第17話 威厳を持った狂犬王女
この時、カタリナはクローディアの言葉に少々違和感を感じた。『ポセイドンのご加護があらんことを』とは海の神に幸運を祈る海洋国家であるラマナスでは日常茶飯事に使われる慣用句だった。しかし、今、クローディアはそれに『サイレン』と言う海の魔女の名まで添えた。何故、海の魔女までクローディアはわざわざ付け加えたのか、それがカタリナには妙に気になった。
そして静の横を通り過ぎる時、クローディアは軽く頭を下げながら何やら小声で静に話しかけた気がした。静もその時、小さく頷く様な仕草をしていた。
「マックス、お前もクローディアと共にここに残り、
この場に居る者たちの安全を確保するために最大限の努力をせよ」
「了解!」
静がカタリナが居る方を向いたままそう告げると、マックスはクローディアとは違い少し砕けたいかにも不良仲間の姉御とその子分の様な感じで片手を上げてそう答えた。
その静を見てカタリナは思った。
かろうじて取り乱したりすることはななかったが、この状況になって自分は何も出来なっかった。そして、クローディアにその身を挺して守られるか弱き存在でしかなかった。
それなのにこの静はどうだ。日ごろは国民からもその素行の悪さから『狂犬王女』と陰口を叩かれ、さらには実の父や、義母などを平気で口汚く罵るのに、今のこの威厳に満ちた態度。これは紛れもなく一国の王女、いやもはや女王そのものだ。自身の命すらいつ奪われるか分からぬ状況なのに的確に指示を出している。その上、今は圧倒的に有利な立場にあるはずの敵に対しても並々ならぬ圧力を掛けている。
自分は何と情けなく弱々しい存在だったのだろう。それに引き換え、この人は骨の髄まで威厳に満ちた王家の人間だったのだ。こんな極限状態でこそ人間の本性は現れるのだ。私はこの人を今まで見くびり過ぎていたのではないか?
思えば、それも当然と言えば当然だ。
この人は、実の母を惨殺された上に、自身も一度死にかけた。そして全身、さらには女の命ともいえる顔の半分までも醜く焼けただれた姿になった。今まで蝶よ花よと何不自由なく育てられていた一国の姫が一夜にしてそうなったのだ。普通なら気が狂ってもおかしくない。それなのにこの人は並の人間以上にしぶとく強く生きていたのだ。それがどれだけ過酷な事だったか。
それがわかっているからこそクローディアは、この人がどれだけ好き勝手をやっても、そして実の父から王位継承権を奪われてもなお、それまでと変わらぬ姿勢で接して来たのだ。
「カタリナ、お前は唯一『ラマナス海洋国家王位継承権』を持つ王女だ。
この先、お前がどんな目にあっても、
例えそれが女として、耐え難い生き地獄だったとしても、
決してラマナス王族としての誇りを忘れるな。
そして、屈辱と言う泥水を啜っても生き延びよ。
決して生を諦めてはならぬ。
お前にその覚悟があるか?」
カタリナが自分が今までに見た事もない静の姿を見て、自身の考えを改めようとしていた時、突然、静がカタリナに向かって真剣な顔で尋ねた。
「はい、お姉様」
今のこの静の姿を見せられてはカタリナにはもはやそう答えるしかなかった。もしそうなった場合、最後まで威厳どころか、正気を保っていられるかさえまだ自信はない。しかし、少なくともそうありたいとカタリナはこの時願った。
「その言葉忘れるなよ、カタリナ。
もし、覚悟がないと弱音を吐いていたら、
こいつらの毒牙に掛かる前にこの私がお前を一思いに殺していたところだ」
カタリナの返事を聞いて静はそう言うとにやりと笑った。
「おいおい、『死なずの姫』が何を言い出すんだ?
そう言う所を見るとお前、何か武器を隠し持ってるな」
静の言葉に大尉がすかさず冷静に反応した。
「やはり、お前さんはまだまともな頭の様だ」
大尉の言葉に静はそう言っておもむろにドレスの裾をめくった。
すると右足首の少し上辺りに巻かれたホルスターに小型の拳銃が仕込まれていた。
「ほらよ……」
静はその小型拳銃をホルスターから抜くと大尉の足元に投げてよこした。
「ご存知の様に私は『狂犬王女』。
常日頃、世間的に『
それでこの様な場でも、
つい、いつもの習慣でこう言う物を持って来てしまうのだよ」
「まさか、まだ武器を隠してるんじゃないだろうなぁ」
静の言葉に、あからさまな不信感を持った大尉はそう尋ねた。
「一応、今日はそれだけだが……」
「おい、ファリン。
そいつの身体検査をしろ」
静はそう言って肩をすくめて見せたが、大尉は信じずファリンにそう命じた。
「あいよ」
ファリンはそう言ってカタリナから離れ静の傍らに歩いて来た。代わりにグァンミンがカタリナの身を拘束した。先ほどクローディアの体を弄った男だけにカタリナはあからさまに嫌な顔をした。グァンミンの方もさすがにクローディアにした様にカタリナの体を弄る事はしなかったが、あえて好色そうな笑みを浮かべてカタリナを挑発した。そんなグァンミンをけん制する様にカタリナは無言でじろりと睨んだ。それが今カタリナに出来るこの下品な無法者に対する精一杯の抵抗と抗議の意思表示だった。
一方、ファリンは、両手を上げて抵抗の意思がない事を示した静を服の上から武器を持っていないか身体検査をしていた。
「あんた、結構着やせするタイプだね。
その火傷の痕や縫い傷が無ければ男が放っておかないだろう」
「これでもそこに居るカタリナが生まれる前は、
私が『ラマナスに咲く花の姫君』と言われてたんだ。
まあ、今じゃその呼び名はすっかりそっちの姫の物で、
当の私は『狂犬王女』って言われてるがね」
「その姿も素行もまさに『狂犬王女』って訳だ」
「そう言う事」
体に触れながら身体検査をするファリンと静は周りの緊張感をよそに、まるで世間話をする様に話していた。そしてファリンは最後に静の持っていたバックの中身を確認した。当然、そこにはあの棒付きキャンディー以外ハンカチと口紅、コンパクト程度の物しか入っていなかった。
「その飴、美味いぞ。
良かったら一本どうだ?」
「変な薬とか入ってると面倒なんで遠慮しておくよ」
「なんだもったいない。
この飴、かなり美味いんだぞ」
中身を確認したファリンがバックを静に返すと、静はそう言ってバックから飴を一本取り出し無造作に包装を破り捨てて口の放り込んだ。
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