第13話10章・現在、異端宗教編
【10】
アギは空を見上げる。
羽音。
降りてくるのは、真紅の翼を持つ飛竜だ。
火竜。
誰かが背に乗っている。
眩しげに目を細めて見やり、吹き荒れる暴風の中、火竜の着地を待つ。
やがて地面に降り立った火竜は翼を畳む。
背から降りたのは鎧を来た若い男だ。アギよりも年上。二十代後半と言う所だろ。
精悍と言っても良い顔立ちなのだが、瞳は周囲を落ち着きなく見回している。その為、顔立ちも体格も立派なのだが、酷く気弱そうに見えた。
「ハーブ」
アギはその竜騎士の名を呼ぶ。
「お迎えご苦労さん」
「ご無事でしたか」
「死ぬわけねぇじゃん」
肩を竦める。
しかし既にハーブは彼を見ていない。
視線を更に不安げに動かす。
「そ、その……アギ様……し、周囲に、ひ人が、その」
何を見ているかと思えばそれか。
信者たちが思い切り不審そうな目でこちらを見ている。
飛竜が降り立つ音に何事かと建物から出てきた者さえいた。
「気にすんな」
ぽん、と、ハーブの肩を叩く。
耳元で囁いた。
「全員、焼き殺していくから」
「……」
ハーブの瞳が瞬時、冷静なものになる。
見回す。
「ラナの炎だけでは少々厳しいかと思いますが」
「やれ」
「……かしこまりました」
愛竜のメス火竜、ラナを見る。
彼女は既に悟っているようだ。
口元から炎が見え隠れする。
火竜はメスの方が気が荒いと言うが本当だ。ラナよりも好戦的な火竜は見た事が無い。
「――あぁ、待て」
「は、はい!」
アギの停止に、ハーブの視線と声の調子が最初のものに戻る。
おどおどとアギの言葉を待つ。
「その前に――観ておきたいものがある」
闇が見えた。
闇は足元から浮き上がった。
大きな犬が蹲るように影が膨らみ、それが馬ほどの大きさになり――弾けた。
闇が弾け、模ったのは人型。
全身漆黒の鎧を纏った大柄な剣士だ。
顔さえもすべて金属に覆われ、その表情を伺う事は出来ない。
右手に両手剣サイズの両刃の剣――刀身さえも黒一色だ――を持ち、左手には大きな盾。
剣士と言うよりも、騎士。
翻るマントにも、纏う鎧にも何の紋章も刻まれていないが、それは確かに、騎士と言う呼び名が相応しかった。
突然シズハとイルノリアの前に現れたそれは、ゲオルグの上段からの攻撃を剣で受け止めた。
高い金属の音が響く。
「な――?!」
ゲオルグの戸惑いの声。
シズハも驚いていた。
突然現れた鎧に驚き、声さえも出せなかった。
鎧はゲオルグの剣を受け止め、弾き返し、無言のまま剣を構えている。
シズハたちの前で一歩も動かない。
こちらに攻撃を加えてくる様子はなかった。
守る。
その言葉以外、的確な言葉が浮かばない。
イルノリアはそれに見覚えがあった。
シズハの実家。竜舎で一緒に過ごした夜。シズハの前に現れた闇。
本当はこんな格好をしていたのだ。
怖くはない。
シズハも驚いているが怯えていない。
それに、シズハを助けてくれた。
中身は見えないけど良い人に違いない。
ありがとう、と、イルノリアは鳴く。
漆黒の騎士は答えない。
ただ剣の構えが僅かに変わった。それが返事に、イルノリアには思えた。
騎士は構えたまま、一歩踏み出した。
ゲオルグも剣を構える。
「何者だっ?! 貴様っ!」
速度と、重さの乗った一撃。
騎士はそれを左の盾で受け止める。受け止め、軽々と右手の剣を振るった。
まるで冗談のようにゲオルグの胸を薙いだ。
「ぐっ!」
よろめくゲオルグに追撃を与えようと騎士が動く。
「待って下さい!」
シズハは咄嗟に叫んでいた。
騎士の動きが止まる。
盾も剣も下げ、シズハを見る。仮面のようなフェイスガードに覆われた顔。表情は分からない。
それでも戸惑っている空気が伝わった。
「殺すのは止めて下さい」
漆黒の騎士は何も言わずに従った。
シズハに向き直り、数歩の距離をゆっくりとした足取りで詰める。
誰も動けなかった。
胸を切られたゲオルグでさえ、騎士の動きを見守る。
ゲオルグの部下たちも、武器を構えたまま、動けなかった。
漆黒の騎士はシズハの前に跪いた。
剣と盾を横に、深々と頭を垂れる。
忠誠を現す姿勢に、シズハは思わず背後を振り返った。
そこにはイルノリアだけ。
彼女も不思議そうに騎士の動きを見ている。
「あの……貴方は……?」
誰なのだろう。
騎士は顔を上げる。
これだけ間近に見ても、フェイスガードの下の瞳さえ読み取れない。
いや、瞳の穴さえない。
フェイスガードと言うよりも仮面だ。
その虚ろな変わらぬ表情で、鎧は何かを待っているように見えた。
だが、何を?
