第10話18章・現在、死竜編。


【18】






「――話はよく分からなかったけど、分かった事にしておく」



 トカゲの長い話を聞いている間、道端の石にミカは足を揃えて腰掛けている。

 肩の上のトカゲに、彼女は紅い瞳を軽く細めた。

 不満げな表情。


「シズハさんが、その竜人だったら何が怖いの? 単純に言えば、先祖がえりでしょ? しかも竜騎士の上位種みたい種族に先祖がえり。カッコいいじゃない? 英雄モノぽくて」


 聞いてなかったのか、と、トカゲは返す。


 竜を従える力なんだ。

 どんな飛竜もあの男に従ってしまう。

 あの男が、己の力を意識したらとんでもない事になる。


「それこそ最高。うー……爪とか牙とか角とかくれるように命令してもらえないかなぁ」


 ミカは指を咥える。


「この前の銀竜ちゃん手に入れそこねちゃったしぃ……。素敵な飛竜のパーツ欲しいなぁ」


 トカゲは呆れたようにミカを見た。


 話を分かってない。


 ミカの髪を引いて意識をこちらに向けさせる。


「痛ぃ! んもう、何?」


 もしも俺の正体に気付いたらどうする。

 それで命令してみろ。

 俺はこの姿を維持していられなくなるんだぞ。


 きっと――気付かれる。


「気付かれてもいいじゃない。そんな、いつまでも隠し通せる訳ないよぉ」


 つん、と、トカゲの頬が突かれる。

 ミカの笑み。


「ねぇ、フォンハード?」


 名を呼ばれ、トカゲは舌をぺろりと出した。

 唇を舐めるように動かし、そのまま戻す。

 緊張した時の癖。


 その名で呼ぶな、とミカに言う。


「どうして? イイ名でしょう? 兄さんが付けてくれた名前でしょー? ――それとも、兄さんみたいにふーちゃんって呼んであげようか?」


 それも止めて欲しい。

 間抜け過ぎる。


 ミカの顔を口元で突き、囁く。


 よく聞け、と話し出す。



 俺は――冥王に仕えた竜騎士の飛竜なんだ。

 それに気付かれてみろ。

 竜人は勇者の仲間なんだ。

 滅ぼされる。



「……死にたくないの? ふーちゃん」



 死竜は既に死を越えている。

 片割れの死さえも、真に絶望しなければ乗り越えられる。

 だが、滅びだけは御免だ。

 滅んでしまっては――叶えられなくなる。


 ミカが笑った。

 紅い瞳を細めて、珍しい、優しい笑顔。


「兄さんの願いを?」


 トカゲは黙った。


 フォンハードと名付けられた死竜。その化身。心臓の変化。

 今も生き続ける、骸のかけら。


「えへへへ」


 にんまり、とミカが笑う。

 マントの裾を払って立ち上がった。


 トカゲを肩から抱き上げ、視線に合わせる。

 小さなトカゲ。両手の中にすっぽり収まり、顔と前足だけがちろりと出ている。


「ふーちゃん可愛いね!」


 トカゲはやはり無言。


「ちゅー!」


 音を立ててキスしてから肩に戻す。

 トカゲ――フォンハードは呆れたように肩の上で伸びている。


「シズハさんの件だけど――そんな心配しなくとも、もう会えないと思うよ」


 少しだけ寂しそうにミカが笑う。


「世界は広いし……三回も会えたのが奇跡だと思う」


 それに、とミカは軽く舌を出した。


「シズハさん見てるとやんちゃしそうになっちゃうんだよねぇ」


 フォンハードの視線。

 んーと、と、曖昧なミカの答え。

 突かれ、促され、ようやく、答える。


「……美味しそう、だよね」


 フォンハードの頭突きが顎に入った。

 ぐわ、と、女性には不釣合いな悲鳴を上げて仰け反る。


「う、うぅ……ふーちゃんひどぃいいいい!!」


 呆れた視線を貰う。


「だ、だってぇ、私は吸血鬼なんだよぉ。美味しそうだって思うぐらいは勝手じゃないぃぃ」


 もう一度頭突き。

 ミカはまたもや悲鳴を上げて、今度は地面に転がった。


 起き上がり、地面の上に座り込んで泣き出す。

 紅い瞳からぼろぼろと涙が零れていた。


「酷いぃぃ、痛いよぉ。――血なんて吸わないもん。そんな怒らなくてもいいじゃない!」


 しばし泣いて、ミカは立ち上がる。

 土に汚れたマントを払いながら、ふくれっつらで口を開いた。



「――で、何の御用ですか?」



 背後。

 肩越しに振り返る。


「私が泣いている時に助けてくれないから、悪い人と判定しちゃいますよ!」


 びし、と指を突きつける。


 誰も居ない。


「……む」


 ミカの眉が寄る。


「あれ、勘違い?」


 首を傾げた。


「変だなぁ……誰か居るような気がしたのに」


 いや――とフォンハードは否定。


 居る、と、答える。


 ミカは瞬き。

 何度も自分の前の空間を見る。

 


