第10話 元日の決意表明

高校三年生の僕(桜井 隆之介)は,夏休み明けの始業式の日に謎の未来人 広瀬 光太郎と彼が使うタイムマシンに出会った。僕はタイムマシンを使って親友の坂本 宏樹の命を救ったのだが,その後大学教授の四宮 香先生と塾講師の高梨 誠先生にそのことを気づかれてしまった。

後にタイムマシンを作る者と名乗る彼らと話すうちに,僕は彼らのことを信用できる人物であると判断し,始業式の日にあったことを伝えて彼らに協力することにした。そして彼らの研究のことを秘密にする口止め料として,僕は想いを寄せる同級生の広瀬 舞とともに,彼らの塾で勉強を教わることになったのだ。



今日は一月一日,元日である。世間はほとんどが浮かれ気分だが受験生に休みはなく,僕と舞はいつもと変わらず朝から受験勉強をしていた。

ただし,今日は勉強する場所が普段とは違っている。四宮先生たちから一緒に初詣に行く誘いを受けたため,元日から彼女たちの家にお邪魔しているのである。これから四宮先生の実家の近くにある神社に向かうらしい。何故か場所は教えてもらってないが,高梨先生の車で向かうということだけ聞かされている。

僕たちは待ち合わせ時間の少し前に到着したため,出かける準備ができてなかった四宮先生たちを,勉強しながら待っているというわけだ。

僕は以前彼らの研究所に行き,製作途中のタイムマシンを見せられて驚いた経験があったため,自宅の方にはどんな驚きが待っているのかと少し期待していたが,意外にもそこは本棚に難しそうな本が並んでいることを除けば生活感のある普通の家だった。


僕たちは彼らが普段食卓として使っているテーブルに教材を広げさせてもらってしばらく勉強していたのだが,待つのに飽きてしまった僕は向かいに座っている舞に話しかけた。


「先生たち,なかなか出てこないな。」


「私たちが早く着きすぎたからでしょ。」


彼女はノートに目を向けたまま素っ気なく答えた。あまりにもつれない態度で返されたため,僕は彼女の注意を引くため,今の状況の説明を付け足して再び話した。


「いや,それにしても遅い。もう約束の時間から30分ぐらい経ってるよ。」


「言われてみれば確かにそうだね。何かあったのかな?」


僕の言葉を聞いた彼女は,今度は時計を見てそう答えた。すると,ちょうどそう言い終えた矢先,廊下に続く扉が開き四宮先生が現れた。


「お待たせ二人とも。ほとんど一年ぶりだから手間取っちゃった。」


「わぁ!すごいですね!着物ですか?」


リビングにやって来た先生の姿を見て,驚いた舞はそう口に出した。彼女の言う通り,その四宮先生は高級そうな赤くて綺麗な着物を着ていた。


「どう?どう?似合う?」


先生は着物を見せるため一回転しながら,楽しそうな笑顔で僕たちに聞いた。


「もちろんです。とっても綺麗で素敵ですよ。」


舞は当然といった感じでそう答えた。


「はい。お正月らしくて良いですね。」


僕も舞の言葉にそう言って同意した。


「ありがと。そう言ってくれると思ってあなたたちに見せたのよ。高梨くんは何も言ってくれないからね。」


僕たちの感想を聞いた先生は,さらに嬉しそうな笑顔を浮かべて僕たちに言った。すると先生がそう言った直後に,スーツを着た高梨先生が彼女の背後から現れた。普段よりも決まった格好をしている彼は,四宮先生の言葉に対して言い訳するように答えた。


