第13話5章・現在、異端宗教編


【5】





 水音。

 天井から垂れる水滴の数を50まで数えて、ヴィーは飽きた。

 部屋の隅の石造りの椅子に腰掛けたまま、膝の上に視線を向ける。

 黒猫が手足を伸ばして眠っていた。

 猫は勿論アルタット。


「……まさかねぇ」


 宥めるように黒の毛を撫でる。


「こんなに脆いとは思ってなかったよ」


 御免ね、アル。

 呟いた。

 黒猫は目だけをこちらに向けて小さく鳴いた。


 先ほどの攻撃。

 猫の身体は意識を失う程度では済まなかった。

 普通の猫よりは丈夫な筈ではあるが、それでも、内部で何らかのダメージがあったのだと推測される。

 アルタットは動けない。

 手当てを望んでも誰もいない。


 此処は地下室。

 入り口には鉄格子。

 誰も来ない。


「せめてイルノリアがいたらなぁ」


 銀竜の姿は牢獄に無かった。

 シズハの姿も無い。

 自分たちを捕らえた人間が何処の所属か分からないが、竜と竜騎士を一緒に置いておく馬鹿者もいないだろう。

 恐らく、シズハとイルノリアは別々の場所にいる。


 が、それが何処か分からない。


 鉄格子を見る。

 アルタットが無事ならばこんな鉄格子ぐらいあっさりと壊せるが、彼はこの調子。

 ヴィーは自分が身に付けているマジックアイテムを思い出す。

 魔法の盾を生み出すマジックアイテムはシズハに貸したまま。その他のマジックアイテムは、たいしたのを持っていない。

 脱出には不向きなのばかりだ。


「――イシュターも酷いなぁ」


 顔を顰め、長毛の猫を思い出す。


「女の子の方がヤル時は酷いって本当だよねぇ」


 アルタットが可哀相過ぎる。

 もしかすると、わざわざアルタットへ向けて力を強めた事も考えられる。

 イシュターは元々、ヴィーに敵対意識を持っていた。

 壊す気だったのかもしれない。


「酷いよ」


 アルタットの身体を撫でる。

 小さな身体は熱っぽい。


「予備なんて無いのにさぁ」


 少しだけ考えて、膝の上のアルタットに顔を寄せる。



「アル」


 アルタットが目を開く。

 鮮やかな緑が弱い。


「入れ替わろう?」


 自分を示す。


「俺と入れ替わろう? アルの身体は何処も壊れちゃいないから」


 アルタットは小さく鳴いて瞳を閉じた。

 否定の声。


「俺なら大丈夫。怪我するの慣れてるし。……ね?」


 アルタットからの答えはない。

 瞳を閉じたまま、薄く口を開いて呼吸をしている。

 

 その口が動く。

 否定の音。


「アルぅ」


 困る。

 否定されては何も出来ない。

 アルタットの身体を撫で続けるだけだ。



 そのヴィーが、ふと、顔を上げる。



 鉄格子の向こう。長毛の猫が四足で立っている。

 ふわふわの尻尾が揺れた。


「……イシュター」


 猫の名を呼ぶ。

 みゃあ、と猫――イシュターが答える。


「何するの」


 怒りの声。


「これは確かに俺の身体だけど、中にはアルタットが入ってるんだよ? 魂は身体に依存する。――そりゃあ一部例外あるけど、身体を壊しちゃ魂も消えるって常識でしょ?」


 イシュターは答えない。

 鉄格子の向こうに座り込む。

 長い尾をくるりと身体に巻いた。


「イシュター、分かってるよね? まだ勇者アルタットは必要なんだよ? こんな短期間で二人も勇者は現れない。だから、アルタットは守らなきゃならない。――ね、分かるでしょ?」


