第27話
テガリの町は未曽有の危機に陥っていた。
レパードたち《ストレイ・キャット》の活躍により、ラガルティハの率いるリザードたちの本拠地を見つけたものの、先んじて動かれたせいだ。
今、テガリの町は多種のリザードたちに囲まれている。数えられないほどのリザードたちが、辺りを埋め尽くさんばかりに大挙して押し寄せた。襲って来ないのは不幸中の幸いだろう。
打開策をと、テガリの町では会議が行われている。
広い会議室に集められたのは、この町を代表する顔ぶれ。
冒険者の代表は《アーク・パニッシャー》のギルドマスターフィリコスだ。
フィリコスは手を握り合わせ、険しい顔つきのまま口を開いた。
「――このまま防御を固める。それが結論ですか?」
助けを呼ぶこともできず、打破する方法もない。ならば、少しでも長く町を守り、運よく助けが来ることを待つ。それが、町の重役たちの考えだった。
神頼みとしか言えない愚かな選択。だが、間違っているとも言いきれなかった。
もしかしたら、運よく町を訪れた者が異変に気付き、助けを呼んでくれるかもしれない。そう考えてしまうことは、決しておかしくはないだろう。
だがフィリコスは、表情にこそ出していないが苛立っていた。
(どこから助けが来ると言うんですか? 疎まれている我々を助けるために派兵する者がいるとでも? それこそあり得ないでしょう)
フィリコスは王国の貴族だ。だからこそ、パーチェ半島がどれだけ疎まれているかを知っている。
断言しよう。助けは来ない。もし来るとしたならば、全てが終わった後に土地を奪おうとする者だけだ。
しかし、全戦力を投じてもリザードたちを打破することはできる保証などない。それが分かっているからこそ、フィリコスもこの愚かな選択に意を唱えることはできなかった。
この無駄な会議をしている間にも、リザードたちは続々と集っている。状況は悪くなり続けるだけだった。
一人の男がおずおずと立ち上がる。
室内が静かになり、全員が注視した。
「降伏する、というのはどうでしょうか?」
「リザードを操っている者に、か」
「なるほど、それならば……」
ラガルティハの情報については共有されている。
相手が本能のままに動いているのであれば、このような選択肢は出て来ない。
しかし、黒幕がいるのであれば、と一縷の望みをかけての発言。
この言葉を皮切りに、どう抗うかではなく、どう投降するかに話がシフトしだす。
だが彼らは知らない。そもそもラガルティハには、彼らを見過ごす気が無い。全員殺すことで、世界の汚点を浄化できる。そう信じて疑っていないのだから。
喜々として、財産の半分を差し出せば、と話す一同を見て、フィリコスは拳を強く握った。
冒険者たちには戦う覚悟がある。力を合わせることで乗り越えられるものがある。それをポイズンリザードの事件で知ったはずではないかと。
だが、冒険者ではない人々は、幾何かの平和な日々により、性根が腐ってしまっているようだ。フィリコスにはそれが悲しく、それ以上に腹立たしかった。
ふと、フィリコスは彼を思い出す。
自分よりも数歳下でありながら、町を、みんなを守りたいといった少年を。
とある事情により、現在彼はテガリの町にいない。リザードたちの討伐へ全戦力を投じる際、隣村へ避難させたためだった。
(しかし、なぜエスパルダくんを逃がしたのだろうか?)
