第28話

 ラガルティハは苦渋の表情で、急速に鱗が侵食していく自分の腕を撫でる。


「なにを?」


 険しい顔つきで睨みつけてくる。

 視線から目を逸らさず、ただ答えた。


「分かるだろう? こんなことはギフトでしかできない」

「ギフト? あなたのギフトはすでに推測できています。仲間のデメリットを弱める、もしくは打ち消すといった類のものでしょう。こんな効果はあり得ない・・・・・


 その通りだ。俺のギフトは、味方のデメリットを打ち消す。……しかし、それだけではない。

 笑みを浮かべ、両手を開く。


「対象のデメリットを倍増させる。それが俺のギフトの、もう一つの力だ。……分かったらリザードたちを止めろ」


 ラガルティハは鱗に爪を立て、剥がれそうなほどに力を籠めている。

 あり得ない、ということは簡単だ。だが現実に起きている以上、認めるしかない。

 そんな状況にありながらも、ラガルティハは言った。


「どんなことがあっても止めません。私がリザード化したとしても、計画は達成されますからね」


 ……こう言うであろうと想像はしていた。覚悟していなければ、己が身を犠牲にするような作戦を立てるはずがない。

 なら、力づくでラガルティハを止めるしかない。しかし、それは俺だけの力では到底無理だ。時間を稼ぐ必要がある。


 惑ってくれ。

 時間を稼ぎたい俺は、それを隠しながら会話を続ける。

 早く終わらせたいが、俺一人で打開することはできない。だからこそ、時間を稼がなければならない。

 矛盾していると思いながらも、時間を稼ぐ方法を考える。

 しかし、ふと気付いたようにラガルティハが笑みを浮かべた。


「ふふっ、ふふふっ。そう、そうですね。こういったギフトがある。認めましょう」

「なら敗北も認めろ。大人しく投降したほうがいいはずだ。分かっているだろ?」


 ラガルティハの笑みが深まる。

 気付かれたのか? と唾を飲み込んだ。


「投降? 冗談でしょう。……これほどまでに強いギフト、そのデメリットが小さいはずがない。一分ですか? それとも三十秒? 長く保つはずがない!」

「……」


 答えず、無言で通す。

 それを肯定ととったのか、ラガルティハはその時が来るのを待ち続けていた。

 デメリットで俺は無力化する。それから殺せばいい。どうせそう考えているのだろう。

 俺は一秒でも時間を稼ぐことだけを考え、乾いた唇を舐めた。


 短い時間。五分は経っていないだろう。

 ラガルティハは眉を潜め、体にまで侵食している鱗を見て歯軋りをした。


「なぜ止まらないんですか!」

「……教えてやろうか?」


 教える必要があったわけではない。

 しかし、突飛な行動をとられるよりは、自分から教えてやって時間を稼ぐほうがいいだろう。

 ゆっくりと手を動かし、さも大事な話をするように、少しでも時間を稼ごうと企む。


「俺のギフトには……デメリットが無い」

「あり得ない!」

「いや、先に払った、と言ったほうがいいな」


 デメリットが無いやつはいない。だが、会話を引き延ばせ。気付かれてしまったら終わる。だから、気付かせてはいけない。

 自分が圧倒的な優勢だと分かっていないラガルティハに、冷静でないこいつに勘付かせないよう、笑みを浮かべて余裕を見せる。


「恋心、だよ」

「恋心?」

「そう、恋心だ。俺は誰にも恋ができないし、誰にも恋をされない。大切な物を守るため、憧れてやまない青春を投げ捨てた。それが、俺のデメリットだ」

「……馬鹿ですか? 信じるとでも?」


 いや、これも嘘じゃないんだが、確かに信じられないのは当然だろう。

 でも俺はショックで立ち直れなくなりそうだった。彼女を作ってイチャイチャしたいなんて、男なら誰でも思うことだ。


 しかし、デメリットはこれだけじゃない。

 息を吐き、後から受け入れたデメリットを口にする。


「五十年」

「五十年? どういうことですか?」

「そのままの意味だ。俺は、五十年の寿命を先払いし、デメリットを全て無くした」


 ラガルティハの目が見開かれる。言っていることの意味が理解できないのだろう。

 この世界の平均寿命は75歳。俺は15歳で五十年の寿命を支払ったため、残りは十年前後。

 選ぶはずのない選択肢を、俺は妹と仲間のために選んでいた。


「あ、あり得ない」

「そう、普通はあり得ない。だがやった。他に方法は無かったし、助けられず後悔するよりも、助けて後悔するほうがいい」


 理由は分からないが、ルーのデメリットは深刻だった。あのまま暴走し続け、理性を失ってしまうほどに。

 そして、マオは限界を超えていた。二度とあの目が見えないことは決定していた。


 ――だから、決断した。


 元は恋ができない、されないというデメリットだったものに対し、さらにデメリットを上乗せしてギフトを強化。こうすることで、ルーのデメリットは完全に打ち消された。


「そんなことできるはずがない!」

「できるはずがないよな。あぁ、俺もそう思う。だが、現実はどうだ? 俺は一切のデメリットを受けず、お前はデメリットが倍増されている」


 ラガルティハは、太くなった鱗の生えた腕で地面を殴る。すでに岩よりも固いのだろう。容易く穴が穿たれた。


「……分かりました。現実を受け入れましょう。ですが一つ、どうしても理解出来ない。どうしてあなたは、仲間のために、妹のためにそこまでの決断ができたのですか? 死ぬことが怖くないとでも?」