「似合ってるって言っただろ。」


「高梨くんは私が何を着てもそう言うでしょ。」


高梨先生の言い訳を聞いた四宮先生は,冗談っぽく文句を返した。しかしそれを聞いた高梨先生もまた,息つく間もなくすぐに返事をした。


「何を着ても似合ってると思うんだからしょうがない。」


咄嗟に気の利いた言葉を返されたことが予想外だったのか,四宮先生は少しはにかみながら答えた。


「またまたぁ。それはそれでいいんだけどね。」


家の中にいても外と変わらない仲の良い雰囲気を漂わせる二人を見て,僕は彼らの信頼の深さを改めて感じた。


「高梨先生も今日は普段よりも決まっててカッコいいですよ。」


僕たちが四宮先生の服装ばかり褒めていたことに気づいたため,僕は高梨先生のスーツ姿の方にも一応コメントした。


「まぁな。正月だからな。」


高梨先生はネクタイを締めるポーズをとって,誇らしげに答えた。内心では正月関係あるかな?と思ったが,それを聞く前に四宮先生から出かける準備をするように促されたため,さっさと勉強道具を片付けて僕たちは彼らの家を後にした。



神社までの車では高梨先生が運転して,四宮先生が助手席,僕と舞は並んで後部座席に座った。

しばらくの間,四宮先生の着物のことや僕たちの現状について話した後,僕は今日のことで疑問に思っていたことを彼らに話した。


「でも先生たちから初詣に誘われるなんて意外でしたよ。高梨先生に『そんなことしてる暇があったら勉強しろ。』って言われそうなので,今年の正月は初詣に行く気なかったんです。」


僕の言葉には四宮先生が答えてくれた。先生は振り返ってから僕たちに言った。


「私があなたたちを誘いたいって高梨くんに言ったのよ。大学受験の年の初詣なんて,浪人しない限りは一生に一度だもの。成人式みたいなものじゃない?できることなら楽しんで欲しかったし,成績の方も順調みたいだったから誘ったの。」


「へー!ありがとうございます。」


僕たちのことを考えてくれていた先生の答えを知った舞はお礼を言った。


「まぁ息抜きも必要だからな。今だけは楽しんで,終わったらまた勉強を再開するといい。」


そしてその一連の会話を聞いていた高梨先生は普段通りの少し厳しいことを言ってその話題は終わった。



そんなことを話しているうちに,僕たちは神社の駐車場に着いた。

『駐車場からは階段と登り坂の参道を少し歩いて神社まで行くからね。』四宮先生が初詣の約束をする時に何でもないようにそう言ったので,僕はそれほどその道のりはしんどいものでもないだろうと思っていた。しかし車を降りて実物を見ると,目的地の神社は山の頂上にあり,そこに長い階段と登り坂が曲がりくねりながら続いているのが見えて驚愕した。正直言うと,僕は高くにそびえ立つその神社に歩いて向かうことを面倒に思ったのだが,同時にここまで来て行かないのももったいないとも思ったため,僕は頑張ってそこに向かうことを決めた。今考えると,先に言ってしまうと僕が行かないと言うだろうから,四宮先生は神社の場所を秘密にしていたのかもしれない。

だとすると,結局行くことに決めた僕は完全に先生の手のひらの上で踊らされてることになる。やはり四宮先生には敵わないなと思いながら,僕は先を進む三人の後に続いて歩いた。



長い参道の出発地点に着いた僕たち四人は,二列になって階段を登り始めた。四宮先生が動きづらい着物を着ているため,先頭に四宮先生と舞が横に並んで歩き,その後ろに僕と高梨先生がさらに横並びで続くという形になった。


「私は先生たちも初詣に行くことが少し予想外でしたよ。」


前を歩く舞が四宮先生にそう言う声が聞こえた。


「え?どうして?」


四宮先生は舞の質問に不思議に思ってそうな声で彼女に尋ね,舞はそれに答えた。


「先生って科学者じゃないですか。だからこういう神頼みみたいな非科学的な行事はしないのかと思ってました。」


「そんなこと思ってたの?そんな心の狭いことは言わないよ。宗教でも非科学的なことでも,それで気持ちが落ち着いて本来の実力を発揮できるなら,それはとてもいいことでしょう?もちろん,神頼みだけで全然努力しないのはダメだけど,あなたたちが頑張ってたのは知ってるからね。」


