第10話19章・現在、死竜編。
【19】
――ゴルティア王城、竜騎士団本部。
机の上に置かれた書類を見、ゼチーアは顔を上げた。
目前、笑顔で立っているシヴァを見る。
「――調べて来ました」
「ご苦労」
書類を手に取る。
一頁目を捲りながら、ゼチーアは口を開く。
「シルスティンの様子はどうだ?」
「なんとなくですが……緊張してますね。王城の緊張感が城下まで伝わってきてます」
ゼチーアは短く頷く。
「神聖騎士団か? それとも跡継ぎ問題か?」
「両方だと思いますよ。――跡継ぎが出来損ないだから、神聖騎士団が女王亡き後は国を牛耳ろうとしてるって言う話が」
噂ですけど、とシヴァは少し笑う。
その顔を書類越しに見上げた。
シヴァが齎す情報はただの噂だ。
だが、噂は多くの真実を含む。
「神聖騎士団……現段階でもかなりの権力持っちゃってますねぇ。少なくとも竜騎士団の権限、殆ど奪ってるみたいな気がします」
「だろうな」
二頁目を見る。
「元々神聖騎士団は竜騎士団を潰したがっている。国のシンボルとしても不十分だと思っているようだ」
「そう言って、魔物が出てくると竜騎士団を突っ込ませているみたいですけど」
「倒して来い、と命令口調だそうだ」
「偉そうに。――神様ってそんなに偉いんですか?」
「さぁな。私は宗教家ではない。神に興味は無い」
お前は? と、ゼチーアは問う。
シヴァは軽く肩を竦めた。
「人間には到底敵わない、大きな力の存在は認めますが――それが神かどうかは分かりません。僕は神様に会った事もありませんし」
「普通の人間はそうだろう」
苦笑。
書類を読み終え、机に戻す。
「シルスティンの竜騎士団団長はバートラム殿。……彼は元は神聖騎士団の人間だ。神聖騎士団には甘い。万が一の事があれば、神聖騎士団側に付くだろう」
「副団長の……ええと」
「ラインハルト殿」
「そう、あの雷竜乗りのおじいさんが居る限りは大丈夫だと思いますけどね」
「10年は持たない」
「……かもしれませんね」
シヴァは軽く首を傾げた。
「ゼチーアさんはシルスティンの竜騎士団を潰したくないのですか?」
「うちの人の騎士団が神聖騎士団と仲が良い」
「……手を結ばれると厄介、と」
「そういう事だ」
ゼチーアは机に頬杖。
瞳を軽く閉じ、笑う。
「フォビア殿はゴルティアの竜騎士団も邪魔だと思われているようだしな」
人の騎士団長の名前を出す。
シヴァは軽くため息を付いた。
「なんでこうも人間は竜騎士が嫌いなんでしょうねぇ」
「竜騎士の方が優れているからだ、と言うがな。よく分からん」
「……竜騎士の方が、人間よりも身体能力が優れている、って話の事を言ってます?」
「そうだ」
「どうなんでしょうねぇ……僕はよく分かりません。数値で表せるものでもないし……それで目くじら立てる事は無いと思うんですけどね」
「今度フォビア殿に会ったら言っておいてくれ」
「あの怖い顔を見て竦まなきゃあ言っておきますね」
シヴァの物言いに笑いが出た。
魔除けの置物のようにいかつい髭面男を前にしたって、このシヴァが竦むとは思えない。
「――で、ゼチーアさん」
シヴァが微かに声を潜める。
「神聖騎士団を崩すのは、出来そうですか?」
「内部の人間が妙な事に手を染めている。――そこから突けば、何とかなるだろう」
書類を手に持ち、笑う。
「異端宗教とはな。――ナンバー2がやる事とは到底思えない」
「かなり入れ込んでるみたいですよ。シルスティンの国教放置で、その新興宗教に寄付しているとか」
「情けない」
シヴァが笑う。
人懐こい、常の笑み。
「子供を奴隷商人から買って何かしちゃってるような宗教みたいですからねぇ。これは大陸法的にも罰される。――大ごとになりますよ」
「有り難い事だ」
「神聖騎士団の地位が落ちてくれれば、それでいい、と」
「あぁ」
せいぜい大ごとにしてやろう。
「あれれ、ゼチーアさん、そういう笑顔をすると凄い悪役みたいですよ」
「悪役だろう? 神聖騎士団殿にとっては」
「ですよねぇ」
シヴァを見て、笑う。
「死竜討伐も成功。現段階で大きな憂いは無い。――全力で異端宗教の壊滅に掛かれる」
「あーぁ、嬉しそうな悪役の笑み」
普段通りの人懐こい笑みのシヴァがそう言った時、ノックの音。
ほぼ同時に扉が開いた。
顔を出したのは、ルークスだ。
ゼチーアは軽く額に手を当てる。
「返事を待ってから部屋に入るように」
「は、はい!!」
裏返った声で返事をし、ルークスが慌てて廊下へと戻った。
シヴァは目を丸くしてルークスを見ている。
「……何してるんですか、ルークス。手に書類一杯持ってますが」
「規律違反により三ヶ月の謹慎だ」
「……謹慎内容は?」
「事務官扱い」
「……って事はゼチーアさんの下で働くんですか?」
「私は事務官ではないぞ」
「事務官みたいなものですけどねー」
ノックの音。
ゼチーアはひとつ息を吐き、言った。
「入れ」
「はい!!」
ルークスが返事をし、入ってきた。
小柄な――伸び盛りの年齢だ、もう少し、大きくなるだろうけど――身体を精一杯伸ばし、声を出す。
「確認して頂きたい書類をお持ちしました!」
「あぁ」
机の空間を示す。
空いた手で、シヴァが持ってきた書類を机の引き出しに滑り込ませながら、ゼチーアは口を開いた。
「此処に置いてくれ」
「はい!」
いちいち緊張した声だ。
シヴァが面白いものを見るような顔で見ている。