「怖いさ」


 今だってこの選択が正しかったかは分からない。

 死にたくない。長く生きたい。幸せになりたい。

 そんな当たり前の望みを持っていないはずがない。


「でも」


 ただ思い出し、拳を握る。


「あの日、誓った」

「……なにを?」


 森の中、泣いている赤ん坊を見つけた日のことを思い出す。

 泣き止ます方法も分からず、恐る恐る指を伸ばし……掴まれた日を。


「小さくて柔らかい手が、俺の指を握った。もう大丈夫だと、安心したように笑ったんだ。……だから、俺は守る。自分の身を投げ出してでも妹を守る。そんなの兄貴なら普通のことだ」


 人によれば下らないと思う話かもしれない。

 だが、俺にとっては十分な理由だ。

 話を聞いたラガルティハは、想像通りに鼻で笑った。


「お優しいことです。妹を、全てを守りたい。まるで英雄を彷彿とさせる」

「英雄? お前は英雄を見たことがあるのか?」

「いいえ、ありません。ですが、あなたの覚悟は正に英雄そのものだ。あまりにも美しく、気高く……そして愚かだ」


 俺は英雄の話を知らない。

 しかし、俺にとっての英雄がどういうものかは分かっている。

 今度はこちらがラガルティハを鼻で笑う番だった。


「知らないんだな、英雄ってのがどういうものか」

「よく知っていますよ。何度も書物で――」

「教えてやるよ。英雄っていうのがどういうやつなのか」


 ゆっくりと、俺の英雄像を語る。

 あの男のことを。


「英雄っていうのは、ほとんど客が来ない店の店主で、なのに店を休みたがって、不思議と金はある感じで、腕が良くて、酒が大好きで……子供に甘いんだよ」


 他の人が語る英雄像なんてものに興味は無い。

 俺にとってはあれが、あれこそが英雄だ。

 憧れ、こうなりたいと思わせてくれる。いざというときに必ず助けてくれるココこそが、俺の英雄に他ならない。


 ラガルティハは呆れたように首を横に振る。


「それはただの凡人です」

「凡人? いいや、違うね。お前には一生分からないだろうけどな」


 羅列された文字で知った気になっている英雄と、実際に出会い尊敬してやまない俺の知る英雄。

 どちらが真の英雄かなんて語り合うまでもない。

 だから胸を張る。彼こそが英雄だと、絶対の自信を持って。


 その態度が気に入らなかったのか、ラガルティハ苛立った様子を見せた。


「もういいです。あなたの話はまるで理解できない」

「理解する気が――」

「結構だと言いました。私は自分がどうすればいいのかに気付きました。下らない問答をする必要は無い。ただ、あなたを殺す。それだけでいい」


 より無機質になった目が細められる。

 なにが切っ掛けだったのかは分からない。だが冷静になってしまったようだ。

 時間稼ぎに付き合わず、特別強くなったわけでもない俺を殺す。それだけでいい、と。


 片手が上げられる。あれが振り下ろされればリザードたちが動きだし、俺は僅かな時間で殺されるだろう。

 ……だが、そうはならない。

 妙な確信を持ち、胸元の犬笛を取り出す。


「来ませんよ」

「いいや、来るさ」


 時間稼ぎが十分だったとは思わない。まだ戦闘中であろうことも間違いない。……などというのは、ただの理屈だ。

 俺は信じている。とうに囲いを突破し、こちらへ向かっているであろう妹たちを。


「――死ね」


 ラガルティハの腕が振り下ろされるのと同時に笛を吹く。

 耳障りな甲高い音が鳴り響いた。


 猛然と突き進む四体のリザード。キングに相応しきその大きな体躯で駆け、あっという間に目の前へと迫り来る。

 だが逃げることもせず、腕を組んだ。


「終わりです!」

「終わらない」


 グレートリザードは咢を大きく開き、一噛みで俺の命を終わらせようとしている。

 しかし、それは届かない。


「……ァァァァァァァアアアアアアアアアアア!」


 後方から聞こえる雄叫びは恐るべき速さでこちらに接近している。

 青く小さな塊は矢よりも速く飛び、そのままグレートリザードを大剣で殴り飛ばした。


 宙でクルリと回った最強の妹は、俺の横へ華麗に着地する。

 そしていつもと同じニパッとした笑みを見せていた。

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