青春の群像(第2部)
青春の群像(第2部)50 真一が僕もボトルをいれるよと言うと、ママがいいのよと言うので、あんまりご馳走してもらうと後半戦の明治戦で手心を加えなくてはいけないので、ちゃんと払います
青春の群像(第2部)50 真一が僕もボトルをいれるよと言うと、ママがいいのよと言うので、あんまりご馳走してもらうと後半戦の明治戦で手心を加えなくてはいけないので、ちゃんと払います
青春の群像(第2部)50
真一が僕もボトルをいれるよと言うと、ママがいいのよと言うので、あんまりご馳走してもらうと後半戦の明治戦で手心を加えなくてはいけないので、ちゃんと払いますよ、新宿のクラブ、
でバイトしているので大丈夫ですと言うと、美智子がありがとうスーパーニッカでいいと言うので、うんと答えると棚から取り出して水割りを造ったのです、これで目的は達成したから、
次ぎのお客さんの所へと言うと、
読まれたかと笑つて忍ちゃんお願いと、別の客の前に行ったのです、忍が前に来て私ものんでいいと聞くので、いいよと答えると水割りを作り乾杯したのです、ママが高橋の前に来て私で、
暫く我慢してと言うと、ママがついてくれれば大歓迎だと乾杯したのです、ドアが開き3人づれが入ってきたので、ママがほんとうに千客万来だわと笑ったのです、ママにそれでは僕は引、
あげるよと言うと、
いいのよゆっくりしてと言うので、いや帰るよと勘定を頼み、清算して席を立ち外にでるとママと忍が見送って、気を使わせてごめんなさいと言うので、いいんですよと手を振って商店街、
の方へあるいて行ったのです、アパートに戻り、まだ銭湯は空いているので道具をもって風呂に行ったのです、ゆつくり銭湯につかりあがるとコーヒー牛乳を飲んでアパートに帰ったの、
です、
4月が終り5月に入ると岬の店の口開きです、岬がフロアマネエジャーを真一君がやってと言うので承知したのです、ボックスが10席とカウンターに10人は座れます、8時半になると同伴の、
客がはいて来て大盛況です、岬にママ良かったですねと言うと、ホッとしたわと笑っています、美香ママが院長をつれ来たのでボックスに案内すると、大盛況ではないかと言うので、岬が、
ほっとしているんですよと笑うと、
ブランデーのレミーマルタンをと言うので、栓を抜き乾杯したのです、スタッフが真一に耳打ちするので、失礼しますと立ちあがり入り口に行くと、お爺ちゃんが中々いい店ではないのと、
言うのでボックスに案内すると、岬がさつそくのおこしありがとう御座いますと言うと、1人は銀座ののホテルの池中社長でもう1人は外務省のアジア局長の名刺を出して久保ですと言、
ったのです、
女の子3人を席につけて挨拶させると、まずはビールと言うので、みんなで乾杯したのです、真一も席に座るようにお爺ちゃんが言うので座ると、久保が君が真一君か活躍は聞いているよ、
と言うので、今後とも宜しくお願いしますと言うと、外国の人も大丈夫かねと聞くので、英語を喋るホステスもいます、今局長の隣に座っている、リンさんは英語ができますよと言うと、
局長が英語で喋ると、
流暢に答えたのです、日本語でなるほどこれならここに要人をつれてきてもいいなと言って、リンはどちらのハーフだねと聞くのでお父さんが日本人でお母さんはイギリス人ですと答えた、
のです、お爺ちゃんが真一君も喋れるようにならなくてはと言うので、勉強しますと言うと、先生から君が苦手なのは外国語だと聞いているよ、美樹ちゃんに習いなさいと笑ったのです、
お爺ちゃんがママはと聞くと、流暢な英語で会話をして、2人でやり取りしていましたが、ほう、大したもんだと言うと外資系の会社でOLをやっいたですと言ったのです、池中が僕の、
ホテルも外人が沢山泊るので、ここを紹介しょうと言うと、岬がありがとう御座います、でも皆さんも遊びに来てくださいと言うと、お爺ちゃんが中々の美人の女の子を集めたではない、
のと言ったのです、
お爺ちゃんにすみませんと言うと、立ち上がりカウンターの済みに行き、美香と岬の事情を話すと、わかった警視庁に知り合いがいるので調べてもらおう、新しい人助けだねと言うので、
その件で一時間くらい席をはずします、楽しんでくださいと言うと、わかった、二人とも気にいったみたいだから心配しなくていいぞと言ったのです、店長に1時間位抜けるけどいいかと、
聞くと落着いたからいいよと言うので、
黒服を着替て店を出て、塚田のくれた名刺の店に行ったのです、入口でこんな格好なんですが、村上真一といいますと言うと、スタツフがママを呼び、やっと来てくれましたね塚田か、
ら聞いていますと、奥のボックスに案内したのです、席に座るとシャンパンを頼み、グラスに注ぐので乾杯したのです、成るほど塚田が気にいるはずだわというので、塚田さんとはと聞、
くと、
私の旦那ですよと笑ったのです、紙袋を渡してこれが調べた結果だそうですと言うので、開けると、調書みたいなものがはいています、呼んでいいですかと聞くと、ええと言うので読むと、
昭和18年5月10日博多区天神2ー1でひき逃げ事故が発生、病院に搬送されたが二時間後に死亡した、深夜なので目撃者はなく自宅前で車を降りた後に事故にあったらしいと書いてあり、
被害者は博多税関の職員であり、
酔って道路に出たところを車に轢かれ、轢いた車はそのまま逃走したと書いてあります、福岡市内の整備工場を調べたが近辺で修理した形跡はなく、身体に付着していた塗料から黒塗り、
の乗用車の可能性が高いと書いてあったのです、事故として処理されている調書です、袋にしまい税関の職員と言う事は密輸がかかわっているかもしれないが、当時は戦況が悪くなった、
時代で、
やくざが密輸なんてできないだろう、軍がからんでいたとしか思えないと思ったのです、ママが何かてがかりがと聞くので、いや、単なるひき逃げ事故として処理してありますと言うと、
昭和18年には私も博多に住んでいましたが、まだ敗戦のかげりもなかったですよ、博多港には上海からの船も航行していましたね、その時に対抗していた組は神流会と言う組織で、中国、
人や朝鮮人を沢山国内につれて来ていたそうです、
あとで聞いた話ですが強制連行で連れて来て男は飯塚の炭鉱で、女性はで飯塚の女郎屋に働かせていたそうです、麻薬を打っていたのかもしれません八坂組のあの人と出会ったのは戦後、
私が料理屋で仲居をしている時に合ったんですよ、あの人は特攻隊員で生き残ったことを恥じていまして、当時朝鮮人や米軍の兵士が女とみると暴行する事件が多発しましたが、警察、
は無力だったんですよ、
私も米兵に強姦されそうになった時に助けてくれたのです、それで塚田は八坂組に入ったと言わけですと話したのです、そうですか戦争に負けると言う事は悲惨な事なんですねと言うと、
博多でも孤児沢山生まれたのですよ、八坂組が睨みをきかせていたお陰で、博多は少しは治安を保っていたわけです、その後も神流会はあこぎなシノギをやり、ヒロボンなどが博多に、
蔓延させた事もあったのですと話したのです、
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