一体誰が決めたのかすら分からないまま、エスパルダは隣村へ避難させられていた。恐らく、本人も知らないのではないかとフィリコスは思っている。
実際それは間違っておらず、エスパルダはなにも知らなかった。
裏で手を回したのはココ。
最近のエスパルダを危惧し、気付かれぬよう避難させたのだ。
だがそこを狙われ、エスパルダはラガルティハの手に落ちている。ままならないものだ。
エスパルダがいれば、彼らの意見を無視し、戦うことを決めていただろう。
だが、その青臭さをフィリコスは持ち合わせていない。いや、持ち合わせていないというよりも、封じ込めていた。
彼らの言っていることにも一理ある。そう思ってしまうくらいには、フィリコスは大人だった。
フィリコスは息を吐き、天井を仰ぎ見る。
投降が先か、攻め込まれるのが先か。
――だが、どちらにしろ戦うことになる。
そんな予感はより一層強くなっていた。
◇
レパードは己の失態に苛立っていた。
《ストレイ・キャット》の数人を三人の護衛につけていたにも関わらず、エスパルダの姿が無いのだから当然のことだろう。
マオの報告によると、外へ出る物音を聞いたと言う。すぐに跡をつけたらしいが、リザードに襲撃されたらしい。
(うちの面々が見失った? ちょいとそれはあり得ないでしょう)
《ストレイ・キャット》は猫姫専属の暗部。その実力は大陸でも有数だと言われている。
そんな彼らがリザードに襲撃され、僅かばかりの隙を作ってしまい、エスパルダを見失った。とても信じられるはずがなかった。
だが、レパードは愚かではない。
後悔することは後で、今は動かなければならないと知っていた。
事実、《ストレイ・キャット》のメンバーはエスパルダの居場所を掴みつつある。報告が着次第、すぐに奪還する心づもりだ。
ルーとマオも同行すると言っているため、戦力になるので連れて行くことが決まっている。後は報告を待つだけだ。
しかし、レパードをさらに悩ませる報告が届いた。
「テガリの町がリザードに囲まれています。数は不明」
「……そっちはちょいと放っておけばいい。ココさんがいるから大丈夫だ」
「それと、リザードたちが集っている場所を見つけました。そこからテガリの町に移動しているようです」
「ココさんに伝えろ。それよりもエスパルダさんの居場所を見つけ出せ!」
「御意」
報告をした女は、レパードの物言いに腹を立てることもなく姿を消す。気を遣われていることが分かり、レパードは額に手を当てた。
(ちょいと落ち着け。苛立ってもしょうがない。……テガリの町が囲まれている? しかも数えきれない? 綿密に立てられた計画、ってことか)
戻るべきか? とレパードは逡巡する。
だが、すぐに考え直した。
テガリの町にはココがいる。絶対の信頼があり、その頼みを聞くことを優先すべきだと判断したのだ。
まだか? 苛立ちを押さえようと深く息をするレパードの元に、待ち望んでいた報告が届く。
それを聞いたレパードが飛び出すよりも早く、ルーが駆け出した。
「ちょ、ちょいと待ってくださいよ!」
しかし、レパードの声はすでに届いていない。
ルーにとって、兄の命が脅かされていることはなによりも許せないことだった。
慌ててレパード、マオ。そして《ストレイ・キャット》のメンバーが走り出す。
目指す先は町から北西にある遺跡跡。
無数のリザードたちが集っており、テガリの町に進行を開始している本拠点であった。
◇
ルーはレパードたちを振り切って走る。
そして誰よりも早く遺跡跡へ辿り着いた。
テガリの町を囲んでいる数よりも多いリザードたち。だが彼女は臆すことなく、その中へ飛び込んだ。
「ガアアアアアアアアアアアアアア!」
雄叫びを上げながら、次々にリザードたちを両断していく。その姿は猛獣を想起させるものだった。
だが、決して理性なき獣ではない。冷静に攻撃を避け、効率的にリザードたちを打破していく。
実のところ、ルーという少女は精神年齢が高い。幼い話し方に釣り合った小さな体躯で、ほとんどの人に気付かれていない。だが、それは全て演技だ。一重に、大好きな兄のために行っていた。
まだまだ幼い可愛い妹。それを兄が望んでいることを理解しているため、少しでも喜んでもらいたいと思いやっている。
そもそも、ルーがギルドを作りたいと思ったのも、エスパルダとずっと一緒にいるためだ。最強などという無理難題を掲げれば、永遠に一緒だと信じて疑わない。ルーの兄への愛情は歪なものだった。
だがそうでもしなければ、あの誰も見捨てられないお人好しは、気付けばいなくなっているだろう。
ルーは、長年見続けたことで、エスパルダという人間を誰よりも深く理解していた。