四宮先生はいつものように優しく舞に話した。


「へぇー。それじゃあ先生も神様にお願いしたりするんですか?」


舞も同じく,普段と変わらぬ様子で先生に質問した。着物の四宮先生にペースを合わせているとはいえ,長い階段を登りながらでも二人は平然と会話をしていた。対して僕は予想以上に長い階段の前にうんざりして,その会話に割り込む気力も無くなっていたため,前から聞こえる声を耳に入れるばかりになっていた。そんな僕の様子に気づくそぶりもなく,四宮先生が舞の質問に答えて二人は会話を続行した。


「自分のことでお願いはしないね。自分のことは自分で何とかしたいもの。神様なんてものよりも自分のたちの方がずっと信頼できるから。」


「すごいですね。私は何か失敗したり嫌なことがあったら,すぐに神様がいるならなんとかしてほしいって思いますよ。」


「自分で頑張らないと何ともならないでしょう?でももし神様がいると仮定するならば,私だったらその存在にとても感謝するね。」


「何でですか?信じてないのに。頭が良いからですか?美人だからですか?」


舞は四宮先生のことをこれでもかと言うぐらい褒めながら質問したため,先生はクスッと笑ってからそれに答えた。


「フフ,ありがとう。でも違うよ。私が神様に愛されてるって思う理由は,これまでに失敗する機会をいっっぱい与えてくれたから。」


「失敗ですか?成功じゃなくて?」


「うん。『三たび肱を折って良医となる』って言葉は知ってる?」


「知らないです。」


舞は先生の質問にそう答えた後,振り返って僕の方を見た。僕が知っているか確認したのだと思い,僕は無言で首を横に振って知らないということを彼女に伝えた。すると先生がその言葉の説明を始めた。


「中国のことわざなんだけどね。言葉の意味は,医者は三回腕の骨を折って患者の痛みや苦しみを知ることで,初めて良い医者になるってこと。ことわざとしての意味は,人間はいろんな経験をしないと立派な人間になれないよって意味なの。」


「へー。」


「私も同じ。失敗して後悔して,遠回りしたことで見えてきたものがたくさんあるの。これまでに悔しい経験をしていなければ,学校の空気に苦しむあなたたちを助けようなんて思わなかった。それに,そもそも私が昔やってしまった大失敗がなければ,あなたたちに会うことすらなかったと思う。そう考えると,今こうして四人で初詣に来ているのも私が苦労した結果であって,これに繋がる機会を与えてくれたのが神様だとしたら,私はその存在にとても感謝すると思うな。」


「やっぱりすごいです。普通そんな考え方はできませんよ。じゃあ先生は,もしタイムマシンがあったとしたら,何がしたいとかありますか?どの時代に行きたいとか。」


舞のその質問が聞こえると,僕の隣を歩く高梨先生の歩みが少し遅くなった気がした。タイムマシンを秘密で作っている四宮先生に舞がそんな質問をしたのだから,きっと動揺したのだと思う。僕は秘密をバラしたのが自分だと疑っているかもしれない先生に誤解であることを伝えたかったが,その状況で説明することも不可能なため僕は黙って歩き続けた。

僕と高梨先生は舞の無邪気な質問に動揺を隠せずにいたが,四宮先生は何事もないかのように自然に彼女の質問に答えた。


「そうだなぁ。私が15歳の頃に戻って,その時の私の先生に会いに行きたいかな。」


「四宮先生の先生にですか?」


「うん。高梨くんの先生でもあるんだけどね。その先生は私の失敗のせいで,遠くに行って会えなくなっちゃったから,もう一度会ってみたいな。会ってお礼が言いたい。先生のおかげで私はこれまで楽しく暮らせましたって言いたいな。」