 みゃあ、と、イシュターが鳴く。


 ヴィーは顔を顰めた。


「……どういう意味?」



 腕にアルタットを抱いたまま、ヴィーが立ち上がる。

 鉄格子を挟み、許される限り、イシュターの傍へ。

 ゆっくりと座り込む。

 イシュターはヴィーを見上げ、もう一度、鳴いた。



「勇者は要らない?」




「待って。じゃあ、どうするの? 勇者がいなきゃ――」


 ヴィーは迷うように言葉を続ける。



「誰が冥王を止めるの?」




 イシュターが鳴く。

 笑うような鳴き声。

 高い、猫の鳴き声。



「無理だよ、何を言ってるの、イシュター」



「無理、絶対に無理。そんな無茶な事を――」



 イシュターが高く鳴いた。

 五月蝿い、と、一喝するかのような声。



「っ」


 小さく呻いたヴィーの頬に紅い線。

 すぐに流れるほどの血を溢れさせる。


「アルの身体を傷付けないで。本当に怒るよ、俺も」



 怒りの声を笑うように、今度はヴィーの手の甲に紅い線が走る。


「イシュター!」


 怒鳴る。

 長毛の猫はつんとそっぽを向いた。



「……イシュター、本当に、どうしたの?」



 ゆっくりと、声を出す。



「馬鹿な事を考えるのは止そうよ、無理だって」


 猫がこちらを見る。

 その瞳を見据え、言った。


「俺たちがすべき事はひとつだけ。――冥王が勇者に倒される。その結末を用意する事。出来うる限り、御伽噺に相応しい結末で。より良い役者を探し出して、舞台上に配置するのが俺たちの役目」


 時には不要な役者を排除して、と、ヴィーは思う。

 以前共にいた黒髪の青年。

 あぁ――彼は力が足りなかった。

 少しばかり、少しばかり。


 役者として舞台に上がらなかった。


 僅かに沸いてきた哀しみの感情を押さえ、ヴィーはイシュターに問い掛けた。


「それにもう納得出来ないの? どうして? 今までずっとやってきたじゃないか」



 イシュターが鳴く。

 哀しげな声に、聞こえた。


「……あと、何回? 何度繰り返すって?」


 ヴィーは首を左右に振った。


「分からないよ、俺にも」


 これは――


「可能性の物語。冥王の可能性と勇者の可能性。どちらの可能性が勝つか、その物語。――俺たちは脇役。ううん、裏方。物語の表にしゃしゃり出ても、ただ、物語を混乱させるだけ」


 イシュターが鳴く。


「俺? 今の俺? だってしょうがないよ。こうでもしなきゃ、アルは死んじゃう。勇者の可能性が終わっちゃうよ」


 イシュターは何も答えなかった。

 ただ長い尾を揺らす。


 その姿がもう一度揺れ――現れた時はヴィーの真横に立っていた。


 つん、と鼻面をヴィーに抱かれたアルタットに押し付ける。


 黒猫が目を開いた。

 緑の瞳に少しだけ、光が戻っている。


「……イシュター」


 猫はそっぽを向いた。


「癒してくれたの? 有難う」


 そっぽを向いたままの猫に、ヴィーは言う。


 イシュターの姿は掻き消える。

 再び現れたのは鉄格子の向こう。

 後姿。

 歩き出す。



「イシュター!」


 その後姿に叫ぶ。



「馬鹿な事は止めよう? そんな――」



 消えそうな後姿に、叫び続ける。



「冥王を勝たせるなんて、無理だよ!」



 冥王は世界の敵。人類全ての敵。そう既に人々に知られている。今頃彼が幾らどうやろうとも、それは覆しようが無い。

 冥王を倒し、世界を救った勇者でさえ、人々にはこれほど疎まれているのだ。

 ならば、冥王はもっと人々に負の感情を向けられる。


 その冥王をどうやって勝たせると言うのだ。


 冥王と言う存在。与えられる勝利など――無い。



 あの存在にあるのは、ただ渇望だけだ。



「……イシュター」


 何の返事も返ってこない。

 闇に溶けた後姿にため息を零し、俯いた。

 

 先ほど裂かれた手の甲の傷も消えている。


「イシュター……」


 ため息と同時にその名をもう一度、呼んだ。



 アルタットはその膝の上、瞳を閉じる。

 呼吸が少しだけ穏やかなものになっていた。

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