 羽音が、響く。


 鳥の羽音。

 それに聞こえたが、だとしたら恐ろしく巨大な翼。


 ミカは自分の足元を見る。

 鳥の翼。

 拾い上げて、金を帯びたような白い翼を日に透かす。


「綺麗」


 綺麗なものか。

 ほら、見ろ。

 化け物がやってくる。


 フォンハードの声に反応してミカは前を見た。

 先ほどまで誰も居なかった場所に、女が一人、立っている。

 ミカと同年代。20代前半と言う年齢だ。

 

 伸ばしたままの金髪と、拘束具のようなレザー製の服を纏った女。

 背には、今は折り畳まれた鳥の翼。

 背後に隠すように構えた腕には巨大な鎌が握られていた。

 死神の鎌。


「うー……その武器、何の合金ですか? 光り方が銀と違う。ミスリル? でもないなぁ、もっと白い……」


 女は端正な顔を顰めた。

 不快の表情。


 フォンハードは思わずため息を付いた。


 ミカ、と呼びかける。


 そこでミカも気付いたようだ。

 女の背後に回りこんで武器をまじまじと見ていた己を恥じるように、妙な声を上げて勢い良く背後に下がり――こけた。


「……うー」


 尻餅を付いたまま女を見上げる。

 女はいつの間にか移動し、ミカの前に立っていた。


「誰ですかぁ。美人のおねーさんでも、私はあんまり興味ありませんよ。そのマニアックな衣装はなかなか素敵だとは思いますが、私はちょっと胸の辺りが自信ないので無理です」


 しょんぼり、と肩を落とす。

 フォンハードはもうどうしていいのか分からない。


「――化け物、じゃない」


 おんなが口を開いた。

 表情に変化は無い。


「仲間、だったのに、酷い。頭まで、トカゲに、なったの?」


 ぽつぽつと女が語る。

 紅く塗られた口から漏れるのは低い声。

 感情の篭らない、軋んだ声だった。


 ミカはフォンハードを見る。


「知り合い?」

「知り合い」


 女が応じる。


「共に――戦った、仲間」


 ミカは女を見た。

 全体を見て、問い掛ける。


「冥王の部下、って事ですか」

「そう」

「残念ですけど、ふーちゃんはもう冥王の部下をやる気は無いですよ」


 笑う。

 女を宥めるように、ゆっくりと、ミカは言う。


「兄さんは冥王がかーなり好きで好きでしょうがなかったみたいですけど……ふーちゃんまで冥王様ファン倶楽部に入会する気はないんですよ」


 ファン倶楽部って。

 思わず突っ込みかけたフォンハードを他所に、ミカの言葉は続く。


「他を、当たってくれます?」

「貴方」

「……へ?」

「貴方」


 ミカは自分の顔を示す。


「私を誘いに?」

「そう」

「うー……」


 しかめっつら。


「冥王に協力したって美味しい事ないじゃないですかぁ。私、正直、あの人がよく分からないんでパスします」

「戦争」


 女の声。


「戦争を、起こす。貴方が望む、戦い、でしょう?」

「……戦争は大賛成ですけどね」


 ミカは頷く。


「ある一定周期、一定規模で戦争があるのなら――武器はもっと発展、発達します。私にとって望むべき事です。いまだ実験でしか扱えてない武器も、対人使用でサンプル数値が取れる望みも出てきます」


 でも、と。


 ミカの瞳。

 幾分細められた、強い、瞳。


「私は武器を扱う人々も結構好きなんですよ。冥王みたいに、何でもかんでも人間滅ぼそうって言うのは、嫌なんです。――殺すのも、殺し合わせるのも結構。結構ですよ。でもね、残してくれなきゃあ、困るんです。全部を滅ぼされちゃあ、商売上がったりなんですよ」


 なんで、とミカは立ち上がりつつ、笑った。


「お仲間の誘いならパスしますー! 他の人当たって下さいね! それじゃあ、お話はこれで! さようなら!!」


 女に背を向けて歩き出す。


「――戦争」


 呟きのような声がまだ聞こえる。

 ミカは呻きつつ、足を止めた。

 酷く嫌そうな顔をして、女を見る。


「戦争を、起こすの。だから――」

「協力出来ないって言ってるじゃないですかぁ。仲間は嫌ですよ」

「武器を、買う」

「………」

「買う」


 ミカは迷う。

 フォンハードはミカの顔を見上げた。


 女が笑う。


「私、一人。冥王様も、居ない」


 紅い、口元。


「何が、出来る?」

「――何が欲しいんですか?」

「滅竜式、弾丸を」


 差し伸べられた、黒いロンググローブに包まれた、女の手。

 細い、頼り無いほど華奢な腕だ。


「緑竜に、使った、あれ」

「……冥王が使ったのよりも威力上がってますよ。でも同時に暴発の危険性を下げる為に周囲の魔力を吸収して己を強化するように魔化してます。なんで、魔力の無い人間が使うと、暴発の危険がありますよ?」

