第24話 鬼に親しみを感じた姫

 カタリナは不思議な感覚に囚われていた。


 今、自分は『白銀の鬼』にしっかりと守られる様に抱かれている。薄手のドレスやロングの手袋を通して感じられるその鬼の体は金属の様に固く、そして冷たかった。確かに、月明かりを浴びてキラキラと美しく輝く長い髪、濃いサンバイザーを通して赤く光る人間の瞳、やや曲線を帯びた細身の体物に一欠けらの人間ひとらしさは感じる。しかし、バイザーの下には鼻も口もなく、ただ頬に当たる部分にほんのりと青く輝く刺青の様な幾何学模様があるだけだ。さらにはその全身は何か洋服やプロテクターを着ている感じはない。かと言ってロボットの様に明らかに可動するのが分かる関節部分も存在しない。しいて言うなら全身を包む金属質のウエットスーツ着ている様な感じだ。いや、着ていると言うより、それ自体が人間でいう所の皮膚と言う感じのが正しい。


 これは明らかに人間ひとではない。人智を超えた部分に存在する『異形の化け物』だ。それなのに今自分はそこはかとない『安心感』を得ている。まるで肉親に優しく抱きしめられ守られている感じがするのだ。確かに、この異形の鬼はあのテロリスト達の魔の手から自分を傷一つ付ける事無く見事救いだしてくれた。それでこの鬼を味方と思い安心している様にも思えるが、それも何か少し違う気がした。普通ならいくらその身を助けられても、この外見を見れば誰でも恐怖心が先に立つ。それなのに今自分は、恐怖心どころか、この鬼に全幅の信頼すら覚えている。



 そう、ふと思ったカタリナの眼に、不安定ながら離陸しようとする軍用機の姿が映った。


「あっ、あの男が逃げてしまう。

 あの人がこの事件のリーダーです!」


 今しがたまで絶望の中に居た人間ならそんな事を口にする余裕はないだろうが、カタリナの中にある王家の人間として責任感がそう叫ばせた。


「心配ない、逃がしはしない」


 語るべき口は見えないが、鬼があの抑揚が無くノイズが混じる機械音声で静かに告げた。そして鬼は、離陸しようとする大尉の乗った軍用機を、じっと見つめる様な仕草をした。


 すると、ぶんっと微かな音がして、鬼の赤く光る瞳がその輝きを増した気がした。


 その瞬間だった。


 地面から離着陸用の車輪が離れ、より一層その唸り声を増していた三つのジェットポッドが急にその唸り声を下げ始めた。同時に、地を離れた車輪が再び地面に付き、伸びきっていてサスペンションがゆっくりと縮んで行く。そして間もなく、ジェットポッドは完全に沈黙してしまった。


「お前は、ここで待っていろ」


 鬼はあの機械音声でカタリナにそう告げると、完全に静止した軍用機に近づいて行った。その時、ふとカタリナは思った。声は明らかに違うが、その言葉遣いにはなぜか聞き覚えがあった。


 鬼が軍用機に近づくと、まるでそれを迎え入れるかの様にすぅっと閉じられていたドアがひとりでに開いた。鬼はひょいっと飛び上がり、開いたドアから軍用機の中へ入って行った。鬼が軍用機に入るとまたドアはひとりでに閉まった。



 完全機能を停止し一つのオブジェと化してしまった軍用機。


 周りからは風の音と、微かにその風に紛れて下界のざわめきの残滓だけがカタリナの耳に届いていた。


 今まで自分を守る様に抱いていた鬼が居なくなってカタリナの胸に、心細さが津波の様に押し寄せて来た。同時に恐怖心も心の底からじわじわと湧き上がって来た。こんな異形の存在、何もない時に出会えば恐怖しか感じなであろう。しかしその異形の存在が傍に居なくなっただけで、これほど自分が動揺するとはカタリナは思ってもみなかった。



 だが、カタリナがそんな心細さを感じたのもほんの一時だった。ただ、実際にはほんの一分足らずの事であったが、当のカタリナにはその時間はもっと長く感じていた。


 すぅっと軍用機のドアが開くとそこからあの鬼が姿を現した。鬼はタラップを使わず、とんっと開いた軍用機のドアからヘリポートの床に飛び降りた。


 カッンッ……。


 鬼のブーツが金属製のヘリポートの床に当たり音がした。それはまるで金属同士が軽く当たった時の様な音だった。


 ただし、鬼のそれは正確に言えばブーツではない。白銀の膝下辺りから、黒に近いガンメタリックに色が変わっている為にブーツを履いている様に見えるだけだ。


 カタリナがその音に興味を示し、改めて鬼の足元を見ると、そこにはまるでOLが履くパンプスの様なヒールがあった。もちろんそれは靴を履いているのではなく、踵と言うか足首から下がそう言う形状になっているだけだった。


 その長身でスリムながら、そのプロポーションが柔らかな曲線を描いている事と相まって、カタリナにはその足元のヒールを見ると、なお一層この鬼が女性的に見えた。



 鬼が軍用機からヘリポートの床に降りると、カタリナはほとんど無意識の内にその鬼に向かって走り寄っていた。


「もう大丈夫だ。

 奴らは完全に制圧した」


 鬼があの特徴ある機械音声で言った。


「彼らを殺したのですか?」


 カタリナは少しだけ緊張してそう尋ねた。こんな事件、少なくとも王家の娘である静を惨殺した上、自身を誘拐しようとした犯人ならば、問答無用で制圧時に射殺されるのが普通だ。どの道、裁判になった所で極刑は免れなのだから、例え殺したところでそれを非難する者はほとんどいないだろう。それでもカタリナは、何故かこの鬼にそんなテロリストでも殺して欲しくないと漠然と思った。


「心配するな。

 全員、警察の連中が来るまで動けない様に、

 意識を失わせているだけだ」


 そんなカタリナに鬼はそう答えた。相変わらず声は感情がまったく伝わらない機械音声。しかも、眼は濃いバイザーに隠され、顔ものっぺりとした面で表情などない。それでもカタリナは、何故かその時、鬼が微笑んだ気がした。


「あっ……そう言えばクローディア達は大丈夫なのかしら?

 あっちには大勢のテロリストが居たはずだけど」


 鬼がまた自分の傍に来て安心出来たからだろうか、今まで忘れていたクローディア達パーティー会場に残った者たちの事がカタリナの頭に浮かんだ。


「あちらも大丈夫だ。

 今頃、あの二人があの場の制圧しているだろう」


 カタリナが半分独り言の様に呟いた言葉に、鬼はすかさず答えた。


「えっ……あの二人ってもしかしてクローディアとマックさんの事?

 あなたはあの二人を知ってるの。

 いえ、あの二人はもしかしてこの事件が起こる事を事前に知ってたの?」


 鬼が『あの二人』と言った事でカタリナは、その咄嗟にそう思ったのだ。


「さすがにお前は頭の回転が速いな」


 カタリナの問い掛けに鬼はそう言って笑った。


 そう、それは今までの様な機械音声ではなく、感情の籠った人間の肉声、しかもカタリナには聞き覚えのある声に変わっていた。

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