ふらふらとよろめきながらも指定の場所に書類の山をひとつ築き上げた。
ゼチーアは一番上に乗った書類の文字に目を止め、手にとった。
「……これはこちらの管轄ではないな」
「え?」
書類を運び終えて安堵の息を吐いている所にゼチーアの一言。ルークスは改めて背筋を伸ばし、自分がミスをしたのではないかと不安そうな顔をしている。
「他国の竜騎士がゴルティアに入る際の許可申請書類だ。――竜騎士団ではなく、王宮の事務官に行くべき書類だな」
目を通す。
「ふん。飛竜の文字があったからこちらに回してきたのだろうが……よく見て欲しいものだ」
ルークスに差し出す。
「向こうの事務官に置いてきてくれ」
「はい!」
両手で書類を受け取り、ルークスは敬礼。
「では、行って参ります!」
「あぁ」
ルークスが最後まで緊張した顔で部屋から出て行くのを、シヴァは爆笑を堪えつつ見送る。
「いやぁ……初々しいですねー」
「何であんなに緊張しているか分からん」
「ゼチーアさんが怖いんじゃないですか?」
「私が? 何故?」
「…………うーん、まぁいいです」
その曖昧な言い方を突っ込みたかったが、シヴァが「それじゃあ」と笑ったので言葉を止める。
「僕はこの辺で。一度家に帰ります。何かあったら遠慮なく呼び出して下さい」
「あぁ」
シヴァの砕けた敬礼を見送る。
「――あ」
ドアの所で立ち止まり、振り返る。
「そう言えば、団長の所で団長の息子さんと勇者に会いましたよ」
「……知っている」
死竜討伐の報告書が届いている。
本格的なものは後日届くようだが、簡単に話が纏められたこれでも十分に内容は伝わった。
勇者アルタットが死竜を倒したのだ、と。
「……頭が痛い」
ゼチーアは思わず頭を抱える。
本当に頭が痛くなってくる。
勇者の手を借りたなど……フォビアに何を言われるのか。
早く田舎に帰りたい。
呟いた。
「勇者……何だかちょっと変わった人でしたね」
「……」
興味を持つ。
「お前は、どう見た?」
「勇者って言うからには、見ただけで分かるようなカリスマばりばりな人だと思ってたんですよね」
シヴァは腕を組んで天井を見上げる。
「無精ひげの……猫背のお兄さんでした。……何て言うか……勇者って雰囲気の人では、無かったです。姿勢も悪いし、体重の移動もイマイチで……剣を使って戦う人の動きじゃないですよ」
「………」
ゼチーアは目を閉じた。
考え込む表情。
「……調べますか?」
「いや……いい」
瞳を開く。
「勇者には近付くな」
「下手に関わらない方が良い、って考えですね。分かりました」
シヴァは微かに笑った。
「でも、団長の息子さんが無事だって確認出来て良かったじゃないですか。――街道沿いで見つかった屍体、特徴一緒だったんでしょう?」
「そうだがな……」
ゼチーアは不要になったと同時に破棄した書類を思い出す。
シルスティン領内の街道沿いで、若い男性の変死体が発見された。
数日間、監禁、暴行――いや、拷問された形跡が残るその屍体は、屍体を見慣れたものでも吐き気を催すほど酷い有様だった。
拷問を続ける為に、傷を手当した形跡さえ残っているその屍体。
ほぼ全裸で発見された為にいまだ何処の誰かも分からないが、身体的特徴は、成人男性としては少々小柄な黒髪の若い男。
顔面は完全に破壊され、その他の特徴は何も確認出来ない為、黒髪で若い男性の行方不明者の情報があれば報告求む、と書類は結んでいた。
「――裏の世界の私刑ですかねぇ」
書類の文章を見たシヴァだが、思ったより平然とした顔をしている。
ゼチーアは正直、気持ち悪い。具体的に失った指の箇所だの、何を用いて身体を傷付けられたかの推測が混じる書類など、悪趣味極まりない。
「分からん。――が、テオドール様の息子が無事ならば、少なくとも私たちの知り合いではないだろう」
「そうですねぇ」
では、今度こそ。
シヴァが笑ってもう一度敬礼。
そして、言葉通りに今度こそ、部屋から出て行く。
ゼチーアは部屋の中に一人残されて、考える。
勇者。
いまだその存在がよく分からない。
利用出来るものならば利用すべきなのだろうが……心の何処かで近寄るなと何かが知らせる。
不安に、近い。
己の勘に従うべきか。
手に持っていたペンの軸。磨かれたそこに自分の顔が映っている。
酷く湾曲しているものの、自分自身と目が合う。
どうすべきか?
「………」
迷う。
「――ただいま戻りました!!!」
ノックもなしに開いた扉に椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。
「の――ノックぐらいしろ、ルークス!!」
「す、スイマセン!!!!」
慌てて廊下へ逃げるルークスの姿を見ながら、行儀作法から徹底的に教え込まなければならないのかと、頭を抱えたくなった。
「あぁ、もう!」
やるべき事は幾らでもある。
勇者の事など本当は考えたくない。
考えたくない、のに。
だが――きっとこの大陸に生きている以上、勇者の事は常に頭にある羽目になる。
きっと、きっと。
何故かそれを確信した。
しかし、まぁ、まず。
扉をノックする遠慮がちな音に、ゼチーアはため息混じりに口を開く。
「入れ」
恐る恐る顔を覗かせた少年を見つつ、まずはこいつの行儀作法の指導だと、胃が痛くなりつつ、考えた。
終
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