第8話 シルスティンにて、現在
第8話1章・シルスティンにて、現在。
【1】
一千年の昔、一匹の銀竜が居たと言う。
銀竜の名はシルスティン。
小さな王国の美しい姫君。彼女の片割れとして、姫君が哀しい恋の果てに死を選ぶまで、その傍で生きた、もっとも美しい飛竜。
美しい姫君の恋物語はいまだに人々の涙を誘い、そして美しい銀竜の名は、姫君が愛した国の名前となって残っている。
身体を冷やさぬ、銀の雪が降る平原。
その向こう。山頂半ばに築かれた、小さな王国。
そして、この物語は、小さな王国――シルスティンの竜騎士団竜舎から始まる――
【2】
「――ガドルアぁ」
シルスティン竜舎。
一匹の火竜が蹲っている。
その前に居るのは、20代前半の青年。砂漠の民だと言うのが一目で分かる褐色の肌の青年だ。
彼は呆れた顔で、蹲る火竜を見ている。
寝藁の中に蹲ってる火竜は上目遣いに青年を見上げた。
己の片割れ――バダ。
命よりも大切な存在。魂そのもの。
だけど――こればかりは、どうしようもない。
「ガドルア、いい加減に元気出せよ」
バダの声に瞳を伏せる。
顔を曲げて丸くなる。
「そんなイジケんなって」
どん、と、身体に重み。
バダがこちらの身体に寄り掛かったのだ。
慣れた重み。安心出来る暖かさ。
しかし、それが心に響かない。
ぽっかりと、心に空白。
「……なぁ、ガドルア」
バダが言う。
「失恋したからってそんなにへこむなよ」
五月蝿い。本気の恋も失恋もした事ないくせに。
「大体、最初から銀竜ってのが無理なんだよ。銀竜は金竜の嫁さんになるだろ。なんつーか、平民が貴族のお嬢さんに惚れたみたいなもんだ。最初から身分違いなんだよ」
貴族のお嬢さんなどではない。
例えるならもっと上。
例えるならば――小さな姫君。
彼女の美しさはそれほどだ。
最初見た時、何処のお姫様かと思った。
小柄な銀色の身体。
綺麗な、銀色の飛竜。
綺麗な銀竜。
イルノリア。
「諦めろって。そんなに嫁さん欲しいなら、俺が気のいい水竜のメスでも探してやるから」
水竜は湿っぽいから嫌い。
「なんだ? じゃあ、同じ火竜がいいか?」
火竜はメスの方が強いから嫌。
「……フェイント掛けて金竜」
あんな高慢ちきな派手好きなメスを嫁にしたら末恐ろしい。
バダは大げさにため息を付いた。
「我侭だなぁ、お前も」
我侭など言ってない。
イルノリアを思っているだけだ。
まだ他のメスを考えられないだけだ。
もう少しぐらい、彼女を思わせて欲しい。
イルノリアはつい先日、片割れであるシズハと共にシルスティンを去ってしまった。
その日以来、ガドルアはこうやって丸くなっている。
また会えるだろうか。
難しい話だと思う。
一度竜騎士団を辞めた人間は、滅多に戻ってこない。
何処かで偶然、と言うのも難しいだろう。
それにガドルアが動くのは、この城と戦場の行き来ぐらいだ。
戦場でイルノリアと出会うなんて――もしも敵同士だとしたら。
ぞっとする。
生まれて初めて戦いたくないと思った。
軽く目を閉じる。
イルノリアと出会った時を思い出す。
三年前が、最初の出会いだ。
彼女の片割れが正式に竜騎士団に入った直後。
見習い騎士の間は、騎士団の竜舎に飛竜を預けないのが慣わしだし。
思い出す。
イルノリア。
綺麗な銀竜。
まだ小さい……と言うよりも幼い。人を背に乗せるのもようやくなほどの幼さ。
それでも彼女の美しさは既に誰もが認めるものだ。
ガドルアは一目で心奪われた。
奪われた、が。
どうしたらよいものか。
早速彼女に目を付けた金竜のテレンスが近寄って、本気で嫌がられていた。
どうやら他の飛竜が苦手なようだ。
下手に近寄ったらこちらも嫌われる。
それどころか、近付けない。
目が合いそうになると逸らした。
どうしたらよいのだ。
求愛行動はどうするのだ。
獲物を捧げる? 他の飛竜でも狩ってくればいいのか? まさか。絶対に嫌われる。
話しかける?