まるで昔話を語るように穏やかに話した四宮先生だったが,その後思い出したかのように,次の言葉を付け足した。


「あ!でもね,私が過去をやり直そうと思わないからと言って,他人の気持ちを否定はしないよ。人によって大切に思うことは違うから。もし舞ちゃんが反対の意見を持っているのなら,きちんと話し合って正々堂々と勝負しよう。あなたが神頼みなんかじゃなくて,本気で頑張って実行できるのであれば,私は真剣に向き合うよ。」


「いえいえ,そんな本気で考えてるわけではないですよ。タイムマシンのこともたとえ話で言っただけですから。」


舞はそう言って一旦会話を終えた。四宮先生のその言葉は舞にはあまり響いていないようだったが,時間改変について四宮先生とは違う考えを持っている僕に言ったようにも聞こえるものであり,過去を変えようとしている高梨先生に言っているようにも聞こえるものであった。頭の良い先生なので,実際この場の全員に言ったのかもしれないが,真相は本人にしか分からない。


「あ,そろそろ着くよ。お賽銭とかを準備しないと。」


先頭を歩く四宮先生がそう言った時に,ようやく目的地の神社が僕の目の前に現れた。長い階段を登りきった後,さらに登り坂を登って,またさらに少しの階段を登った末の到着であった。元日といえど,そんな道を通って来ている参拝客はそれほど多くはなく,人影は本殿に続く広い参道にちらほら見える程度であった。

神社に着く頃には先生たちの顔には疲れが見えていた。もちろん僕もヘトヘトだったが,同い年の舞は最後まで元気に登りきっていた。

これが高校生生活で部活をやり切った人間と,帰宅してダラダラと映画を見ていた人間の差なのかと,三年の時間の重みを実感した瞬間だった。宏樹のこともあったので部活に入っておけば良かったとは少しも思わないが,彼女が毎日吹奏楽のための体力づくりに勤しんでいたことを知っている僕としては,こんな形でもその結果が見えたことはなんだか自分のことのように誇らしく思った。


そして神社に着いた僕は早速,先生たちの仕草を真似して口や手を洗い,お賽銭を賽銭箱に入れてから二礼二拍手一礼しながらお願いをした。今年も舞との関係性が続きますように。やるべき事が多過ぎて何を願えばいいか分からなくなった僕は,受験勉強とタイムマシンの問題のどちらにも対応できるようにそんなお願いをした。僕も本気で神様を信じているわけではないが,藁をも掴む思いでそう願ったのだ。



「先生はなにをお願いしたんですか?」


賽銭箱から離れながら,舞が四宮先生にそう聞いた。


「それはもちろん,あなたたちの受験がうまくいくようにってお願いしたよ。」


四宮先生は笑顔でそう答えた。


「高梨先生もお願いしてくれました?」


四宮先生の答えが本気かどうかは知らないが,舞は嬉しそうに高梨先生にも尋ねた。しかし,高梨先生は彼女の期待を否定して答えた。


「いや,願ってない。俺は君らが合格するようにするのが仕事だから,神なんかに頼むわけにはいかないだろ。」


「えー。」


高梨先生の答えを聞いて舞は残念そうな声を出し,僕たちは拝礼を終えた。



「それじゃあ,俺らはそろそろ帰るか。」


参拝を終えると,高梨先生が僕と舞にそう言って話しかけた。


「四宮先生は帰らないんですか?」


高梨先生が四宮先生を除くような言い方で言ったので,僕は高梨先生にそう聞いた。するとその質問には四宮先生が答えてくれた。


「私は実家の家族で集まって神主さんに祈祷してもらうから,もう少しここに残るの。その後,お父さんと一緒に実家に帰って親戚や知り合いの人にも挨拶しないといけないから,あなたたちとはここで解散だね。気をつけて帰ってね。」


