの物語が大好きだった。
「幾つもの難問難関を乗り越えて、男は女神と結ばれた――そういう御伽噺だろう?」
「違う」
アギはゆっくりと首を左右に振る。
「神々の難問は乗り越えた。男は更に人間じゃないモノになりつつも、恋した女神の為に頑張った。彼女の為、彼女の為だけに、必死にな」
彼らの望みはただひとつ。
共に在る事。
共に生きる事。
それだけだったのに。
神々は男を殺す為に次の手段を講じた。
「神は、男を殺せなかった。だけど、神の祝福を受けた人間は、その男を殺せた」
「……物語は、幸せに終わってる」
「だからそれが嘘。本当の物語の終わりはこうだ」
神々の難関を乗り越えた男に与えられたのは、同じ人間からの攻撃。
まさか人から襲われるとは思ってなかった男は、あっさりと刃を喰らい――そして、神の祝福を受けた刃は、男の生命さえも断ち切った。
嘆いたのは女神。
男の亡骸を胸に、泣いて泣いて泣き続けた。
亡骸が崩れて魂が残り、その魂を抱いて、更に女神は泣き続けた。
「神々は安心した。女神の恋人は死んだ。人が神を超える可能性は断ち切られた。これで安心。もう大丈夫。メデタシメデタシ」
アギは肩を竦める。
「ってのは面白くねぇよなぁ」
シズハを見て、笑う顔。
「女神は男を再生させた。誰に殺されようとも、誰に滅ぼされようとも、何度でも男を生き返らせた。更に強く、強く。肉体も、魂も強いものへと変化させつつ、何度でも」
怒った神々は、女神を封じた。
ただ、癒しと再生――そして誕生を司る彼女を完全に封じたのなら、全ての命が封じられる。
世界の命が封じられない程度の、ぎりぎりの範囲。
その危ういバランスで、女神を、閉じ込めた。
「女神の力は弱い。もう恋人の再生もままならない。だけど、彼女は諦めなかった」
彼女が望むのは幸福な結末。
愛しい恋人と結ばれるハッピーエンド。
封じられ、まどろみながら夢を見る。
「己が司る力は誕生。人の命を紡ぐ事は出来る。なら――新しい恋人を生み出せばいい。人と人を結び付け、愛しい恋人の肉体を生み出せばいい」
幸いに何度もの再生を経て、男の魂は既にそれ自身が意志を持っている。相応しい肉体を用意するのなら、そこに至り、男は甦るだろう。
「女神は人の可能性に賭けた。人の交わりの向こう側に、自分を救ってくれるたった一人の恋人がいるって信じて――な」
アギは小さく息を吐いた。
その彼に、シズハは問い掛ける。
「――その、男が」
「人間が冥王って呼ぶヤツさ」
「……」
シズハはアギの顔を見る。
御伽噺。
「……今の御伽噺を聞いただけじゃ、神々と人の戦いのだけだろう? どうして、冥王は、人を滅ぼそうとするんだ?」
「女神の封印を解く為に」
「女神の封印?」
「神々ってのは余程性格悪いぜ。下手な封印を施せば、女神自身が壊せると思ったんだろう。だから、とんでもない封印を施した」
アギは自分の胸を示す。
「人の命」
示す指先を見る。
命?
「この世界に生まれた人間は全員が全員、女神の封印の為に力を貸し続けている。生きている限り延々とどっかに封じられた女神を押さえつける為に、生命力とか魔力とか――そういうのの何割かを提供してる、って訳だ」
拳で胸を叩く。
心臓。
「封印を解くには人を殺せばいい。人が減れば封印は弱まる。だけど女神は人を殺せない。そういう風に出来ている」
「――だから」
「女神の恋人が――人を殺す」
愛しい恋人を救い出すために、人を殺す。
「――理解出来ない」
「ま、良い子のシズハちゃんはそう言うと思ったけどなぁ」
アギが笑った。
「でもお前以外の器には当たり前の事だ」
笑うアギを睨む。
「ガキの頃から妙な不安が付き纏うんだよ。何かしなきゃならねぇって、でも何も出来ない自分が情けなくて、大泣きさ。泣いている理由を誰に聞かれても巧く説明出来ない。切ないって言葉も知らねぇガキの頃からそんな状態だ。マジでキツイぞ、これ。――俺が会った器の中には、もう壊れちまってるヤツもいた」
「アギ様」
今まで黙って背後に控えていたハーブが、アギを呼ぶ。
アギは軽く背後を振り仰ぎ、笑った。
「大丈夫。今はそんなに辛くねぇよ」
「……はい」
ハーブはゆっくりと頷く。
その瞳はまだ不安の色がある。
アギが再びシズハを見た。
「幸い――って言うとお前怒りそうだけどよ、此処20年ぐらいで人が随分と減った。女神の力も強まってる。自分の化身を生み出す程度には、力が強まっている」
「化身」
「例えばイブみたいなモノだ」
出された名に白銀の少女を思い出した。
王子様、とシズハを呼んだ少女。
「俺はお姫様って呼んでる。女神様よりもイイだろ。可愛くて」
「……」
「ま、お前は好きに呼べばいいさ」
「化身の役目は男――冥王の手伝い。女神の力を持ってるんだ。癒しの力は確かだし、何よりも、欠けた心を満たしてくれる」
器に与えられる焦燥感。孤独感。幼い頃から責め続けるその感覚を消し去ってくれる、存在。