絶対に無理だ! 言葉の代わりに炎を吐いてしまいそうになる。
竜舎によく来るようになったイルノリアの片割れは、育ちの良さそうな若い男だった。
この男に媚を売るのもひとつの手だ。
片割れに気に入ってもらえば、イルノリアに近付く機会も増える。
しかし、ガドルアはそんな器用な竜ではない。
考える間、思わず、ずっと睨み付けた。
男は不思議そうな顔でガドルアを見ていた。
「――ガドルア、腹でも痛いのか?」
その日の夜にバダからそんな質問でもされた。
「あの新入りが、お前の事を妙な顔してるって言ってんだよ。どうした? 歯に骨でも引っかかったか」
見せてみろ、の言葉に無言の否定。
バダはガドルアの顔を見る。
「……どうしたんだよ?」
ガドルアは少しだけイルノリアを見る。
同じ竜舎。
小さな身体を更に小さくして、彼女は蹲っている。
己の片割れが来るのを待っているのだろう。
「……まさか」
イルノリアを見た視線を理解し、バダは小さく呟いた。
こちらの耳に口を近付け、囁く。
「……惚れたのか?」
流石片割れ! これだけで通じるとは。
「やめとけ、ガドルア。相手は銀竜だ。銀竜のメスってのは大体金竜のオスとカップルになる。しかも、銀竜は数少ないだろ? もう婚約者みたいなの居るに決まってるぜ」
でも。
「………」
顔を上げる。
バダを見る。
でも、諦めきれない。
願う。
「……っーぁ、あぁ、もう!」
バダが訳の分からない声を上げ、髪をぐしゃぐしゃと両手でかき混ぜた。
「分かった! 分かった! もうこうなりゃあ手伝ってやる。そうだな、俺の片割れのお前の頼みだ。これを聞いてやらなきゃあ男が廃る」
バダ!
「現金なヤツだなぁ。そんな喜ぶな! 舐めなくていいから! ほら!!」
ガドルアの喜びの表現にバダが笑う。
太い首をぽんぽんと叩きながら、よし、とバダが呟いた。
「まずは作戦だ」
作戦。
何だかカッコいい。
「……よし」
真剣な顔のバダ。
「将を射んとすればまず馬を、って言うよな。いや、この場合は逆か? 馬を……いや、まぁ、何でもいいや! そういう事だ」
難しい言葉を言っている。
よく分からないが――頼りにしていよう。
小さく金属の声。
イルノリアの声だ。
蹲っていた身体を起こし、竜舎の入り口へ向かって声を上げる。
イルノリアの片割れが入ってきた。
真っ直ぐに彼女の場所へと向かう。
バダに気付き、軽く頭を下げた。
それでも足を止めず、片割れの元へ。
「――イルノリア」
優しく呼ぶ声がした。
よし、とバダが三度、呟く。
身体を起こす。
イルノリアの場所へ。
いや、目的は、その片割れだ。
「よぉ」
「……?」
イルノリアの細い首を抱いたまま、その片割れが顔を上げる。
何故バダに話しかけられたか分かっていないらしい。
「さっきはどうもな」
「あぁ。あの火竜は、大丈夫ですか?」
「ガドルア。あぁ、大した事は無かった。なに、すぐ元気になる」
「それは良かったです」
静かに男が笑う。
その笑みが少し緊張している。
「ええと――」
「バダ。お前は……し?」
「シズハです。この子は――」
「イルノリア」
「どうして、名前を?」
「綺麗な飛竜だからな。有名だぜ」
シズハが笑った。
緊張の笑みではなく、嬉しそうに。
イルノリアの顔に、顔を寄せる。
「綺麗だって。良かったな、イルノリア」
嬉しそうに顔を摺り寄せるイルノリアは本当に可愛らしい。
こそこそと横目で見る。
情けないが、堂々と見られない。
照れてしまう。
「あの――バダさん」
「バダでいい。さん付けなんて落ちつかねぇよ」
「では、バダ」
少し照れ臭そうに、呼び捨て。
イルノリアの首から手を離し、向き直る。
軽く頭を下げた。
「これからどうぞ宜しくお願い致します」
「そんな改めて頭下げんなよ」
バダは笑ってシズハの肩を叩いた。
「竜に乗っている以上は俺たちは兄弟みたいなもんだって。頼まれなくとも面倒見るし、宜しくするのが当たり前だ」
「はい」
シズハが笑う。
何となく不思議な笑み。
戸惑うような、嬉しそうな。
いまだ肩に置かれたバダの手を少し、見て。
「有難うございます」
「ん? ん、いや、気にすんなよ。これから長い付き合いになるしな」
肩から手を離し、笑う。
「今度、飲みに行こうぜ」
「すいません、俺はまだ未成年で」
「あれ? 幾つだっけ?」
「16歳です」
「ああ、じゃあ二年はお預けか。――まぁ、いい。メシの美味い場所に連れてってやるよ」