「魔力は、自信、ある」

「……何に、使うんですか」

「竜を、狩る」

「ふーちゃんは殺しちゃ駄目ですよ」


 女はゆるゆると首を左右に振った。


「フォンハードは、仲間」


 ミカの肩の上、フォンハードが軽く舌を出した。

 口元を舐めるではなく、気持ち悪そうに、べぇ、と、舌を出した。



 ミカは手を打ち合わせた。


 左右に広げられた手。

 浮かぶのは、小さなケース。


「滅竜式弾丸17号。――18号以降は威力が弱すぎます。16号は大き過ぎますし……これが手ごろだと」


 女が差し出した手に弾丸が納められたケースが落ちる。


「三発、入っています。お試しは一発。二発目を使う前に代金を払って貰います。――じゃないと、怒っちゃいますよ?」

「今、払う」

「……お試し無しで?」

「邪眼、嫌い」

「……了解しました」


 不死の民の紅い目。

 催眠効果のあるそれは有名だが、視線を合わせただけで掛けられるクラスの不死の民がうろうろしているとは普通は思われないんだろう。

 簡単に今までやってきたのだが、この女は知っていた。


 女が差し出した袋を受け取り、入っている宝石を確認する。

 問題が無いと頷き、袋をマントの中に隠した。


「ボウガンは持ってますか? それ、ボウガンで打ち出すタイプなので」

「だいじょうぶ」


 女は笑う。

 豊かな胸の谷間にケースを抱くように、笑った。


「これで、竜、倒せる」

「……」


 ミカは一歩、下がる。


「じゃあ、私は行きます」

「待って」

「……」


 ――ミカ。

 フォンハードは呼びかける。


 逃げろ。

 すぐに、魔力を使ってでも、全速力で。


「分かってます!」


 女の足元。

 影。

 そこからゆらりと何かが立ち上る。


 黒い――闇。



 ミカは呪文を構成する。

 瞬間移動の呪文。

 長距離。知っている範囲。最大の、遠くへ。


 女の足元、広がる影。

 既にミカの足元まで。

 

 瞳が見えた。

 闇の中、それよりも暗い闇の色。

 両眼。

 紅みを帯びた、闇の両眼。


 前足が闇から出た。

 

 ミカは呪文を中断して背後に逃げた。

 鋭い爪が、ミカの先ほどまで居た場所を叩く。

 影から何かが出てくる。


 黒い――爪。

 漆黒の鱗に覆われた、巨大な前足。


 闇の底から唸る声がする。


「待って、待って、待って」


 女が笑う。

 声が徐々に高くなる。

 ヒステリックな笑い声交じりの言葉。


「待って、見て、遊んで、喰らわれて――この子に」

「嫌ですよぉ!!」


 呪文を再構成。

 必死に、紡ぐ。


 闇の中から出てきた姿。

 闇色の鱗に覆われた、巨大な飛竜――黒竜。

 それを前に嬉しそうに笑う女の姿を最後に。


 ミカの呪文は完成した。






 何処かも分からぬ森の中に出現した。

 先ほどとは場所が違うのに安堵する。


「こ――怖かったぁ」


 腰を抜かしてその場に座り込むミカの肩の上で、フォンハードが周囲を探る。

 

「あの変な竜は居ない? 消えた?」


 大丈夫、とフォンハードが答えるのに、ミカは大きく息を吐いた。


「殺されるかと思ったぁ……」


 フォンハードの頭を撫でた。


「……アレ、何なんですか? 黒い竜なんて……見た事も無い」



 ボルトラック。



「……ボルトラック……?」


 冥王が従えていた、黒竜だ。


 何百、いや、何千の時を生き抜いた、最強の飛竜。



「……そんなに大きくなかったですよ?」


 あれは黒竜の影だ。


「へ?」


 黒竜の影は人の影に潜む。

 本体から切り離した影を、護衛として部下に貸し与えていた。


「……影であの迫力って……本体って」


 お前の想像の通りだ。

 正直、俺も、怖い。


「ふーちゃんも?」


 お前の兄も恐れていた。

 冥王の存在には心底惚れていたが、あの黒竜だけは恐ろしかった。

 ボルトラックは冥王の破壊衝動そのものだ。

 冥王の意志に従い、好きに喰らい、壊し、倒し、殺す。それだけの存在だ。


 その黒竜を、冥王は犬か猫のように扱っていたが。


「……う、うう」


 ミカは呻きながら頭を抱える。

 本気で涙目。


「に、逃げられて良かったぁ……怖かったよぉ。出来るなら二度と会いませんように!!」


 フォンハードもそれを願うばかりだ。



 恐らくは叶わないと思うが。



 冥王は既に復活している。



 争いが起きるだろう。

 大きな争いだ。

 この争いで、人は生き残る事が出来るだろうか。


 冥王に、勝てるのだろうか。




「ところで、ふーちゃん、此処はどこだろう……」


 見渡す限りの緑の森で、ミカが泣きべそになっている。

 まずはこの場所を調べ、抜け出すのが先決のようだ。


 フォンハードはげんなりと考えた。


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