「ただし――人間の身体に無理やり女神の力を押し込んでいるもんだから、あんまり長生きしねぇみたいだな。イブの前の化身も長生き出来ずに死んだみたいだ」
だから、イブには長生きして欲しかった。
アギは小さな声で呟いた。
「イブといると――まぁ、結構気持ち良かったな。ニセモノでも、ちゃんと女神の化身だ。腹の奥があったかくなるみたいな、くすぐったい気持ちになった」
そう言うアギの顔は優しい。
が、その優しい表情はすぐに消えた。
「でも、お前が現れて、それも消えちまった。イブは俺を選ばなかった。だから俺もイブを選ばなかった。オアイコ、ってヤツだ」
で、と、アギはヴィーを見た。
「補足はあるか?」
「……んー、沢山話すとシズハも混乱しちゃうだろうからぁ、いいやぁ」
「って事は、お前は全部知ってる訳だ?」
「イシュターと同じ存在なんだよー」
「そっか」
アギはシズハを見る。
そして、シズハの傍らのイルノリアを見た。
「お前はなんつーか、例外みたいだし、そのままでいいんじゃねぇの? お姫様が見つかっても手を出すなよ」
「興味は無い」
アギを見る。
「俺は、その器じゃないかもしれない。お前の言う感覚なんて一度も味わってない。それに――イブに対しても何も思わなかった」
「どうなんだよ、猫? お前はそういうの分かるんだろ?」
アギの問い掛けはヴィーに対して。
ヴィーは少しだけ曖昧な声を漏らした後に、言った。
「その女の子の事はよく分からないけど、シズハは器だと思うよー」
「ヴィー……」
「テオも多分知ってる筈」
父親の名前を出されて驚いた。
「補足……って言うか、一応言っておくね」
腕の中のアルタットを撫でながら、ヴィーは不思議と優しい顔をしていた。
優しい――と言うか、諦めたような微笑。
「神々とは全く関係なしに、冥王の器を殺す為だけに、存在している人もいる」
「あー……知ってる」
アギが言う。
「器だと目星付けたガキが結構殺されてるんだよな。それか?」
「多分ね。器だと気付く前に殺しちゃう。そっちの方が早いでしょ? 大きくなったら器は冥王の魂を受け継いじゃうかもしれない。そうしたら、冥王の部下たちも彼に従う。そんなバケモノを倒すには、また勇者みたいな大きな存在が必要になる」
ヴィーはシズハとアギを見た。
「そいつらは人の意志で冥王の器を殺している。神の介入なんて全くない。狂信者なんだよ」
「俺の情報網にはそんな奴等見えて来なかったけどな」
「巧く隠れていると思う。もう、何百年も……ううん、それより長いかも。もしかすると、女神が最初に男を見初めた時からかもしれない」
「器を殺すのが目的か?」
「違うよ。神に至る人間が現れるのを防ぐ事」
「何だ、そりゃあ?」
「神は神。それ以外は要らない。――言ったでしょう、狂信者なんだよ。超一流の、ね」
ヴィーは少しだけ目を細める。
彼にしては珍しい、険しい表情。
「冥王は敵だらけだよ。可哀相なぐらい、敵だらけの存在」
それからヴィーは取り繕うように笑った。
「まぁ、その、ねぇ。狂信者たちに殺されてないって事は、誰かが一番危険な子供時代を守ったって事だと思う。――どう思う、アギ?」
「俺は生まれた時からハーブとラナが傍にいた」
名を呼ばれてハーブが何かを言いかける。
が、激しく吃り、何も言えない。
「守るって言うには、これ以上最高の護衛はないぜ?」
「良かったねぇ」
「あぁ、まったくだ」
笑うヴィーは今度はシズハにのみ視線を向ける。
「シズハはテオに守られていたと思うよ」
「………」
「あー、おかーさんも守っていたと思う。あのおかーさん最強」
「強ぇの?」
「うーん、色んな意味で強いよ、おかーさん」
「そうなんだ。――いいな、母親」
アギが笑う。
笑みのまま、シズハを見る。
「御伽噺はこんな感じ。――ま、後聞きたい事思いついたら言ってくれよ、シズハ」
「……」
「だから睨むなって、仲良くしようぜ?」
そう言うアギの目は笑っていない。
口を、開く。
「ひとつ――聞いていいか、シズハ?」
「……?」
「もしも、イルノリアを救うために人を殺さなきゃならないって言ったら、お前は人を殺せるか?」
「な……」
アギは笑い、立ち上がる。
「アイス、買ってくる」
「他に何の味があったー?」
「イチゴ。あと、フルーツなんたら」
「面白そうー。俺も買いに行くー」
シズハの膝の上にアルタットをそっと置く。
瞳を閉じている。
眠っているのかもしれない。
「預かっていて」
「……はい」
ヴィーとアギは何だか楽しげに笑い合いながら、牧場の売店へと歩いていく。
残されたのはシズハとイルノリアとアルタット。
それから、何か言いたそうに立っているハーブだ。
「――あ、あの」
擦れた声でハーブが口を開いた。
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