「金持ちの家も忙しいんだよな。庶民の俺はのんびり正月を過ごさせてもらうよ。」


四宮先生の言葉に対して高梨先生はそう言ったが,先生はすぐに駐車場に向かおうとはしなかった。その言葉を言った直後,境内の隅の方を見た高梨先生は僕と舞に言ったのだ。


「とその前に,二人とも少しだけ待っててくれないか?」


「えぇ,待ちますよ。何をするんですか?」


舞が高梨先生にそう聞いた。高梨先生は四宮先生と一瞬合図のように目を合わせた後で答えた。


「四宮の父親に挨拶に行ってくる。二人で暇つぶしてろ。」


そう言って先生たちは境内の隅へ歩いて行き,そこで神主さんと談笑していた男性に声をかけた。距離が遠くて話の内容は分からなかったが,四宮先生のお父さんらしきその男性は,先生たちの歳から推測できる年齢にしてはとてもスマートにスーツを着こなしており,まるで俳優のようにカッコよく見えた。四宮先生と高梨先生は結婚していないので,その男性にとって高梨先生は義理の息子でも何でもないはずだが,彼らはとても親しげに話しているように僕には見えた。


高梨先生が戻ってくるまで,僕と舞はおみくじを引いたりして時間を潰して待っていた。具体的に言うと,おみくじを引いた後,引いたおみくじを木に結ぶのか持って帰るのかであーだこーだ言い合っていたら,いつのまにか先生たちが話し終えていたのだ。僕らの側にやってきた高梨先生は尋ねた。


「待たせて悪かったな。何やってたんだ?楽しそうに話してたが。」


「おみくじを引いてたんです。先生は引いたおみくじはどうすればいいか知ってますか?」


舞が答えて先生にそう尋ねた。


「ネットで検索しても,どっちが正しいとは出ないんですよ。」


そして僕も,彼女と言い合っていた過程を先生に説明した。


「どうでもいい。帰るぞ。」


神様を信じてない高梨先生は,心底面倒くさそうにそう言った。


「せっかく来たんですから,正しい方法でやりたいんですよ。」


舞が不服そうに先生にそう言った。


「好きな方法でいいだろ。神頼みなんて所詮は自己満足なんだから。結ぶなら早くしろ。もう行くぞ。」


先生は同じ調子でそう答えた。


結局どちらが正しい方法か知ることができなかったため,僕も舞も納得しきれなかった。かと言ってこれ以上,神様を信じてない高梨先生に聞いてもまともな答えが返ってこないことは明白であったため,僕たちはある実験をすることに決めた。

二人のうちの片方が自分のおみくじを木に結んで帰り,もう一人は持ち帰る,というものだ。そして今年が終わる頃,もしくは来年の初めに今年がどんな一年だったかを話し合って,どちらがいい一年にになったかを検証しようという理屈だった。

どちらがいい一年かなんて,明確な答えが出るわけないだろうが,一年後も彼女と会う約束を取り付けたようなものなので,僕はその実験に協力した。そして彼女と話し合った結果僕がおみくじを木に結んでから,僕たちはまた長い坂道と階段を下りて先生の車に戻った。



高梨先生はまず舞を彼女の家まで送ったため,その後の車内は僕と先生の二人になった。そして彼女の家の前から車が走り始めるとすぐに,高梨先生が僕に話しかけたのだ。


「なぁ,桜井くん。タイムマシンのこと広瀬さんに話してないだろうな?」


僕は先生にそう聞かれることを予想していた。きっと神社に登る時に,舞が四宮先生にした質問のことを気にしていたのだと思う。僕は彼女の質問のことを説明しながら答えた。


「話してませんよ。タイムマシンがあったら何がしたいか,なんて日常会話に無い話でもないでしょう。」


ただし僕は話してないけれど,舞は勘が鋭い時があるので全く気づいていないとも限らない。そう思ってはいたが,話をややこしくするだけなのでその場は黙っていた。

僕の言葉を聞いた先生は安心したように答えた。


「それもそうだが,あまりにピンポイントな質問だったから驚いたぞ。まぁ,言ってないなら良かった。」


「それよりも,そのタイムマシンってもう出来てるんですか?」


最近は四宮先生が塾に来ることが少なく,先生たちからタイムマシンについて聞く機会もあまり無かったため,僕はここぞとばかりにその質問をした。高梨先生はすんなり答えてくれた。