「――血が欲しいってさ」
武器を持つ兵士たちの向こう。
笑うような声と共に現れたのは、アギだ。
背後に鎧を纏った男を連れている。
そして、空中から巨大な体躯を持った火竜が降り立つ。
今にも炎を吐きそうな火竜を前に悲鳴が上がった。
兵士たちが割れた。逃げる者も多い。
ざわめきの中、漆黒の騎士を間にシズハとアギが向かい合う。
「……血?」
「契約なんだよ。血を分け与える、って言うな」
アギは自分の指先を犬歯で食い千切る。
血が溢れる指先を騎士に見せた。
黒の騎士は何の反応も見せない。シズハに視線を向けたままだ。
おろおろと、アギの傷に手を伸ばそうとする背後の騎士を振り払い、アギが笑う。
苦笑に見えた。
「お前じゃなきゃ嫌だって言ってるぜ」
「これは――」
「分かってねぇで呼び出したのか?」
「呼び出した訳では」
騎士を見る。
「勝手に現れて……でも、守ってくれた」
「ふぅん」
アギが頷いて。
騎士が動いた。
いつの間にか抜かれていたアギの剣を、騎士が己の腕を持って防いだ。
そうでなければこの近距離、シズハに刃が食い込んでいた。
「すげぇ早いな、コイツ。遅そうな身体してるくせにっと!」
鎧の隙間に入り込んだ刃を無理やり抜く。
剣の刃は揺らめく炎のように波打っている。
その刃を見てアギは舌を打った。
「痛んじまった」
シズハは見ても分からない。
騎士はアギに向き直る。剣を構える。が、切りかかりはしない。
「おお、俺も攻撃しねぇのか。守る気はねぇけど、って事か」
「アギ、何を? どうして攻撃なんて――」
「あー、その騎士な。俺が欲しかったの」
「……」
騎士の背を見る。
これは、何なのだ?
「お前殺したら俺の方に来てくれねぇかなと思ってるんだぜ」
「中の人に聞けばいいんじゃないか」
「中の人なんていないっての」
それが面白い冗談のようにアギが笑う。
「お姫様は手に入れ損ねたが、まぁ黒騎士が手に入るなら儲けもんだよなぁ、と思ってる」
って事で。
「シズハ、死ねよ」
アギが動いた。
騎士の胸。その中央に、刃が貫く。
騎士は動かなかった。
己の身も含めて、シズハ以外は守る気が無いと言わんばかりに、アギの刃をそのまま受けた。
騎士の身体が崩れる。
文字通り、溶けて行く。
闇そのものに、崩れ落ちていく。
瞬きひとつふたつの間に、闇は地面に落ち、溶け――跡形もなくなった。
「よっし、じゃあ、本番」
イルノリアの威嚇。
アギが困ったようにイルノリアを見た。
「イルノリア、そんな怒るなよ。出来るだけ苦しまないように殺すから」
「嫌に決まってる」
「いや、その気持ちも分かるけど、俺、黒騎士欲しいんだって」
「持っていけばいい」
「犬猫じゃないんだからすぐ里親なれねぇっての」
緊張感のない会話が続く中、アギの背後に困ったように従っていた男が空を見上げた。
「アギ様!」
「ゲオルグなら放置」
「ち、ち、ちが、あの」
「何だよ?」
「そ――空」
「空ぁ?」
見上げる。
金竜。
大きく旋回しているそれは、今にも地上に降りてきそうだ。
「誰だ?」
「――ゴルティア」
アギの背後の男が言う。
言うなり、彼は身を翻した。
同時に叫ぶ。
「アギ様、早くラナへ! 此処は撤退致しましょう!」
「何でだよ?」
「複数相手では私も勝てません」
「一匹だろ」
「いえ。羽音は複数です。囲まれています」
早く、と騎士は叫んだ。
アギはまだ迷っている。
剣を手に、動こうとしない。
「――どういう事だ」
ゲオルグの声に、アギはようやくそちらを見る。
抑える胸から血が落ちていた。
「運のイイオッサンだな。普通は黒騎士に斬られちゃ生きてねぇぞ」
「複数の竜騎士とはどういう事だ」
「終わりの時間が来たって事」
アギは肩を竦める。
「ガキを買って殺してたんだ。人身売買は大陸法に触れる。俺たちは立派な犯罪者だっての」
「どうしてお前は落ち着いていられる。――まさか」
