第40話 静とマリアの出会い

「何故です?

 あなたはお父様をいまでも愛しているのでしょうに」


 王宮の奥、外部の人間の目からは完全に隠された部屋で、静は目の前に立つマリアに率直にそう尋ねた。


 マリアはその静をきょとんとした顔で見詰めていた。


 静はあのテロで遺体すらまともに残らぬ状態で亡くなった王妃の隣に居たとされている。だからマリアは今の今まで、生き延びた静は世間で噂される通り人としてまともな姿はしていないと思っていた。それがどうだ。確かに今、目の前に座る静の顔左半分には目を背けたくなる酷い火傷の痕と縫い傷がある。しかし、その他は、見た所五体満足の様だ。長袖と厚手のストッキングのおかげでその肌には顔同様に火傷や縫い傷があるかもしれないが、少なくとも噂になっている様な『人としてまともな姿ではない』と言う感じはまったくしない。と言うよりも、今、目の前にある椅子に座っている静の様子は顔の状態を除けば、見た所、健康そのものなのだ。とてもあの酷いテロの渦中に居て、しかもあれからまだ日数が経ってないとは考えられない状態なのだ。


 いや、それ以上にマリアを驚かせたのは、その静の纏う雰囲気だった。とても10歳そこそこの少女とはおもえない落ち着きだった。もうマリア自身は30代になっているのに、目の前にいる少女は、ともすれば自分より年上に感じてしまう程だった。


「姫様、お体はもう大丈夫なのですか?」


 マリアは思わずそう静に尋ねていた。実際、その時のマリアは自身の予想を超える展開に静の問い掛けはまったく頭に入ってなかったのだ。


「ご心配おかけしましたが、ご覧の様にもうすっかり大丈夫です」


 マリアが自分の問い掛けに答えない事には触れず、静はそう言って今度は歳相応の可愛らしい笑みを浮かべると、すくっと椅子から立ち上がった。そのあまりに自然な動きにマリアは驚いた。


 それどころか、静はマリアの目の前で片足立ちになるとまるでバレリーナの様にくるりと一回転して見せた。その動きはとてもほんの少し前にあの凄惨なテロの中心に居た姫君の姿とは思えなかった。いや、こうなるとむしろ、顔に残っている酷い火傷の痕と縫い傷の方がマリアには不自然に見えた。


「姫様、一体これは……」


 マリアは一層、混乱してそう口にして一歩静に近づいた。その時のマリアはすでに自分が何のために王宮に呼び出されたかすらも頭から消えてしまっていた。


「マリアさん、

 あなたは引っ込み思案だと周りの人には思われているけれど、

 実際はちょっと違うのよね。

 あなたは本当はとても頭の回転の速い人。

 だから色々な事を考えすぎてしまって、

 動きが取れなくなってしまうのでしょ」


 そんなマリアに静はそう言って笑った。その時の静は、もうさっきのあどけない笑みを浮かべた少女でなく、優秀な心理学者の様な顔になっていた。


 確かにその通りだ、マリアはその時思った。そして、マリアの事をそう評価をしたのも姉や両親も含めて目の前にいる静が始めてだった。


 頭の中に色々な可能性が山ほど浮かぶ。その中で最適解を一つ選び行動する、それは簡単な事ではない。だからついついじっくり考えてしまう。周りの人間が何でも瞬時に判断して行動できるのが不思議だった。いつしか、自分はとても頭の回転が遅い娘だと自虐的に納得する様になっていた。ただ、判断を瞬時に出来る周りの人間が自分から見ると、それは明らかに判断ミスだろうと言う行動をとる事も多いのがすごく不思議だった。何故、その様なイージーなミスをするのか自分には分からなかった。しかし、そう思ってもそれを口にするのは他人を傷つける良くない事だと思い決して口にはしなかった。


 故に、いつしか自分は『どんくさい引っ込み思案の娘』などと言う評価が固まってしまっていた。


「普通の人はね、マリアさん。

 貴女ほど色々な事を考えてなんかいない。

 いえ、考える事など出来ないのよ。

 あなたはもっと自信をもって良い。

 あなたは本当は誰より優れた女性なのよ。

 だから、これを見れば私が何者であるかある程度は想像が付くでしょう」


 静は驚きの表情を浮かべたまま口もきけず動けなくなていたマリアに優しい笑みを浮かべながらそう言うとそっと目を閉じた。そして何かを念ずる様な顔になった。


 すると静の顔にあった酷い火傷の痕と縫い傷がすうっと皮膚に溶け込む様に消えていったのだ。


 信じがたい光景を目の当たりにしてマリアの頭の中で、様々な情報が錯綜した。そして彼女はそこから導き出せる様々な可能性を導き出していた。


「姫様……もしや、あなたのそのお体は……」


 その中で一番可能性が高いと思われる物をマリアは口にしようとした。


 姫様のお体は、すでに『人間ひと』ではなくなっている。たぶん、その体のほとんど、いや、ひょっとするとその全身は高度な技術によって作られた義体に置き換えられているのではないか? マリアはそう言う結論にたどり着いていた。そうすれば、隣に座っていた王妃が遺体が残らぬほど悲惨な死を迎えた爆弾テロでも生き延びたばかりか、今目の前に五体満足、しかも少なく元常人並みの運動の力を保っている違和感に説明が付く。


「そうです。

 私はもはや『人間ひと』はありません。

 ですから、私とお父様にはあなたが必要なのです」


 静は傷の消えた、テロに会う前の黒百合の様に美しい姿でマリアに言った。


 その短い言葉でマリアはすべてを理解した。静はたぶん間違いなく女性としての大切な『生殖機能』も失っている。今回のラマナス王の後妻選びの本当の目的は『ラマナス王家の血』を残す為に行われている事なのだ。そして、自分にはラマナス王フレデリックの後妻となり、その後継者を生むことを懇願されているのだと理解した。


「姫様のおっしゃりたいことは理解できました。

 しかし、王妃様がお亡くなりになってまだ幾日も経っておりません。

 私が王妃様の代役に選ばれた事は光栄に思いますが、 

 私にはやはりお亡くなりになった忍様に申し訳ない気がして……」


 すべてを理解した上で、マリアはそれでもそう答えた。これは嘘ではない。静に指摘された様に自分は今でもラマナス王フレデリックを一人の男性として愛している。フレデリックが忍を妃とし静と言う娘までもうけてなお、フレデリックへの愛は変わらなかった。いや、正確にはフレデリックを憧れではなく一人の男性として愛していた事に気が付いたのはむしろその頃からだった。


 だからこそだった。やっとその愛する男性の妻になれる事はこの上ない喜びだ。でも、彼を愛するが故に忍を失った今の彼の心のが分かり過ぎる。愛するが故にせめて今くらいはラマナス王としてでなく一人の男として忍との想い出に浸らせてあげたいとマリアは思った。

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