「あぁ,もうほとんど出来てるよ。けど最近俺は受験シーズンで忙しいし,四宮は四宮で海外のお偉いさんに頻繁に会いに行ったりしてるから,本格的な実験はもう少し先になるな。」


「三月一日はどうなりそうですか?」


僕が続けてそう質問すると,今度は先生がまるでその質問を予想していたようにすぐに答えた。


「言うと思ったよ。今年の三月一日から未来予知の内容が書いてあるノートが送られて来た,去年の夏のあの日のことだろ?お前と四宮は違う意見を持ってたんだったよな。」


先生は去年の夏の日に起こったことを確認するようにそう聞いた。僕も同じく,あの日のことを思い出しながら答えた。


「はい。四宮先生は三月一日から去年の夏にそれを送らなければ過去は変えられるかもしれないって言ってましたけど,僕は違うと思ってます。」


「人間は時間の流れに逆らえるものじゃないと思ってるんだよな。自然に元に戻す心理が働くんだったか?」


先生が言ったことは,確かにあの時に僕が言ったことと一致していたため僕は先生の質問を一旦肯定した。


「はい。あの時はそう思ってました。」


しかし今の僕の考えはあの時とは少しだけ変わっていたため,僕はそれを先生に告げた。


「でも今では変えちゃダメなものだとも思ってます。過去を変えることって,それから今までの全てを無かったことにするってこととも言えるんですよね。僕たちがあの日から,これまでにやって来た全部が無かったことになってしまうんですよ。」


「だが,その代わりに別の思い出があったことになるんじゃないのか?過去が改変されると,改変後の記憶だけが残って忘れたことにも気づかない,そんな話を前にしてなかったか?」


僕の考えに対して先生はそう聞いた。それは三月一日からメッセージが届いたあの日に,四宮先生が語った仮説である。

その仮説が合っているならば,先生の言ったことは正しい。だが,理屈では正しくとも僕はその意見に反対せざるを得なかった。僕は少し前から,感情的なことで先生に言いたいことがいくつかあったのだ。僕はその一つを彼に話した。


「確かに記憶がすり替わるのなら,無くなった事実には気づかないかもしれません。でも,今の記憶がここにある事に変わりはないんです。舞が僕のことを心配してかけてくれた言葉や,先生たちが僕たちに教えてくれたこと,それを聞いた時の感情はその時の僕しか持てない。僕はそれを大事にしたいし,その時の相手の気持ちも大事にしたいって思ってます。タイムマシンの過去改変が記憶だけじゃなくて,それまでの感情も変えてしまうと思うと,僕はとても怖いです。それがたとえ短い時間であっても,世界中の人間のその時だけのかけがえのない感情が,無かった事にされてしまうって事だと思うから。」


