第14話3章・現在、シルスティン編 前編


【3】




 日が暮れるまで竜舎にいて、疲れた様子を見せるバダを医務室に戻した。

 それからシズハは宛がわれた部屋に戻る為に廊下を歩く。竜騎士の宿舎のひとつ。


 あの宗教団体での調査が終わるまで此処に、と言う話で与えられた部屋だが、シルスティンやバダの件もあり、ずるずるとそのまま残っている。

 ゴルティアの混乱具合を見て、関係者ではない自分たちは立ち去るべきなのかとは思うのだが、バダが心配で動けない。


 


 バダの怪我も、ガドルアの怪我も酷いものだった。

 イルノリアがいたのが良かった。

 人間の神官では癒しきれない程の傷。幼いとは言え、人間よりも遙かに癒しの力が強いイルノリアでも精一杯だった傷を思う。


 ガドルアの前足。ずたぼろだった。肉塊がぶら下がるだけのそこ。癒せないと一目で判断出来るほどの怪我。

 デニスはその前足をすぐさま切断した。助からない部位に回すだけの体力がガドルアには無いと判断したのだ。



 バダもガドルアも、決して弱くはない。むしろ戦闘能力に置いてならばかなりのものだ。

 その彼らにあれほどの傷を負わせる黒竜。

 信じられない、と思う。


 ガドルアの身体を見ていたデニスも同じ意見らしい。火竜の鱗を簡単に貫く牙に、爪に、ただ驚き、恐怖するばかりだ。



 狂王ボルトスが、冥王が、従えていた黒竜。

 アギがあの黒竜を従えているのか。

 いや――ヒューマが黒竜に命じていた。アギが、あの黒竜をヒューマに与えたのか?


 どうして?


 何故――シルスティンを?



 シズハは思い出す。

 シルスティンが嫌いだと言っていたアギの言葉。

 嫌いだから滅ぼすのか?


「――……」


 だとしたら、許せない。

 シルスティンは閉ざされたまま。

 中にいる人々はどうなっている?



 与えられた部屋の前に立つ。

 軽くノックをするが返事は無い。

 そっと扉を開くと、中は闇。

 手探りで壁に取り付けられたボタンを探す。探し出したそれを押せば、天井に魔法の灯りが灯った。

 ゴルティアの公共機関にはこれが多く取り付けられている。火災が起きる心配の無い安心な灯り。


 机と寝台がふたつずつあるだけのシンプルなその部屋。

 

 片方の寝台に黒猫が丸まって寝ていた。


 アルタットは先日、イシュターに加えられた攻撃を受けてからずっと体調が悪い。

 そっと寝台に座り、小さな黒い身体を抱き上げた。

 アルタットは軽く緑の瞳を開き、シズハを見るが、抗うつもりはないようだ。黙って抱き上げられている。

 本当の所は抗う体力も無いのだ。



 シズハは黒猫の背を撫でつつ、小さな声で呪文を構成する。


 回復魔法の光が指先に。

 だが、その光は何処へも届かない。

 効果が無い。


「……アルタット殿……」


 自分の無力さを知る。

 アルタットが瞳を開く。シズハを見上げ、細い声が鳴いた。まるで慰めるような声に無意識に頷いた。







 アルタットはシズハの顔を見る。

 自分を撫で、効かない癒しの呪文を用い、そして泣きそうな表情を浮かべる青年。


 これが――下手をすると冥王になるかもしれない人物なのだ。



 冥王との戦いを思い出す。

 冥王の部下たちを倒し、倒し――行き着いた果てにいたのは、まだ若い青年だった。

 彼は大した力を持っていなかった。

 剣の腕は人並み以上だったろうが、アルタットと切り結ぶこと一度二度、それだけで切り捨てられた。


 ただの人だ。

 冥王は、ただの人だった。



 だからこそ冥王の正体を隠した。

 ただの人間が冥王だったなど、人には言えない。

 何処にでもいるような青年が人間を滅ぼそうとしていたなど、言えなかった。


 アルタットは、出会った瞬間の冥王の顔を思い出す。

 絶望と、哀しみが一瞬その顔に浮かんで――そして、冥王と呼ばれた青年は肩を竦め、剣を取った。

 あの時点で死を覚悟していたのだろう。


 

 冥王とは、何だ。



 どうしてその魂は受け継がれる。

 何度も、何度も、人を滅ぼそうと生まれ変わる。



 シズハが顔を上げた。




 猫がいた。

 長毛の猫。



「――イシュター……?」



 シズハがアルタットを庇うように抱く。


 長毛の猫は行儀良くその場に座った。

 瞳が動いている。

 ヴィーを探しているのかもしれない。

 諦めたように、猫が前足を一本、動かした。

 その猫の前足の下に、紙が挟まっている。

 封筒に入った何か。――手紙?