リザードを屠りながら、ルーは怒りを滾らせる。
ずっと自分を守り続けてくれている最愛の兄を攫ったリザードたちは、顔も知らぬ男は、ルーにとって生きる価値のない罪人だった。
最初にレパードが。次に《ストレイ・キャット》の仲間が。最後に息を荒げたマオが到着する。
彼らもまた、逡巡せずにリザードたちへ斬り込む。この先にエスパルダがいる。ルーが一人で戦っている。理由はそれで十分だった。
◇
ルーたちの状況が刻一刻と悪くなっていく中、テガリの町では問題が起きていた。
冒険者協会に集っていた冒険者たちが、リザードたちに打って出ることを決めたのである。
報告を受けたフィリコスは、彼らを止めようと急ぎはせ参じた。
「止まってください!」
「おぉ、フィリコスが来たぞ!」
「フィーリーコス!」
「フィーリーコス!」
フィリコスの心中などには気付かず、増援が来たと冒険者たちは歓喜の声を上げる。
「駄目です! まだどうするかは決まっておらず――」
「決まっていない? なにが決まっていないのぉ?」
いつの間にかフィリコスの隣にいたメリーダが、間延びした声で聞く。
「現在、防備を固めるか、投降しようという意見が主流です。打って出ても勝ち目は薄い、と考えられています」
実際、今の数ならば勝ち目もあるが、時間が経てば増え続ける。どこかで押し負けることは誰もが分かっていた。
だが、メリーダは軽い口調で言う。
「抗わないなんて、ワタシたち冒険者のやることじゃないわぁ。腰が引けてるなら部屋に閉じこもっていなさい。
女扱いはフィリコスにとっての禁句だ。普段は笑い流していたが、今のフィリコスにそんな余裕はない。
(僕はみんなのためにと耐えているのに、どうしてみんな好き勝手やっているんだ!)
あのゴミクズたちを説得しようとフィリコスは必死になっていた。なのに冒険者たちは戦うべきだと勝手に行動を起こしている。
まず町全体の意思の統一は最優先事項。全員が力を合わせなければならない。
――だが、本当にそうだろうか? フィリコスの中に疑問が湧く。
どうせ彼らは納得しない。逃げることだけを考え、投降まで視野に入れている。
説得が不可能であるのならば、もういいんじゃないだろうか?
そう気付いた瞬間、フィリコスは背筋が冷たくなるような笑みを浮かべた。
だがすぐに顔を引き締め、剣を引き抜き高く掲げる。
気付けば、誰もがフィリコスを注視した。
「指揮は僕がとります! えぇ、やってやろうじゃないですか! リザードなんかに負ける僕たちじゃない! お高く止まっているやつらに、冒険者の強さを見せてやりましょう!」
「「「うおおおおおおおおおおおおお!」」」
声を上げ、冒険者たちが動き出す。
フィリコスはやっちまったと思いながらも、心が晴れ晴れしている自分に気付き、軽い足取りで行動を開始した。
◇
劣勢だ。数が違い過ぎる。
ルーたちは追い込まれており、リザードたちには余裕があった。
「くそっ、辿り着けない! ちょいと厳しいですね!」
命を賭してでもルーとマオをエスパルダの元に送り届けられれば、デメリットを打ち消せられれば勝ち目もある。そう考えていたレパードの目論見は、すでに叶うことがなくなっていた。
進路は塞がれており、退路も残っていない。
全方位から襲い掛かるリザードたちを、必死に撃退するしかなかった。
「あたしのギフトを使うにゃ!」
「ちょいとなんでも防ぐやつですね。確かに、あれを使うしかない。分かっていますが、距離があり過ぎる。もっと詰めないとギフトが保たないでしょう!」
「ちょいとなんでも防ぐやつってやめてほしいにゃ! 《イージス》にゃ!」
そんなことを言っている場合ではないだろうと、レパードは苦笑いを浮かべる。
《ストレイ・キャット》のメンバーを全員呼び寄せておけばこの状況も覆せただろう。しかし、目立たないことを優先した結果、追い込まれてしまっている。
レパードは、自分が失敗してばかりだと思う。多少は戦えるが、それだけしかないとも思っていた。
だが、彼はそんな弱音を隠して剣を振る。
ギルドマスター足る自分が最初に折れるわけにはいかない。レパードは、そのことをよく理解していた。
「邪魔ダヨ! 退ケ! 死ネ! オ前タチに用はナイ!」
ルーのデメリットも限界が近い。彼女が理性を失った瞬間、戦線は崩れるだろう。
……だが、今ならばまだ戻れる。
レパードは自分が決断を迫られていることに気付いていた。
エスパルダを助けられると信じて戦うか。
エスパルダを諦め、ルーだけでも守り通すか。
もちろん、ルーは納得しないだろう。
しかし、エスパルダならどちらを選ぶ?