「有難うございます!」
バダはちらりとガドルアを見た。
軽く、目を閉じる。
これが作戦か。
そうか、片割れから落とすと言う作戦だ。
流石バダ。
バダはあと幾つか会話をして、どうやら約束を取り付けたようだ。
最後にイルノリアの頭を撫でた。
羨ましい。
イルノリアはきょとんとした顔でバダを見上げる。
可愛らしい顔。
バダにも十分伝わる可愛らしさだったらしい。思わず顔がほころぶ。
「本当……綺麗な銀竜だな」
「俺の宝物です」
「ま、どの竜騎士もそうだけどな。――でも、これだけ綺麗な銀竜なら、騎士団の宝物にもなりそうだ」
むしろお姫様か。
シズハが笑う。
イルノリアを見る。
「お姫様だって、イルノリア。そんなに綺麗だと言って貰えて嬉しいな?」
「お世辞じゃねぇぞ。うちの火竜もさっきからイルノリアの事を褒めっぱなしなんだぞ」
「そうですか」
顔をこちらに向け、シズハが笑う。
「有難う、ガドルア」
イルノリアも小首を傾げてこちらを見ている。
炎を吐いてしまうかと思った。
慌てて俯く。
「悪ィ、照れ屋でさ」
「珍しいですね。照れ屋な火竜なんて」
「色んな飛竜が居るんだよ」
「勉強になります」
それからバダはガドルアに軽く手を振って竜舎を去った。
そのすぐ後。
シズハが、ガドルアの前にやってきた。
「触れても、いいか?」
問い掛け。
右手の指が、ガドルアに向かって伸ばされている。
さっきまでイルノリアに触れていた手。
それもあるが、何故か、この男の手に触れてもらいたいと思った。
瞳を閉じる事で敵意が無いのを伝える。
息を吐くように「有難う」とシズハが呟き、ガドルアの顔の横を、静かな手つきで指が触れた。
「――お前も、バダも、優しいな」
有難う、と、再度。
「俺も、騎士団の皆と巧くやっていけるように頑張るから、ガドルアも、イルノリアと仲良くしてやって欲しい」
頼まれなくとも!
瞳を上げて答える。
シズハが笑う。
「本当に優しい火竜だな」
何だかとっても嬉しそうな声だった。
それから。
バダとシズハはとても仲良くなった。
シズハの言葉から少しずつ敬語が抜けて、表情からも緊張が取れて。
バダはどうやらシズハを気に入ったようだ。
「面白ェヤツ」と言う評価は最高の褒め言葉。
シズハの周囲の空気は少しだけ違う。
何となく、周りがシズハに向けて……嫌な空気を向けている。
ガドルアは落ち着かない。
敵意は攻撃と一緒に加えられるもの。戦いのはじまり。だけどこの敵意は何の痛みも齎さない。
第一、敵が見えない。
敵が見えるのならばシズハの敵を食い殺してもいい。
バダもそちらの方が喜ぶだろう。
バダに言うのなら、ゆっくりと彼は笑った。
酷く複雑な顔だった。
ガドルアの頭を撫でながら、その不思議な笑みで、言う。
「人間は難しいんだよ、ガドルア」
嫌になっちまうなぁ、と、やはり不思議な笑顔で続けた。
バダとガドルア、シズハとイルノリア。
皆で遠乗りに行った。
冷たくない雪が降る平原。
緑の草の上にふわふわと、魔法の雪が降る。
バダとシズハは少し向こう、何か話し込んでいる。
イルノリアはガドルアのすぐ横で地面に伸びて、魔法の雪の中、咲く花を見ていた。
ガドルアはそれを見ていた。
魔法の雪がイルノリアの銀の身体に降っている。
きらきら、と。
当たり前の定位置の様に。
きらきら、と。
降り落ちる。
ガドルアはそれを見ていた。
イルノリアはただ、花の向こう、己の片割れを見ていた。
それを見ているだけで、ガドルアは、酷く、嬉しかった。
共に出陣し、イルノリアが居る後方を守る為に戦うのも嬉しかった。
傷付いた身体を癒してもらうのも嬉しかった。
酔っ払ったバダとシズハが、よく分からない話で盛り上がり、竜舎の中でも話し込んでいるのを聞くのが嬉しかった。
イルノリアもよく分かっていないらしく、シズハの服を引いて話の意味を強請る仕草を見るのも嬉しかった。
時たま、シズハが撫でてくれるのが嬉しかった。
シズハの声で褒めてもらうのも嬉しかった。
そして、何よりも。
イルノリアを見ているのが嬉しかった。
綺麗な銀竜。
小さな姫君。
愛しいと思うのさえ照れ臭い。
見ているだけで、嬉しかった。
そのすべてが、あっさりと、無くなった。
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