僕の考えを黙って聞いてくれていた先生は,僕が話し終えるとため息のように小さく息を吐いてから優しく僕を褒めた。


「お前は優しいな。俺が高校生の頃よりもずっと大人で優しいよ。」


「そんな事ないですよ。人よりもたくさん映画を見てただけです。」


嬉しながらもそう言って謙遜した僕に,先生は現実的な問題を突き付けた。


「ただし四宮と対立するとなると,その考えを通すのは簡単じゃないぞ。あいつは誰もが認める天才だ。」


それも正しい意見だと思ったため,僕は同意した。


「えぇ,分かってます。四宮先生はやっぱり優しくて美人で頭が良くて,非の打ち所がない天才です。だから簡単に考えを変えさせることは難しいでしょうね。」


しかし,完全無欠の四宮先生に打ち勝つかもしれない方法を見つけていた僕はそのことも続けて高梨先生に教えたのだ。


「でも僕は四宮先生にも弱点があることを見つけたんです。」


「へー!すごいな。俺もそんなの知らないぞ。教えてくれないか?」


僕が高梨先生も気づいていないであろうことを話すと,彼は興味深そうにそう言って詳細を聞いてきた。


「いいですよ。それは。」


「それは?」


勿体ぶった言い方をした僕の言葉に対して先生が聞き返したところで,僕は四宮先生の弱点を彼に教えた。


「高梨先生,あなたです。」


無意識に犯人を告げる探偵みたいな話し方になってしまったが,これが高梨先生に言っておきたかったことの二つ目である。


「は?」


先生は唐突な僕の発言を怪しむようにそう言って聞き直した。僕はさっきの発言について詳しく説明した。


「四宮先生の心の支えになってるのは高梨先生だと思うんです。高梨先生が側でずっと四宮先生を信じてたから,四宮先生は頑張れてたんだと思います。だから高梨先生が四宮先生の考えを否定すれば,過去を変えることを考え直してくれるんじゃないかと思うんです。」


「なるほど。お前は自分の考えを通すために,俺に四宮の説を否定してほしいと言ってるんだな?」


高梨先生は何度か頷いた後でそう言った。僕が言ったことを理解してくれたようだが,それが本気で言ってるのかどうかを確かめているような聞き方だと思った。


「そうです。」


僕は本気で言っていることを示すために,はっきりとそう答えて話を続けた。


「高梨先生は本当にこれでいいと思ってるんですか?僕は良くないと思いますよ。四宮先生は天才だからこそ,もっと未来に目を向けるべきだと思う。もちろん未来のことも考えてるでしょうけど,過去のことに気を配りすぎだと思います。四宮先生が過去改変にこだわってる理由は,多分高梨先生が過去を変えたがってるからですよ。高梨先生が未来のことを考えれば,四宮先生はもっと先に行ける。」


僕は先生を説得するために,なるべく自信満々に見えるようにその言葉を発していたが,内心は心臓がドキドキしていて,一言一言に対して勇気を振り絞っているような状況だった。


思い返せば夏の始業式の日にタイムマシンと関わってから,似たような状況が二回あった。一回目は始業式の日,タイムマシンを使うまでの時間稼ぎをするために苦手な後輩の高杉と話し合った時。そして二回目はその三日後の四宮先生と高梨先生に初めて会った日,正体不明の彼らに未来人の情報をなるべく与えないようにすると同時に,彼らの目的を探るような会話をしたのだ。

勇気を振り絞っているという点では現在の状況は以前の二回と似ていたが,今の方が以前よりも口にするのがずっと怖かった。その理由はきっと話している対象が僕にとって180度違っている人物からだろう。今の高梨先生は僕にとって,初対面の時のような正体不明の怪しい人間ではないし,もちろん高杉のような苦手な相手でもない。高梨先生は僕に好意的に接してくれる人であり,嫌われたくないとも思っている人なのだ。

だが自分のために,そして先生たちのためにも僕は言わなければならなかった。恩人ともいえる先生に対して心をえぐるような言い方をすることに,申し訳なく思いながら僕は話を続けた。


「それに高梨先生も,もっと今を見るべきです。過去を変えたいなんて,ただの現実逃避でしかないと思います。四宮先生と過ごして来た時間を大事に思うなら,それを無くしてしまうことはするべきじゃない。過去に生きてた人じゃなくて,今生きてる自分自身や四宮先生の幸せを考えるべきです。」


自分の心を痛めながら先生に厳しいことを言ったのは,それが僕の本心だからである。舞とこれまでの関係を維持したいのと同じくらい,彼らにも仲良く過ごし続けて欲しいと思っているのだ。これが高梨先生たちに一番言いたいと思っていたことである。