考えるまでもなく、ルーの無事だと分かり切っていた。
「一生恨まれるでしょうね」
ポツリと呟き、レパードは答えを出した。
「全員ちょいと聞け! 自分たちは――」
撤退する、と告げるよりも先に轟音が鳴り響いた。
ルーとマオが目を瞬かせ、《ストレイ・キャット》のメンバーすら足を止める。
そんな中で、レパードだけが安心したように息を吐いた。
「調子はどうだ?」
両手に大剣を持つという、意味の分からない怪力を発揮するハゲ頭。
ココ=ドゥリロはニヤリと笑った。
◇
テガリの町は五分の戦いを続けていた。
本来ならばとうに劣勢となっている。そうならなかったのはルーたちが戦っていたお陰なのだが、それは彼らがお呼び知らぬところだ。
しかし、五分だ。
徐々に劣勢になると思っているため、冒険者たちは疲弊している。士気の高さで誤魔化しているだけに他ならない。
「怪我人は後方に下がらせてください!」
フィリコスはもっとも苛烈な西の戦場で指示を飛ばす。だがすぐに他の戦場からの連絡が届き、新たな指示をかけていた。
《アーク・パニッシャー》を中心として戦線を均衡させているが、いつどこが崩壊するか分からない。際どい状況に変わりは無かった。
だが、思わぬ報告が届く。
「マスター!」
「どうしました! 援軍が必要ですか!?」
「いえ、その、えぇっと……南のリザードたちがほぼ壊滅しました!」
「は?」
こいつはなにを言っているんだ? と言わんばかりの顔をフィリコスが見せる。
「でたらめな強さの二人組が現れ、リザードたちを九割がた倒したんです!」
「……報告は正確にお願いします。そんなことがあり得るはずはないでしょう」
そんなことができるのは、彼の有名な英雄とその仲間だけだろう。
だが、彼らは消息不明だ。
信じられない報告をどう信じたらいいのか。フィリコスが頭を抱えていると、控えめに声がかけられた。
「あの、少しいいですか?」
「今は取り込み中ですので、急ぎでなければ後でお願いします」
「あ、はい、そうですね。……では、東の戦線に移動しますので、その後にもう一度来ます。本当にすみませんでした」
どこかエスパルダを彷彿とさせる腰の低い男が、何度か頭を下げて立ち去ろうとする。
しかし、その背が強く叩かれた。
「あなた! 用件をちゃちゃっと伝えればいいでしょ!」
「ご、ごめん。でもね? ほら、今は忙しいみたいだし、先に行動したほうがいいと思ったから……」
「なら私が言うからいいです! あなた、フィリコスさんね?」
男が小さくなる中、一人の女性が前に出る。
訳が分からない状況で、フィリコスは小さく頷いた。
「うちの馬鹿息子と超可愛い娘が世話になってます。南はどうにかしたので、これから東に行くからよろしく。さ、行くわよ!」
「う、うん。その、いきなりすみません。では、自分たちはこの辺で」
女が恐るべき速度で駆け出し、男は何度も頭を下げた後、それよりも速い速度で消えて行った。
エスパルダは知らない。自分の両親が、英雄の仲間であったことを。
そして、その資質を自分が引き継いでおらず、だが考えだけは受け継いでいることを。
二人が誰かということに思い至ったフィリコスは、消えた二人が走り去った方向を指差す。
だが言葉は出ず、二人の姿もすでに消えていた。
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