「別に此処の情報を売り飛ばしたりしてねぇよ。ただ、覚悟してただけ」
それより、と彼が言った。
「いいのか。オッサンは勿論、イブも捕まるぜ」
「……姫」
呟く声。
そしてゲオルグは身を翻す。
傷を負った身体とは思えぬ速度で走り出した。
「――さて」
アギがシズハを見た。
アギ様、と、呼びかける竜騎士は無視し、シズハへと声を向ける。
「時間切れみたいだな。お前を殺すのはまた今度にする」
「殺される理由は無い」
「あぁ、お前には無いだろうさ。だから頑張れよ? どうせ残ってるのは俺たちぐらいだ」
どっちの可能性が勝つか勝負だ。
「……可能性?」
その言葉に思い出す。
父――テオドールが倒した、以前ヴィーが共にいたという人物。彼はテオドールの可能性が気に入ったと口にした。
その言葉を思い出す。
「可能性、とは何だ?」
「御伽噺の主人公に相応しいかどうか、って事だよ」
「……?」
「御伽噺は始まってる。俺たちのお姫様は、どっかで夢見ながら物語を綴ってる。俺たちが生まれるずっと前から。紅い一滴と白い一滴が交わるずっと前から、な」
「意味が分からない」
「分かるさ。俺が分かったように、お前も」
アギは自信たっぷりに言う。
だがシズハは何も分からない。
「……お姫様? イブの事か?」
「あれはニセモノ。お姫様の模造品。模造品でも綺麗なら、傍に置いても良かったんだけどな。あんな嫉妬心塗れの俗物はもう要らねぇよ」
「アギ、何を?」
「幸せなシズハ。分かってねぇから飢えずに済んでる。――早く俺の方に来るのを待ってるぜ」
アギが下がった。
羽音。
風が吹く。
この場所へ、金竜が降り立つ。
金竜にしては細身の体躯。色も少し落ち着いたもの。細面の顔とその色には見覚えがあった。
「レイチェル!」
シズハの呼び声に金竜が鳴いた。
地面に降り立つ。その背から素早く飛び降りた女性は、シズハに向かって軽く笑いかけた。
「お久しぶりね、シズハ君」
「――ジュディさん、どうして、貴女が……」
「色々とお話したい事はあるけど後でね。お仕事中だから」
ゴルティア唯一の女性竜騎士は、アギとその背後の男を見る。
「そちらの火竜には見覚えがあるわ」
騎士が慌てたように火竜の前に立つが、そんな動きで巨大な竜を隠せる訳が無い。
アギは面白そうにジュディの話を聞いている。
「――貴方、バーンホーンの騎士でしょう? 遠乗りにしては、ちょっと遠過ぎな場所ね、此処は」
「そ、そ、その――」
おろおろと騎士が呟く。
「あ、アギ様――」
「ハーブは俺の趣味に付き合ってくれてるんだよ」
「ハーブ……ヘルベルトね。思い出したわ。でも、こんな臆病そうな竜騎士だったかしら?」
「二重人格なんだよ。戦場では別人」
「面白い部下をお持ちね」
ジュディの笑い。
「貴方の顔も見覚えあるわよ」
「美人に覚えて貰えるってのは嬉しいぜ」
「そんな冗談を言う立場ではないでしょう、貴方は」
苦笑を交え、ジュディは言う。
彼女の背後、レイチェルが小さく鳴く。鳴き声を用い、呪文を構築。守りの呪文だ。
「バーンホーンの王子様が何をやってらっしゃるの?」
「王子じゃねぇよ。王位継承権は無くされちまった」
「それでも王家の血筋に連なる人間が、こんな所にいるなんて……ちょっと問題ありよ」
「逃げるさ」
「逃がさないわよ。ゴルティア竜騎士団が此処に来てるわ」
「ゴルティア、ね」
アギは少しだけ考え、口を開いた。
「シルスティンの竜騎士団と繋がって、神聖騎士団を潰そうってしてるのはゴルティアか」
「……」
ジュディは何も言わない。
まるでそアギの質問を聞かなかったように、暫しの後に次の言葉を口にした。
「抵抗はしないで。痛い思いをさせるのは可哀相」
「逃げる。やる事沢山あるんだ」
猫の鳴き声がした。
イシュター。
長毛の猫を、剣を片付けたアギが抱き上げる。
「俺の猫も来たし、もう行く」
アギの背後、ハーブが素早く火竜に乗った。
翼が動く。