 猫が鳴いた。

 それで用はおわりだと言わんばかりに、猫は立ち上がる。

 そして、その姿は溶けるように消えていった。


 シズハはしばし床に残された紙を眺めている。

 やがて、アルタットをベッドの上に下ろすと、その手紙に近付く。

 指先で拾い上げ、封がされていない封筒を開く。中にはやはり紙。二つ折りされたそれには癖の強い文字が並んでいる。

 共通語ではあるが非常に読み難い。シズハの眉が寄っているのは、内容が問題ではなく、解読が難しいからだろう。



 ドアが開く。

 シズハの視線を受けたのは、ヴィーだ。

 きょとんとした顔をしている。


「あれぇ、どうしたのぉ?」

「お帰りなさい」


 手紙を、見せる。


「これが」

「ラブレター?」

「………」

「冗談だよぉ、そんな顔しないでって」


 手紙を受け取りながらヴィーが笑う。


「色々情報集めてきたんだけど、ゴルティアの城下も結構騒ぎだよ。シルスティンに親戚いる人が多いみたいで」

「内部の情報は」

「殆ど何も。黒竜を見かけたって話ぐらいだねぇ。まだ大きな動きはない」


 ただ、と、ヴィーが手紙を開く。


「シルスティンとは関係無いけど――イブの屍体がなくなったみたい」

「イブの屍体? ゴルティアで保管していたのでなかったのですか? 一応調査してみると――」

「そう。調査も終わったし、ゲオルグと一緒に犯罪者用の墓に埋められる予定だったらしいけど、彼女の屍体だけ行方不明」


 ゲオルグの肉親は彼の屍体の受け取りを拒否した。

 故に、シルスティンに戻される事無く、ゴルティア郊外に埋める手はずになっていた。

 昼なお暗いその場所。訪れるものは屍体を埋める人間だけ。そんな場所に穴を掘り、適当に屍体を投げ入れ、埋める。

 

 話には聞くが、シズハは一度も行った事は無い。



「熱心な信者が生き残っていて奪ったんじゃ……って話だけど、今シルスティンの件で大騒ぎだからねぇ、調査は難しいでしょー。ゴルティア側ももうどうでもいいみたいな感じだしねぇ」

「……」

「さて、手紙手紙」


 文字を追う。


「うわぁ、きったない字ぃ。読めるの、これ?」

「何とか」

「読んでシズハ。……あ、やっぱりいいやぁ。内容かいつまんで説明宜しくぅ」

「……はい」



 返された手紙を見る。


「――アギからの手紙です」

「……へぇ、珍しい人からのラブレターだねぇ。シズハ宛だよね、勿論」

「…………」

「うわぁ、シズハ怒ってる? 御免ゴメン、冗談だって。――で、内容はぁ?」

「ゴルティア郊外の……その、とある場所に明日、来て欲しいと。時刻の指定はお昼丁度、です」

「ある場所? なぁに、もしかして、さっき話に出た犯罪者用の墓?」

「いいえ」


 シズハは何だか困り果てた顔で言った。



「……メイプル牧場に」

「………………何、それ」

「牧場です。観光客用に、絞りたての牛乳とか、それから作った製品を販売しているような」

「………バーンホーンって牛乳珍しいのかなー」

「さ、さぁ?」



 ヴィーは腕を組む。


「しかもお昼でしょ? その時間帯にそこに来いって……どういう神経してるんだかぁ」

「……罠でしょうか?」

「罠ならもっと巧く張るよー」


 首を傾げる。


「シズハを王城から引き離すのが狙いかなぁ。此処だとシズハは狙い難いからね」


 ヴィーにはシズハが知り得た情報をすべて話してある。

 アギの正体も、彼がシズハの生命を狙っている事も、すべて。


「でもそれならお昼に観光地に来いって無いよねぇ」

「………どうしますか」

「行こう?」


 あっさりと。


「俺もアギって人に会いたいんだよー。次の冥王がどんな人なのか把握しておきたいんだよねぇー」

「把握して、どうするのですか」

「現段階では何も。でも、顔分かっていると色々便利でしょー?」



 ヴィーはベッドの上のアルタットを見た。 

 先ほどまで起きていたのだが、今は再度丸くなっている。


「……それに、何かしたくとも、アルがこの調子だと、俺は何にも出来ないよ」


 ため息。

 ヴィーの哀しげとも取れるため息に驚いた。


「大人しく俺と入れ替わってくれると嬉しいんだけどねぇ……嫌だって頑張るの」

「入れ替われば、治るのですか?」

「治らないよ。今度は俺が苦しむだけ」


 でも。


「アルが苦しむよりはずっといいよ」



 そう言ってからヴィーは笑った。



「じゃあ、明日、お昼に間に合うようにそこに行こうねー」

「はい」

「今晩はもう寝よう、寝ようー。おやすみー」


 そう言ってさっさとベッドに潜り込む。

 アルタットと同じベッドに、こちらは毛布の中で丸くなる。

 猫属性。


 シズハは少しだけ迷って、もうひとつのベッドから毛布を剥がした。


「……おやすみなさい」


 そっと囁いて、シズハは足音を忍ばせ、歩き出した。


 竜舎へ。


 今夜はイルノリアの傍で眠ろうと思った。


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