こんな言い方をして何も言われないとは思ってなかった。絶対に怒られると思っていたが,続く先生の言葉は僕の予想に反したものだった。少しだけ怒っているようにも感じたが,その矛先は僕に向けたものではないようにも思った。先生はまるで自分自身に言う独り言のように呟いて,運転席から前方を見ながら僕の言葉に答えた。


「あぁ,分かってるよ。そんなこと。過去よりも未来のことを考えて生きた方が良い。そんなことはとっくの昔に気づいてる。でも俺がお前ぐらいの頃に,過去を変えたいって思ったことも忘れられない事実なんだ。そう簡単に無視できないんだよ。」


そう言って少し沈黙の間を置いた後,先生は振り返って改めて僕の顔を見て言った。


「悪い。少し考えさせてくれ。どうしても歳をとると判断が遅くなるんだ。」


「いえ,こっちこそごめんなさい。生意気なことを言ったかもしれません。」


今更遅いとは思うが,今までの発言を謝った。しかしやはり,先生が僕に怒っている様には見えなかった。彼はいつもの授業をするときのように,冷静に答えた。


「お前が進学する大学が決まったら答えを出す。それまでは勉強に集中しておけよ。でないと,俺の答えがどちらにせよ彼女との明るい未来は無くなるぞ。」


「分かりました。」


僕はそう答えてから車を降りて家に帰った。


今日は我ながらよく頑張ったと思う。先生に言いたかったことや言わなければいけないと思っていたことを全て話すことができた。こんなにも言葉にするのが辛いことを言い続けたのは,きっと人生でも初めてだ。嫌われる覚悟で言ったのだが,そこまで嫌われたそぶりもなく怒ってる感じでもなかったのでホッとした。


僕に残された高校生活はあとわずか,大学入試と卒業式を残すのみである。先生たちと過ごしたこの数ヶ月の記憶が未来に残るかは,三月一日の卒業式の日にかかっている。焦る気持ちもあるが,今は高梨先生の言うように目の前の受験勉強の方に集中しようと思う。四宮先生と対峙する計画を練るためにも,受験を早めに終わらせることが必要だからだ。

先生たちと過ごした過去も,舞と過ごす未来も,僕の努力でなんとかなるならどちらも掴んでみせる,という気持ちを秘めて僕はまた勉強漬けの日常に戻ったのだった。





彼を送った後俺は一人で家に戻り,誰もいない家の中で桜井くんと話したことについて振り返って考えた。


この仕事をしていると,子供の成長の早さには本当に驚かされてばかりだ。

つい数ヶ月前に初めて彼と会った頃,俺は自分を大事にしろだとか,今しかできないことをしろだとか,彼に説教らしいことを話したが,今日は逆に彼に自分や未来を大事にしろと説教されてしまった。半年前には想像もできなかったことだ。きっとあの言葉は,彼が映画を通して他人の人生を考え続けていた高校三年間の集大成なのだろうと思う。


俺の半分ぐらいしか生きていない子供が生意気に,と思う気持ちも無くは無かったが,少し考えると正しいのは明らかに彼の方だとすぐに分かった。過去が受け入れられずにわがままを言っている子供なのはむしろ俺の方だった。

知らない間に自分のために行動し,他人を思って説教できるほどに成長した彼を見て,俺は嬉しく思うと同時に寂しさも感じていた。彼はいつまで俺のことを先生と呼んで慕ってくれるのだろうか。


これからさらに成長していくであろう彼に呆れられないためにも,俺はこれからのことをしっかりと考えなければならない。とはいえ,実は前から俺の答えはほぼ決まっていた。彼の話を聞いて自分の中でそれをはっきり決めたのだが,受験勉強の邪魔をしないために言わずにおいただけだ。


失ったはずの先生の過去とこれから来るはずの俺たちの未来,どちらかを選ぶ時はついに目前だ。来たる三月一日,俺は四宮にその答えを告げることになる。15年以上の月日を共に過ごした彼女に告げる俺の答えは…。


つづく

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