アギも動いた。
レイチェルが動く。
呪文。アギの足元が土から泥へと変化する。足に絡みついたそれが動きを封じる。
火竜は既に空中へ。
「アギ様!」
焦るハーブの声に、アギは笑う。
抱いた猫に囁いた。
「イシュター」
猫が鳴いた。
アギの足が地面から抜ける。空中へと、浮かぶ。
既にジュディはレイチェルへと騎竜していた。
追いかけようとした彼女に、火竜が大きく顔を上げた。
ブレスが来る。
紅い色が口元にちらりと覗き――次の瞬間には吐き出される。
その炎が地面まで届かないように吐き出されたものだと分かったのは、アギが既に竜の上に移動してから。
悠々とアギを乗せた飛竜は向きを変える。
飛び立つ。
その姿が、消えた。
文字通り、幻か何かのように、消えた。
「……何?」
流石のジュディも空を見上げたまま、辺りを見回している。
火竜に姿を消すような能力は無い。
「――移動しちゃったねぇ」
間延びした声が聞こえた。
シズハはそちらを見る。
イルノリアが嬉しそうに鳴いた。
「すっかり出遅れましたぁ」
へらへらと笑っているのはヴィーだ。両手で大事そうにアルタットを抱き上げている。
「移動したって、どういう事?」
「イシュターは移動関係の魔法が得意だから。飛竜ぐらいの大きさなら結構な距離まで運べるよー」
「お知り合いなの?」
「猫とね」
「……貴方は、誰?」
ジュディの問い掛けに、ヴィーは軽く首を傾げた。
困ったように笑う。
「シズハの仲間だよ」
「あら、勇者様?」
「そういう事」
ヴィーが顔を上げる。
飛竜の鳴き声が聞こえる。羽音も、聞こえる。
それに混じって人間の声が聞こえた。
困惑の声。
信者たちの声だろうか。
彼らはこの状況は何が起こったか分かっていない。
「シズハ君、勇者様、この近くで大人しくしていてね。私はお仕事があるから」
「はい」
「人殺しの証拠と首謀者を捕まえないと、ね」
「人殺し……?」
「此処の宗教団体の代表者さんたちが、子供を誘拐して殺していた恐れがあるの」
ううん、と首を振る。
「恐れではないわね。確実な話。証人はいるし、ね」
ジュディは竜から降りた。
「レイチェルは此処で良い子にしていて」
金竜は素直に頷いた。
ジュディは片割れの首筋を撫でてから、歩き出した。
ヴィーはゆっくりとした歩調でシズハに歩み寄ってきた。
「何だか久しぶりぃ」
「ご無事でしたか」
「質問。イルノリアへの心配を10とすると、俺たちへの心配は幾つでしたかぁ?」
「………………も、申し訳ありません」
「え、ひょっとしてゼロ以下?」
「そ、それよりは、少し、上」
人差し指で上を示す。
ヴィーは楽しげに笑う。
「まぁ期待してなかったけどねぇ」
「申し訳ありません」
「いいよー、シズハは誰よりもイルノリアが大切なんだから」
アルタットの首筋を撫でる。
「アルタット殿はどうしたのですか」
「体調が悪いみたい。イシュターに苛められて……ちょっとねぇ。イルノリア、癒せる?」
呼びかけに、銀竜が顔を突っ込む。
小さな黒猫の身体に銀の光が降り注ぐ。
しかし、様子は変わらない。
「……イルノリアでは無理なようです」
「イシュターの力だからなぁ。もっと影響出てるのかも」
参ったなぁ、と、ヴィーは呟いた。
「あの猫は、何なのですか?」
「うーん」
ヴィーは空を見上げる。
レイチェルと目が合った。
「そうだなぁ――俺の、同類」
「はい、そうだとは思いました」
「それは分かるよねぇ、やっぱりぃ」
「同類なのに、どうして戦うのですか。突然攻撃してくるなんて」
「まぁそれには色んな事情があってねぇ」
「……事情?」
あのねぇ、と、言った。
「俺たちは、勇者って存在と冥王って存在。そのふたつを殺し合わせる為に存在してるの」
ヴィーの言葉の意味がよく分からなかった。
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